■ろーど・おぶ・ざ・りんぐ?【前編】 土浦

【111,111HIT記念リクエスト大会 第4弾】
 k@n@さま からのリクエスト/「指輪物語」(アンコ引継EDプレゼントの指輪・その後)

 3月に入った、ある休日。
 吹く風は冬の厳しさを潜めて春の柔らかさを孕み、街を歩く人々の装いもダークカラーからパステルカラーへと移り始める頃── とあるショッピングモールの中をうろつく、挙動不審な男がひとり。
 彼の名は、土浦梁太郎。
 180センチを越える長身にサッカーで鍛えられたたくましい身体つき、精悍な整った顔立ちを持ち合わせている彼はそれだけで人の目を引くというのに、 場違いとも言える店の前で店内を覗きつつ、難しい顔をして何やらぶつぶつ呟いては溜息を吐く── そんなことをモール内にいくつかある同種の店の前で繰り返し、 相当目立つ存在となっていた。
 この数ヶ月、このモールに来る時には彼の隣には必ず同じ人物の姿があった。
 日野香穂子── 去年のクリスマスに不器用な言葉で想いを伝え、いわゆる男女交際というものをスタートさせた『彼女』である。
 だが、今日の彼の隣に香穂子の姿はない。
 今頃彼女はコンミスを務めるオーケストラで、厳しい指揮者の下、聞く人の心を捉えて離さないあの音色を奏でているだろう。

 少し前、梁太郎は苦い経験をした。
 春のコンクールに強制参加させられて以来音楽への情熱を取り戻した彼は、4月から音楽科へ転科することを決め、2年間を普通科で過ごした遅れを取り戻そうと勉強を始めたのだが、 元来持つ負けず嫌いという性格から勉強に集中するあまり、一時期彼女である香穂子から目を逸らしてしまったのだ。
 いきなりコンミスという大役に任ぜられ、それに反発する理事たちを納得させるためのアンサンブルに明け暮れる毎日。彼女のコンミス就任をよしとしない生徒たちの冷たい視線に耐えながら、 精神的にも体力的にも追い詰められていたであろう彼女は、それでも梁太郎のことを見つめ続けてくれていたというのに。
 自分が音楽の道を進み始めることができたのは彼女の存在あってこそで、その道を進み続けるには彼女と共に在ることが必要不可欠であることに気づいた彼は心の底から反省した。
 そして、理事会に合わせてアンサンブルコンサートが開催されたのはバレンタインデー。
 コンサートの準備で忙しかったであろうに、彼女はちゃんとチョコレートとプレゼントを用意してくれていた。
 その時彼女からもらったサロンエプロンは、今では料理を趣味とする梁太郎の愛用品となっている。
 そして1ヶ月という時を経て巡ってくるのはホワイトデー。
 バレンタインデーにしろホワイトデーにしろ、日本の菓子業界によって作られた甘ったるいイベントではあるが、梁太郎はそれに便乗することにした。 つらい思いをさせた詫びと、もう二度とそんな思いはさせないという誓いをこめて、何か『残るもの』を贈ろう、と。

