■Jealousy【03】
土浦から宣戦布告とも取れそうな一言を聞いてから1週間。
この1週間、どう過ごしてきたのかも、あまり記憶にない。
どのように香穂ちゃんと接していたのかすら。
そして、明日から2年生は修学旅行に行ってしまう。
「お〜い、火原。お前さん、この世の終わりみたいな顔になっちまってるぞー」
後ろからかけられた声に振り向くと、金やんが携帯灰皿を手に煙草をくゆらせていた。
「悩み事かぁ? 人生の先輩が、聞いてやらんこともないぞー」
「あうぅぅ…」
そして俺は、金やんに引きずられるようにして、音楽準備室に向かった。
はあぁぁぁぁぁっ。
俺が話した、今までの経緯の返事として、金やんが大きなため息をつく。
「お前さん、そんなことで悩んでたのか」
「そんなことって──、俺には大事なことなのっ! それに──」
「それに?」
「── 香穂ちゃんの笑い声、俺と一緒の時と違うんだ。何かすごく楽しそうで、そう、屈託のないっていう感じ?
香穂ちゃん、俺と一緒だと楽しくないのかな」
金やんは、やれやれと言わんばかりに額に手を当て、再び深いため息をつく。
「な、なんだよっ」
「いんや、若いっていいよなぁ。青春真っ盛りって感じでな」
遠い目をした金やんが、俺の立っている場所の反対側に向けて、青白い煙を吐き出す。
「俺が真面目に話してんのに、茶化すなよっ」
「すまんすまん。いや、お前さんがあまりにも『乙女心』を理解してないもんでな」
「お、乙女心ぉ!?」
「そ」
「う〜ん、俺、男だし」
「おいおい、そういう問題じゃないだろ── じゃあ、方向性を変えるか。お前さん、日野と一緒にいる時って、どんな気持ちなんだ?」
携帯灰皿の蓋に火種を押し付けながら、俺に尋ねる金やん。そんなこと聞かれてもなぁ。
「そりゃあ、楽しいし、嬉しいし、── ドキドキするし…」
「それだよそれ。お前がそうなら、相手もそうなんじゃないのか?
愛しい男の目の前で胸ときめかせながら、ガハガハ大笑いできるオトメはいないんだよ」
「それほんとっ!?」
「ああ、─── たぶんな」
「そうなんだ〜。あー、よかったぁ〜」
論点が『修学旅行』から『香穂ちゃんの笑い方』に移ってしまっていることにも気付かずに、俺は安堵の喜びに浸っていた。
「── って、金やん、もしかして何かイタイ経験あり、とか?」
自分の気持ちが軽くなったのをいい事に金やんをいじめに入る。
金やんが返事に詰まったその時、後ろで急に開いた扉から、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「失礼しま〜す。ひは─── あーーーっ、和樹先輩、やっぱりここにいたーーーっ!」
「あっ、かっ、香穂ちゃんっ、ど、どうして、こ、ここに!?」
今の今まで話題になっていた人物の登場に、あせりまくる俺。
「先に帰っちゃったのかなと思って教室に行ってみたらカバンあるし、
森の広場にいた人から先輩が金澤先生に引きずられていったのを見たって聞いたから、きっとここかな、と」
そう言うと、香穂ちゃんはニッコリと笑う。
うあ、俺ってば、この笑顔を疑っちゃってたのか。そんな罪悪感が胸に苦く広がってくる。
「さ、少年少女は帰った帰った。暗くなっちまうぞー」と、俺たちを急きたてる金やん。
「サンキュ、金やん。今度、続き聞かせてね」と言いながら、香穂ちゃんの待つ戸口へ向かう。
げふんげふんと咳き込む金やんを残して、俺たちは準備室を後にした。
* * * * *
「先輩、ちょっと寄り道してもいいですか?」
香穂ちゃんに誘われて辿り着いたのは、いつも学校の帰りに寄る公園だった。
「和樹先輩……」
俺より先に公園に入った香穂ちゃんは、俺に背を向けたまま俺の名を呼ぶ。
香穂ちゃんは今どんな表情をしているんだろう、そう思うと俺は不安になる。
この1週間の事で、嫌われちゃったかな、俺。
香穂ちゃんにかける言葉も見つけられず、彼女の後ろ姿をただ見つめる。
「先輩…最近、何か悩んでます?」
「えっ、そんなこと、そんなことないよ!」
慌てて否定する俺を、こちらに振り向いた香穂ちゃんは悲しそうな瞳で見つめている。
そんな顔されると、── 正直つらい。
手を後に組み、不意に視線を落とした香穂ちゃんは──
「柚木先輩も、心配してましたよ」
「…っ、ゆ、柚木、何て!?」
「あんまり詳しい話は聞いてないけど、『火原が何か悩んでるみたいだから、話を聞いてあげて』って…」
「あ、そ、そうなんだ…」
あの授業中の絶叫をバラされたかと思って、内心ヒヤリする。
「なんか、先輩らしくない。先輩っていつも『直球勝負』っていう感じなのにな」
あー、俺ってバカ。
こんなウジウジした気持ち、全部吐き出そう。それで香穂ちゃんに嫌われたら、その時は仕方ない。
「全部、話す。香穂ちゃん、聞いてくれる?」
香穂ちゃんはコクリと頷くと、近くのベンチに腰掛け、隣に座るよう俺に促した。
「── やっぱり、わたしが原因だったんだ…」
俺の話を真摯に聞いてくれていた香穂ちゃんが、俯きながらぽつりと呟いた。
「ち、違うよっ! 俺が勝手に…っ」
一瞬の間を置いて、香穂ちゃんが俺の方に向き直り、
「先輩、ひとつ説明させていただきます」
毅然とした口調に、俺の背筋が伸びる。
「ひとつ目。自由行動のグループはクラス内で決めてます。わたしのグループは5人で、全員女の子です。
ふたつ目。土浦くんと月森くんと菜美は、旅行2日目の普通科と音楽科の交流オリエンテーションの打ち合わせで、
うちのクラスの実行委員の所へ」
コクコクとただ頷きながら聞いていた俺は、はたとあることに気付く。
「あ、でも、天羽ちゃんと自由行動の相談するって言ってなかったっけ?」
「あぅぅ…それは…」
今までの毅然さがなくなり、俯いてしまった香穂ちゃんの顔を覗き込むと、香穂ちゃんは目を瞑り、眉間にしわを寄せている。
しばしの沈黙の後、香穂ちゃんはガバッと俺の方に向き直り、顔の前でぱんと手を合わせると、
「ごめんなさいっ!」
急な動きと大きな声に、思わず俺は後ずさった。