■Jealous Typhoon〜せいぎのみかた2〜【前編】
【77777HIT記念・いつも来てくれてありがとうリクエスト祭 第3弾】
愛姫さま&きむちさま からのリクエスト/香穂子のやきもち
ある日の放課後、土浦梁太郎は練習室へと向かっていた。
片手に通学カバン、もう片方の手にはオケ部のライブラリで見つけた『惑星』ピアノ編曲版の楽譜を携えて。
普通科棟から特別教室棟を抜け、練習室棟への渡り廊下に差し掛かったところで耳に飛び込んで来た声にピタリと足を止める。
(……なんか嫌〜な予感がするな…)
「ね、キミ、可愛いね。オレと付き合ってくんない?」
「こ、困りますっ!」
「いいじゃんいいじゃん、今からどっか遊びに行こうよ」
「今からヴァイオリンのレッスンなんですっ!」
「1日くらい休んじゃいなよ。ね、面白いとこ連れてってあげるからさ」
はあああぁぁぁぁっ。
大きな溜息と共にガクリと項垂れる。
(……ったく、どいつもこいつも、俺の行く先で女に絡むなよ…)
かろうじてまだ特別教室棟の中にいる土浦には声の主の姿は見えないが、男の口調は虫唾が走るくらい強引で、女の声は震えているのがわかる。
ここは人として『いい加減にしとけよ』くらいは言ってやったほうがいいのだろうが── 後輩の冬海笙子が男子生徒に絡まれているのを助けたことが、
愛する彼女である日野香穂子の逆鱗に触れてしまったのはつい先日のことである。
別にボランティア精神に溢れているわけではないが、それなりの正義感を持っている土浦としては、困っている人間を放っておくことはできないタチなのだから仕方ない。
悪いことをしているわけではない。むしろそれは誉められてしかるべき行いである。
だが、助けた相手が『女性』であることが香穂子には気に入らないのだ。
香穂子曰く、『女の子は乙女のピンチを救われると、救ってくれた相手に惚れてしまう』『私のライバルを増やすな』、と。
土浦はカバンを持つ手をグッと握りしめ、
(誰だか知らないが── 悪い、自力で切り抜けてくれ)
心を鬼にして、見て見ぬ振りをすることに決めた。
声の聞こえる方向からして、2人は今土浦がいる特別教室棟寄りにいるはず。真っ直ぐ前を向いて突っ切ろう── そう決意して渡り廊下に一歩足を踏み出した時、
持っていた楽譜の角がズボンに引っかかり、手から抜けてバサリと大きな音を立てて下に落ちた。
(げっ、やべぇっ!)
急いで拾い上げ、何事もなかったように立ち去ろうとすると、
「あ!」
男の上げた声に、土浦は声の聞こえた方に思わず顔を向けてしまった。
そこにいたのは、驚きに目を見開いた普通科男子と、壁際に追いやられ身体をすくませている音楽科女子。
(し、しまった…目が合っちまった…)
瞬間、目が合った男の表情が驚愕から恐怖に変わったかと思うと、ひっ、と小さな悲鳴を上げて脱兎の如く走り去っていく。
(…なんだ今の? そんなに俺の顔は怖いってか?)
男の行動に呆然としつつ、ふと思い出した。
(あ、今のヤツ、こないだ冬海に絡んでたヤツか……たく、懲りねぇヤツだな)
気の弱い冬海に二度と言い寄ってこないよう少しキツめに言ってやったせいで、土浦のことが恐怖の対象になってしまったらしい。
我知らず漏れる溜息。
と、何かが動く気配に視線が移り、ギクリとする。
特別教室棟の外壁の前にいる音楽科女子が、胸の前でぎゅっと両手を握り合わせ、潤んだ目で土浦を見つめていた。心なしか頬が赤く染まっているように見える。
(げっ、マ…マズイ……いや、アイツが勝手に逃げてっただけで、俺は何もしていない!)
土浦は女子生徒と目を合わさないようにしながら、『気をつけろよ』という意味を込めて楽譜を持ったままの手を肩まで上げて、無言のまま練習室棟へ足を向けた。
背後から『あの…』という声が聞こえたが、振り返らなかった。いや、振り返れなかった。
今や土浦の脳裏には目を吊り上げて激怒する香穂子の姿がくっきりと浮かんでいる。
(俺は断じて何もしてない!……よな…?)