 『残るもの』というキーワードで彼の頭に思い浮かんだのはアクセサリー。
 そう思い足を運んだジュエリーショップの前で、いまだ悩み続ける梁太郎。
 何度見ても中にいる客は女性ばかり。男性がいないわけではないが、その視線の先には嬉しそうにアクセサリーを選んでいる女性の姿が必ずある。
 さっさと入ってしまえばいいのに、いざ入ろうとすると気恥ずかしさに足がすくむ。自分の人生をあっさり決めてしまったあの決断力はどこへやら。
 いっそのことプレゼントは別のものにして、今日のところは出直すか、と思い始めた頃──
「あっれ〜、こんなとこで何やってんの?」
 突然背後からかけられた聞き覚えのある声に、梁太郎は心臓が口から飛び出しそうなほど驚いた。
 今の声が自分に向けられたものではないことを切に祈りながら、おずおずと振り返る。
 彼の祈りは天に届かず、そこには片手をしゅたっと上げた天羽菜美の姿があった。
 こんなことのないように知り合い遭遇確率の高い駅前通りを避けてわざわざここまで来たというのに、よりによって一番見られたくない人物に出会ってしまうとは。
「……よう」
 激しい脱力感を堪えつつ、なんとか声を絞り出す。
「日野ちゃんは? 店の中……なわけないか、今はオケの練習の真っ最中だもんね」
 あはは、と笑い飛ばす天羽。
「……お前こそ、ひとり淋しく買い物か?」
「いやいや、買い物っていうより勉強、かな? ここの催事場で、私が尊敬するフォトジャーナリストの写真展をやってるのさ」
「へぇ…」
「土浦くんこそ、ひとりで買い物?」
「あ……いや…」
 ふと、彼がついさっきまで覗き込んでいた店の売り物が何であるかに気づいて、天羽はニタリと意味ありげな笑みを浮かべた。
「はっは〜ん、さては日野ちゃんへのホワイトデーのプレゼントを選びに来たな?」
「う……」
「どれにしようか悩んでるんだったら、私も一緒に選んであげよっか?」
「バカ言うな。お前とこんな店入ったところを誰かに見られでもしたら、どんな噂を流されるやら」
「あははっ、そりゃそーだ。うんうん、あんたも学習したんだねぇ」
 勘弁してくれ、とばかりに苦い顔でがしがしと頭を掻きむしる梁太郎。
「じゃ、頑張って選んできなよ!」
 天羽は梁太郎の腕をガシリと掴むと、店の方へと身体の向きを変えさせ、どん、と背中を押した。
 うわっ、とよろめきながらも肩越しに振り返り、
「おいっ、あいつにはしゃべんなよ!」
「わかってるって。健闘を祈るっ!」
 ひらひらと手を振って踵を返した天羽を見送り、改めて店の方へと向き直る。
 いつの間にか、店内に通じる自動ドアが開いていた。
「ぬおっ……!」
 梁太郎は店内にいた人間すべてからの視線を一身に浴びていた。
 皆が皆、実に微笑ましそうな笑みを浮かべている。開いたドアから明らかに『彼女に内緒でプレゼント買いに来ました』と宣言するような会話が店内に響き渡ったのだから当然の流れだろう。
「いらっしゃいませ〜♪」
「……ど、どうも…」
 にこやかな店員に迎えられ、梁太郎はひたすら顔を赤く染めていくのだった。

*  *  *  *  *

 アクセサリーにもいろいろな種類がある。
 姉が持っていたファッション雑誌やアクセサリー系のネットショップで下調べをするにはしてみたのだが。
 半分開き直った梁太郎は女性客の間を縫うようにしてショーケースを覗き込みながら、ぐるぐると思考を巡らせる。
 ここは無難にネックレス?
 いや、ネックレスは前に贈っているから、今回も同じものだと芸がないと思われてしまいそうだ。
 ブレスレットはヴァイオリンを弾くのに邪魔になるだろうし、イヤリングはステージに上がる時くらいにしかつけないだろう。 彼女に痛い思いを強いるわけにはいかないのでピアスはもちろん却下。
 服装を選ばず、いつも身につけられて、楽器を弾く時も邪魔にならないもの。
 ── そうなると、やっぱ、指輪…か?
 単なるおしゃれとしてのファッションリングというものもあるが、そこは想像力たくましいお年頃、 指輪といえば『婚約指輪』『結婚指輪』に代表されるように、特別な意味が込められているような気がして何とも気恥ずかしい。
 しかし、徐々にその実力が認められ、愛らしい容姿と相まって学年・性別を問わず慕われるようになった彼女のこと、 自ら選んだ指輪がその指に輝いているところを想像すれば彼の独占欲が満たされるのもまた事実。
「── リングをお探しですか?」
 指輪が並べられたショーケースを熱心に覗き込んでいた梁太郎に、店員が声をかけた。
 せっかく治まりかけていた緊張が再び襲ってきて、顔がかっと熱くなり、手のひらにじわりと汗が滲んでくる。
「えっ……あ……はあ……」
「サイズはおいくつかお分かりになります?」
「えっ、サイズ?」
 指輪のサイズなんて、これまで話題に上ったことなど一度もないのだからわかるはずもない。
 梁太郎は、うー、と唸ると、自分の両手を眺めてみた。わきわきと握ったり開いたりを繰り返した後、おもむろにがしりと組み合わせてみる。 組み合わせる位置をいろいろ変えてみて、たぶん俺の小指くらいだと思うんですが、と告げた。
 彼の行動がいわゆる『恋人つなぎ』をした時の手の感触を確認しているのだと気づいた店員が必死に笑いを噛み殺していたのだが、 記憶の中から何とか数値を割り出そうと必死だった梁太郎はその表情に気づかぬまま。
 店員は、失礼いたします、と彼の手を取り、いくつも穴の開いた定規のようなものを小指に通してサイズを確認すると、いくつかお出ししてみましょうね、 と言ってショーケースの鍵を開け、中から取り出した指輪を柔らかい布が敷かれたトレイに並べていった。
 並べられたのはどれも小さな宝石が埋め込まれたもの。白い糸で取り付けられた小さな値札を見ると、さすがその道のプロというべきか、彼の予算の範囲内のものばかりだった。
 その中で彼の目を引いたのはふたつ。多少デザインは違うものの、色つきの石の両脇に、それよりも一回り小さい無色透明の石が寄り添っている。
 中央の石の色は赤いものと緑のもの。緑は自分の好きな色だし、赤はなんとなく彼女のイメージと重なった。
「贈り物でしたら、お相手の方の誕生石などはいかがですか?」
 トレイを睨みつけるようにして悩み続ける梁太郎を見かねた店員に促されるままに彼女の誕生日を告げるが、出された指輪はなんとなくしっくりこなかった。
 再びトレイの上に視線を戻し、候補のふたつを指先で手前にずらしてみる。
「こちらはエメラルドで5月の誕生石、こちらはルビーなので7月の誕生石になりますね」
 すかさず入った店員の解説に、彼の心は決まった。
「じゃあ……こっち、お願いします」
「ありがとうございま〜す♪」

