■Festival!【01】
山や街路樹が色とりどりの衣を纏い始める頃。
ここ、星奏学院はまもなく文化祭の時期を迎える。
元々音楽学校だったこともあり、文科系の行事は盛大に行なわれるのだ。
3週間の準備期間が始まってからは、校内がやたらと活気に溢れている。
「で、香穂ちゃんのクラスは、何やるか決まった?」
火原和樹が、隣を歩くヴァイオリンケースを大事そうに抱えている少女に、楽しげに問いかける。
少女の名は日野香穂子。春先に行なわれた学内音楽コンクールで、普通科からヴァイオリンで参加し、見事に総合優勝を勝ち取った。
しかも、コンクールが始まるまでは、楽器を触ったこともない素人だったというから驚きだ。
彼女はとても前向きで、人一倍の努力をし、人懐こい性格で誰とでも打ち解ける。
そして、彼女がヴァイオリンを心から愛し、音楽を心から楽しんでいるのが音色に表れていた。
彼女の紡ぐ旋律はコンクール参加者だけでなく、教師たちや多くの生徒たちをも魅了した。
だが、もっとも魅了されたのは、誰あろうこの火原和樹本人である。先輩として音楽素人の香穂子の力になってあげたい、
そんな単純な、誰に対してもやってきたことだったのに、彼女の音を聴いているうち、彼女に接していくうち、和樹の香穂子に対する気持ちも
成長していった。その後、学院に語り継がれていた『ヴァイオリン・ロマンス』の再来として、
校内で知らぬ者のない『恋人同士』となり、今日に至る。
コンクール後、香穂子はその才能に目をつけた学校側から音楽科への移籍を打診されたが、今のスタンスで音楽を続けたいと断ってしまった。
そして、和樹も在籍するオーケストラ部の一員となり、現在に至っている。
もちろん、オケ部も文化祭のステージに上がるため、その練習が終わってから2人で帰宅の途についているところだった。
「模擬店? それともアンケートとか?」
「うーん…」
香穂子の表情はなぜか暗い。日頃顰められることはまずない眉間には、微かに皺が刻まれている。
「あれ? もしかして、まだ決まってない、わけじゃないよね?」
「えーと………あははー、何だったかなー」
「なにそれ〜。あ、もしかして、香穂ちゃん出し物決めるとき居眠りしてたとか?」
「え、あ、そ、そうそう、すっかり熟睡しちゃっててー、あはははははは」
香穂子の乾いた笑い声が続く。
友人たちから「鈍感」と言われている和樹でも、香穂子の態度の怪しさには気付いていた。というより、春に付き合い始めて以来、
和樹は香穂子の一挙手一投足が気になってしょうがないのではあるが。
「なんか香穂ちゃん、変だなぁ」
「そそそそそんなことないない、和樹先輩の気のせいですってば」
再び『あはははは』という香穂子の乾いた笑いが辺りに響く。
「やっぱ変だけどな。まあいいや。
おれのクラスはさ、『ダンスホール』なんだって。クラブとかとは違うんだよ。もっとしっとりした音楽でゆったりとね。
生バンドで踊ってもらうんだ。ま、音楽科だから、バンドには困らないしね。そうそう、飲み物やケーキなんかも出すんだよ。
あー、でも、踊りに来てくれる人いるのかなぁ」
香穂子の様子を気にしつつも、あわよくば香穂子と踊りたいという意味をほのめかしつつ、一気にまくし立てる。
「で、香穂ちゃんのクラスは?」
「だだだだだから、よくわかんないんですってば」
ちょうど香穂子の家に着き、これ以上聞いても答えを得られないと悟った和樹は、諦めることにした。
── どうせ、明日学校で誰かに聞けばわかることだし、と。
* * * * *
「おーい、柚木ー」
放課後になってすぐ和樹が声をかけたのは、同級生で3年間ずっと同じクラスの柚木梓馬──
校内一のプリンスとも言われる男である。艶やかな長い髪をなびかせ、物腰も柔らかく、誰にでも優しく接し、
優雅にそのパートナーとも言うべき金色のフルートを奏でる姿に心酔している女子生徒も多い。
「なんだい、火原」
「柚木さー、他のクラスの文化祭の出し物って、知らない?」
「僕は知らないな。でも、今から生徒会室で特別教室の割り当てと講堂の使用順を決める会議があるけれど」
柚木は軽く握った拳を口元に当て、楽しげに和樹の次の言葉を待っている。
「あ、もしかして、それに顔出す?」
「そうだね、後輩たちに頼まれているから」
「じゃあさ、『出し物一覧表』みたいなの、手に入らないかな?」
あまりの和樹に必死さに、柚木は思わずクスクスと笑ってしまう。
「もしかして、火原が知りたいのは2年2組の出し物なのかな?」
「── っ。…あー、柚木にはお見通しかぁ」
へへへっ、と照れ笑いしながら後頭を掻く和樹を微笑ましそうに眺めながら、柚木は『自分でなくても分かるが』と内心舌打ちする。
コンクール中は、参加者の誰もが香穂子に好意以上のものを抱いていた。それを、今柚木の目の前にいる和樹がかっさらって行ったのだから、
柚木の舌打ちもむべなるかな、ではあるが。
「で、2年2組のプログラムが分かればいいんだね?」
「うん! じゃあ、柚木、よろしくね!」
そういうと、和樹はカバンとトランペットのケースを掴み、部活へ向かうべく教室から飛び出していった。
残された柚木は、腕を組み口元に拳を当てたいつものポーズのまま、しばし何かを考えていたが、ふぅとひとつ溜息をつくと腕を解き、
長い髪をなびかせながら生徒会室へと優雅に歩いていった。
* * * * *
ちょうどその頃、2年2組の教室では──
「はい、ストップ! んー、そうじゃなくて、もうちょっと凛とした感じにできないかなぁ」
監督兼演出の女子生徒がダメ出しをする。
「だから、私、演技なんてできないって言ったでしょ!」
机と椅子は教室の後の方にギッシリ寄せられ、教壇側が広いスペースにされている。
そして、黒板を背にしゃがみこんでいるのは、体操着のジャージに着がえた香穂子だった。他にもジャージ姿の生徒がちらほら見える。
「しょうがないでしょ、全員一致で決定したんだから」
「そうそう、校内一の幸せ者、日野香穂子の『愛のメッセージ』が込められた舞台なんだから♥」
「誰がそんなこと頼んだーっ!!!」
友人たちにいじられて、顔を真っ赤にした香穂子は両手の拳を握り締めてガバッと立ち上がる。
科の違いも学年の違いも気にせず、香穂子の元にやって来てはラブラブ光線を撒き散らしていく和樹をいつも目の当たりにしている
友人たちにとっては、やっかみ半分ひやかし半分、これくらいの報復は当然のこと、かもしれない。
「はい、じゃあ1幕第3場の最初からも一回ね。ジュリエット立ち位置戻って。ロミオ、袖に引っ込んで」
「あーもう、『ロミオとジュリエット』やるなんて、誰が言い出したのよーっ!」
香穂子の絶叫に、誰も耳を貸すものはいなかった。