■Jealousy【02】 火原

 屋上からの階段を降りたところで『じゃあまた』と可愛く手を振る香穂ちゃんと別れた後、自分の教室に向かいながら、いろいろと考える。
 修学旅行かぁ。
 高校生活3年間で最大の行事かもしれない。
 俺も去年行って、すっげー楽しかったし。
 そういえば、3泊4日の行程中、3日目は自由行動になるんだよな。
 その日1日は好きな者同士でグループを作って行動するんだけど、前もっていろいろ調べて予定表を出すことになっている。
 あ、その予定表を天羽ちゃんと作るんだな。
 そう納得しつつ、自分の席に着く。
 あー、なんで俺、2年生じゃないんだろう。
 2年生──、ちょっと待てっ! あいつらも一緒に行くのか!?
 半年前にあったコンクール出場者の2年生の野郎2人の顔が脳裏をよぎり、頭を抱える。
 香穂ちゃんは明るくて、前向きで、人懐っこくて、誰とでも友達になってしまう。
 まあ、それは『みんな仲良く、楽しければオールオッケー!』な俺も同じようなもんで、 付き合い始めた頃は、『似たもの夫婦』とか『類は友を呼ぶ』とか、 さんざんからかわれたけど(内心嬉しかったり)。
 けど、俺は気づいた。
 あわよくば、香穂ちゃんと恋人同士になりたいと願う野郎どもがうじゃうじゃいることに。
 そう、その2人も例にもれず、なのだ。
 あー、2年生になりてぇ・・・。
 俺の頭の中はネガティブ思考へ一直線。抱えたままの頭をズルズルと机の上に落とす。
 額に触れる机のひんやり感が気持ちいい。
 香穂ちゃんは2年生、俺は3年生。
 でも、香穂ちゃんは俺と付き合ってるんだ。俺の彼女なんだ。俺の恋人なんだ。
 香穂ちゃんは、香穂ちゃんは───
「香穂ちゃんは俺のもんだーーーーーっ!」
 ゼイゼイと肩で荒い息をする。拳を握り締め立ち尽くす俺の後頭部に衝撃が走る。
 ふと我に返り、周りを見回すと、きょとんとした級友たちの見開いた目。
 視界に入った白衣を辿って視線を上げると、たった今俺の頭をはたくために使用したらしい丸めた教科書を、 だるそうに肩でポンポン弾ませつつ、俺を見下ろす金やん── 音楽教師・金澤の顔があった。
「んなこたぁ、学校中みんな知ってるって。あのなぁ、俺の授業だったからいいようなものの・・・」
「あ、あぅぅ」
 声にならない声。恥ずかしさのあまり、耳まで真っ赤になっているのがわかる。
 金やんは、はぁぁぁー、と大きなため息をついた後、俺の肩に手を置き、一言言った。
「火原、── 寝言は寝て言え」
 教室は、割れんばかりの大爆笑となった。

*  *  *  *  *

 級友たちのひやかしの声に軽口を返しつつ、カバンとトランペットのケースを掴んで教室を出る。
 あの大爆笑の後、授業そっちのけでいろいろ考えた。
 それは、いつも考えていること。香穂ちゃんに出逢ってからの俺の最大のテーマ。
『俺が香穂ちゃんにしてあげられることは何だろう』
 そうだ、先輩として、自由行動を楽しむためのアドバイスができるかもしれない!
 そう考えたら、気持ちが前向きになってきた。
 よしっ、香穂ちゃんたちの話し合いに乱入しちゃおう!
 俺は、普通科棟の2年生の教室を目指して走った。

 2年2組── 香穂ちゃんの教室。
 細く開いた扉の隙間から、女の子の笑い声が聞こえる。間違えるはずもない、鈴を転がすような香穂ちゃんの笑い声。
 聞き慣れた笑い声なのに、いつも俺と一緒にいるときとトーンが違って聞こえるのは何故だろう?
 続けて天羽ちゃんの豪快な笑い声。そして── 次に聞こえてきたのは、低い男の声。この声は聞き覚えがある。
「やだなぁ、土浦くん。笑わさないでよぉ〜」
 笑い転げている(であろう)香穂ちゃんが呼んだ名前は、俺の想像通り。
「ほらほら、月森くんも何か意見出しなさいよ。あんたの記事、読みたがってる子、多いんだからさ」
 天羽ちゃんが呼んだ名前は、ちょっと意外だった。
「俺は報道部のために修学旅行に行くわけじゃない」
「お前、まだそんな冷たい口のきき方しかできねぇのか」
「君に言われる筋合いはない」
「あんたたち、ほんと仲悪いのね〜。で、どっちが犬でどっちが猿なわけ?」
「菜美ぃ、実はこの2人、案外仲いいんだよぉ〜」
「だ、誰がこんなヤツとっ」
「日野、心外だな」
「ごめんごめん。とにかく、楽しい修学旅行になるように頑張ろうよ」
「ま、日野がそう言うなら──」
「── ああ」
 ───── もしかして、その4人で修学旅行の自由行動!?
「じゃ、丸く収まったところであたしたちはこの資料から行く場所をピックアップ。土浦くんは金やんに資料借りてきて」
「お前なぁ、ほんっと人使い荒いよな」
「喋ってないで、身体動かすっ!」
「へいへい」
 教室から出て来た土浦と目が合った。今まで聞いた会話が頭の中をぐるぐる回っている。
 土浦は、俺の存在にびっくりはしていたが、声は出さず、教室の扉を後ろ手に静かに閉める。
「火原先輩、どうしたんですか」
「あ、いや、そ、その──、たまたま…そう、たまたま通りかかっただけなんだっ」
 俺の焦りを見透かしたように、土浦はふ〜んと唸り、ちらりと教室の方に目をやる。
「あいつなら中ですけど、まだ時間かかりますよ?」
「い、いや、いいんだ。今日は一緒に帰れないって聞いてるし。じゃ、じゃあ…」
「あ、火原先輩」
 帰りかけた俺を、土浦が呼び止める。
 振り返った俺を見据えて、
「日野、借りていきます」
 そう言うと、土浦はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

〜つづく〜