 そして3月14日、ホワイトデーに開かれた音楽祭オープニングコンサートの本番直前、 花束に添えたメッセージカードでロビーに呼び出した彼女に思い切り照れつつも指輪を渡したのは、皆さんご存知の通り。

*  *  *  *  *

 ロビーから控え室に戻った香穂子は、ドキドキする心臓を押さえつけるように、たった今受け取った小箱を胸元で握り締めていた。
 壁際のドレッサーの前に腰を落ち着け、震える手でリボンを解き、破れないように注意しながら包装紙を剥がす。 中身が何であるか贈り主から聞いて既に知ってはいても、心臓のドキドキは激しくなる一方。
 姿を現したケースをそっと開く。
 そこに納まっていたのは、ルビーとダイアモンドを組み合わせた可愛らしい指輪だった。
「う、わぁ……やだ……すごく、嬉しい…!」
 せっかく天羽に施してもらった化粧を本番前に崩すわけにはいかないから、涙がこぼれそうになるのを鼻をずずっとすすって必死に堪えて。
 震えの止まらない指先でそっとリングをつまみ上げ、天井から照らす灯りにかざしてみた。
「きれい……」
 うっとりと指輪を眺めていた香穂子は、指輪と自分の両手を交互に見つめ、思案し始めた。
 さて、この指輪はどの指を飾るために用意されたものなのだろうか、と。
 今、この控え室には彼女ひとりきり。準備を手伝ってくれた天羽は客席に戻ったのだろう。
 香穂子はつまんでいた指輪を迷うことなく左手の薬指に通して、ぎゅっと押し込んだ。
 伸ばした指を揃えてじっと手の甲を見つめてみれば、左から2番目の指の付け根あたりで3つの小さな宝石が誇らしげに輝いている。
 それから彼女はすっと椅子から立ち上がり、鏡に映る自分の姿と向かい合った。
 左手を顔の近くまで持ち上げ、指を揃えて手の甲を鏡に向ける。テレビでよく見かける、芸能人の婚約・結婚発表記者会見でカメラに向かって指輪を見せる、あのポーズである。
「うふふふふふっ♥」
 ステージの上での彼女しか知らない者の抱いているであろう幻想を粉々に打ち砕くような蕩けきった笑みを浮かべ、鏡に映る自分の左手を見つめていた。
 陶酔しきっていた香穂子の耳に、カンカンッと鋭いノックの音が聞こえ、ピクリと身体を震わせる。
「日野さーん、そろそろ舞台袖にお願いしまーす!」
 ドアの外から聞こえた声に、はーい、と返事をして。
「ステージが終わるまで待っててね♥」
 話しかけた指輪に軽いキスを贈り、大切にしまっておこうと外そうとして──
「え……えええぇぇぇぇぇっ !?」

〜つづく〜