ゾクリと背中に感じた悪寒に、土浦はブルッと震えて思わず自分の身体を抱きしめた。
* * * * *
翌日の放課後。
昨日のこともあって特別教室棟経由を避け、正門前を抜けて練習室へ行こうとエントランスまで来ていた土浦の前に現れた音楽科の女子2人組。
ひとりは初めて見る顔、そしてもうひとりは──
「あ、あの、土浦くん…!」
ギクリ。
顔を真っ赤にして、手を後ろで組んでモジモジする女子を、もうひとりの女子が『ほら、頑張って!』と励まし、背中を押している。
土浦がじわりじわりと後ずさっていると、ドンッと思いっきり押された女子が勢いよく前に飛び出してガバッと頭を下げた。
「あっ、あのっ、わ、わたし、音楽科2年・ヴァイオリン専攻の下田沙耶香といいますっ! き、昨日は助けてくれてありがとうっ!」
オーマイガッ!
土浦はくらりとする頭を手で支え、
「いや……通りかかっただけで、俺は何もしてねぇし…」
「でもっ! 土浦くんが来てくれたおかげで、わたしっ!」
「い、いや、だから俺は何も──」
と、下田は後ろに隠していた手を土浦に向けてグイッと突き出してきた。その手にはふわふわのシフォンのような包装紙でラッピングされた淡いピンクの包みが乗っていた。
「あの、これ、昨日のお礼ですっ! クッキー焼いたんです。練習の合間にでも食べてくださいっ!」
「だ、だからこういうのは困──」
「手紙も入ってるから、後で読んでくださいっ!」
下田は有無を言わさず無理矢理ピンクの包みを土浦の手に押し付けると、踵を返してダッと駆け出した。
後に続いたもうひとりが追いつくと『きゃ〜、渡しちゃった〜!』と手を取り合ってはしゃぎ、正門側の出口から出て行った。
「……マジかよ…」
手の中に残ったピンクのふわふわな包みを見下ろして、土浦は頭をワシワシと掻きながら深い溜息を吐いた。
「見ぃ〜ちゃった ♥」
「おわっ !! …なんだ、お前か」
またも背後からかけられた声に飛び上がるようにして振り返った土浦は、声の主の姿に胸を撫で下ろした。
ニヤ〜っとチェシャ猫のような笑みを浮かべて立っていたのは天羽菜美。香穂子の親友である。
「モテる男はツライね〜」
「うるせぇ、そんなんじゃねえって」
「で、どうすんの、それ?」
ピンクの包みを指差しながらチラリと視線を送ってくる天羽。
土浦は一瞬考えて、
「……やる」
と天羽に差し出した。天羽はひょいと身をかわすように飛び退って、
「なに、あたしに証拠隠滅させる気? それ、さっきの子の手作りなんでしょ? 助けられたお礼とか」
「……お前、どこから見てたんだよ」
「ふふ〜ん、最初っから〜」
土浦はカクンと項垂れた。
「天羽……日野にはこのこと絶対言うなよ」
「なんでよ? 正直に話して、そのクッキー、2人で食べれば?」
「だーっ! だから、こういうの、あいつは嫌がるんだよっ!」
「でも、もらっちゃったんだからしょうがないじゃない。なによ、また『接近禁止命令』出されるのがコワイ?」
「っ! な、なんで知ってんだよっ!」
「あんたねぇ……カフェテリアであんだけの騒ぎ起こしといて、よく言うよ」
「うっ……と、とにかく黙ってろ。頼むからしゃべるな」
「あたしは別に構わないけど……もう遅いよ?」
「は…?」
天羽が軽く顎をしゃくってみせた先に── 香穂子がいた。
普通科棟側の出入口を塞ぐように仁王立ちになった香穂子は、握りしめた拳をふるふると震わせ、般若のような形相で土浦を睨みつけている。
「…っ! か、香穂… !?」
香穂子はプイッと顔を背け、くるりと向きを変えて普通科棟へと戻っていく。
後を追おうとした土浦は、足を踏み出そうとして躊躇した。手の中にこのピンクの包みがある限り、何を言っても香穂子は納得しないだろう。
「……しょうがないなぁ」
天羽は土浦の手からピンク色をひょいと取り上げると、呆然としている土浦に気合を入れるように思い切り背中をひっぱたいた。
「ほら、ぐずぐずしない! 香穂、追わなくていいの? こっちはあたしに任せなさいって!」
「…お前に借りを作るのは不本意だが……サンキュ、天羽」
弾丸のようにエントランスを飛び出していった土浦の背中に、お返しは独占インタビューでね、と天羽は声をかけた。果たして聞こえたかどうかはわからないが。
「── さてと…、ここは大事な親友のために、この天羽さんが一肌脱ぎますか!」
天羽は可愛らしいピンク色の包みをピンと爪で弾くと、ニヤリと笑みを浮かべてエントランスを後にした。
* * * * *
土浦がエントランスを出た時には、すでに香穂子の姿は見えなかった。
やけに自信たっぷりの天羽が何を企んでいるのか、一抹の不安はあったが、まずは香穂子の確保が先である。
念のため2年の教室のある普通科棟2階を通り、2組の教室を覗いて香穂子の荷物がまだそこにあることを確認してから、おそらく香穂子が向かったであろう場所へと急ぐ。
(くそっ…こんなことになるんなら、昨日のうちに話しときゃよかったぜ……)
走りながら頭に浮かぶのは後悔の念。
話していれば単なる笑い話で済んだかもしれない。
話を聞いた上で今日のようなことを想像した香穂子が多少拗ねたかもしれないが、その程度ならケーキ1個かキス1回で簡単に機嫌は直っただろう。
『隠し事をした』という後ろめたさからか、はっきり突っぱねることができなくて、押し付けられたとはいえ手作りクッキーとやらを受け取ってしまったことにもひたすら後悔する。
いくら後悔しても遅いのに──。
階段を一段飛ばしで駆け上がり、薄暗い行き止まりで重い扉を力を込めてぐっと押し開けた。
春と呼ぶにはまだ早すぎる冷たい空気が襟元を吹き抜け、思わず首をすくませる。
音楽科棟の屋上── 何も遮るもののない青空を背景に、香穂子が佇んでいた。吹きすさぶ風に長い髪をたなびかせ、強くフェンスを握りしめる手の甲は白く血の気が失せ、
背中に人を寄せ付けないような不機嫌オーラを纏って。
「……香穂」
土浦の声に香穂子はハッと振り返った。見開いた目はすぐにすっと険しく細められ、肩幅に開いた足にぐっと力を込めると鷹揚に身体の前で腕を組んでキッと土浦を睨み据えた。
「半径10メートル以内接近禁止!」
「っ! またエリア拡大かよっ !? お前は携帯電話かっ!」
土浦の精一杯のツッコミに動じることもなく、香穂子はツンと顎を上げて視線を逸らす。
「まーた正義の味方なんかしちゃって、私を怒らせて何が楽しいワケ !?」
「だから誤解なんだって! ちゃんと話すから聞けよ!」
「丸め込もうったって、そうはいかないんだからね! あー聞こえない聞こえない、なーんにも聞こえないっ!」
香穂子は両耳を手で塞ぐとくるりと背を向けた。
チッ。
思わず舌打ちして、ツカツカと香穂子の背後に迫った土浦は、耳から手を剥がすべく香穂子の細い手首を掴もうとしたが、ふと思いついて動きを止める。
辺りをぐるりと見回して人影がないことを確認すると、耳を押さえている腕ごと、後ろから香穂子を抱きしめた。
「── っ!」
耳を押さえていた香穂子の手は、腕をぐっと押さえつけられることで宙に浮く。香穂子はなんとか拘束から抜け出そうとあがくが、土浦は腕に力を込めてそれを許さなかった。
「頼むから、話を聞け」
香穂子の耳元で、静かな、低めのトーンで囁く。
土浦は香穂子が自分の低い声に弱いのを経験上知っていた。案の定、香穂子はピクッと身体を緊張させて、土浦の腕の中におとなしく納まっている。見れば、耳まで真っ赤に染まっていた。
思わず吹き出しそうになるのを堪え、土浦は昨日渡り廊下であった出来事を、正確に、誇張することも割愛することもなく話して聞かせた。
静かに聞いていた香穂子は土浦の話が終わるとしばらく何か考えて、はぁー、と深い溜息を吐く。
「……ほんっと、梁太郎って女心がわかってないよね」
「は?」
そのセリフはつい最近聞いたばかり。
ぽかんとして力の抜けた土浦の腕を、身体と一緒くたに閉じ込められていた腕で押し開いて抜け出した香穂子は向きを変えて土浦の正面に立った。
じーっと顔を見つめていたかと思えば、再び溜息を漏らす。
「…な、なんだよ」
「だーかーらー……、その子、元々梁太郎のことが好きだったんだよ」
「は !?」
「だって、何とも思ってないんだったら『ふぅ助かった〜』くらいにしか思わないでしょ。けど、元々梁太郎のことが好きなら、ピンチに現れて無言でヤなヤツを追い払ってくれたら、
『あぁ私の王子サマ♥』ってなっちゃうわよ」
「はぁっ !? 俺にどうしろって言うんだよ。勝手に好きになられたからって、そいつを避けて通れとか言うのか? んなもん無理だろうが。
他にうまい対処法があるんなら聞かせてもらいたいもんだな!」
香穂子がふっと悲しげな表情を見せた。
と、ゆっくりと両腕を上げ、子供が抱っこをせがむようにして近づいてくる。
ドキン。
香穂子にしては珍しい大胆な行動に、土浦の心臓が大きく跳ねた。
【プチあとがき】
ちゃんとしたあとがきは後編で。
とりあえず続きをどうぞ。
【2007/11/08 up】