■Jealous Typhoon〜せいぎのみかた2〜【後編】
「ごめんね〜、無理言っちゃって〜」
「あ、ううん、別にいいんだけど…」
首にぶら下げたカメラを大事そうに抱え、カツンカツンと足音響かせ屋上への階段を上がる天羽。ヴァイオリンを持った下田沙耶香が後ろからついていく。
エントランスで土浦と別れた天羽は、その足で練習室に向かった。
湿度や埃を嫌う弦楽器奏者なら、おそらく空調も防音も整った練習室にいる確率が高いと踏んだから。
予想通り、練習室予約ノートに下田の名前を見つけた天羽は、彼女に取材を申し込みに行ったのだ。
わざとピンク色の包みを手に持って。
訝しげに包みを見つめる下田に、
「あ、これ? 落し物なんだ。うちの部の後輩が廊下で誰かとぶつかって、その人が落としてったみたいなの。で、取材がてら落とし主を探してるんだけど…、何か心当たりある?」
「……あ、そういえばクラスの子が持ってたような気が……。よかったら、聞いてみるけど…?」
「ホント? 助かるよ〜」
下田は引きつった笑みでピンクの包みを受け取った。
(よっし、第1段階成功! 次は──)
音楽科の生徒に『楽器との出会いエピソード』をインタビューしてるの、と天羽は切り出した。それから、写真を1枚、屋上で、と。
コンクールが始まって取材を開始してから、親友として付き合うようになった今に至るまでで、天羽は香穂子の行動パターンをすっかり把握していた。
嫌なことや辛いことがあれば、きっと香穂子は屋上へ行く、と。もしいなければ、次の手を考えればいい。
天羽は屋上への扉をそっと開けてみる。思ったとおり、香穂子がいた。もちろん彼女を追っていった土浦も。2人は真剣な顔で向かい合っていた。
「あらー、先客みたいね。もしかしてラブシーン !?」
小声で呟いてわざとらしく下田の方を振り返る。下田は興味をそそられたのか、天羽の前に割り込んで扉の隙間から外を覗き込んだ。
ヒュッと喉が鳴って、息を飲み込む音。
そう、天羽の狙いはこれだったのだ。
『下田沙耶香に香穂子と土浦の仲の良いシーンを見せ付けること』。
ちょっと残酷な気もするけどね、と心の中で苦笑しつつ。
ただ、学院一のバカップル── 授業中以外はたいてい一緒にいて、辺り構わず痴話喧嘩をするような── を知らない人間がいたことが信じられなかった。
もしそれを知っていて2人の間に割り込むようなマネをしたのならば、なおさら許せない。
ここは現実を知ってもらうのが一番だ、と考えたのだ。
土浦が何かを言うと、香穂子の顔がふっと悲しげに歪んだ。
と香穂子の腕がゆっくりと土浦へと伸びる。
(うわぁ、ホントにラブシーン !? ごめん、香穂!)
天羽が心の中で詫びた瞬間、土浦の首に回されるのだろうと思われた香穂子の手は、むぎゅっと土浦の顔を掴んだ。
口の中に突っ込まれた親指は口角をギリギリと押し上げ、他の指はぐいぐいと目尻を押し下げる。
土浦は香穂子の手を引き剥がそうと手首を掴んで引っ張るが、香穂子が離れる気配はない。
「いへぇはほーは! ははへっへ!(いてぇだろうが! はなせって!)」
「梁太郎がカッコよすぎるのが悪いんだからね!」
「ひふはっ! ふひへほういうはほひはっはんはへぇ!(しるかっ! すきでこういうかおになったんじゃねぇっ!)」
「何言ってんのかわかんないっ! もう、梁太郎なんかこんなブサイクになっちゃえばいいんだっ!」
ブチン。
そんな音が聞こえた気がした。
香穂子の手首を離した土浦が、その大きな手のひらで香穂子の両頬をぎゅっと押さえつけた。押し出された唇がピヨピヨグチになっている。
「お前だってこんくらいブサイクならファンクラブなんぞできなくて、俺も安心なんだがな!」
「知らないわよっ! 私が頼んでファンクラブ作ってもらったんじゃないもん!」
「俺だって頼んで好かれたわけじゃねぇ! お互い様だろうがっ!」
「痛いじゃないっ! 離してよっ!」
「お前が離したら離してやるよ!」
かたや口を引っ張られ、かたや頬を押さえつけられた2人の意味不明の言葉の応酬が続くが、翻訳すればまあこんなものだろうか。
(はぁ〜、2人ともお子ちゃまね〜)
呆れながら天羽はちらりと下田の顔を覗った。ヴァイオリンを胸に抱きしめ、蒼い顔で外の光景を食い入るように見つめている── 唇を小さく震わせて。
「……うそ…」
「あれ〜、下田さん知らなかった? あの2人、かなり前から付き合ってるんだよ?」
「……そんな…」
少々薬が効きすぎたか。天羽の心の中に罪悪感が生まれ始め──
「……土浦くんが、あんな子供っぽい人だったなんて……」
「へ…?」
そっちかいっ !? と思わず心の中でツッコミひとつ。
「ちょっと聞くけどさ……土浦くんのこと、どういう人間だと思ってたワケ?」
「どういうって……寡黙でいつも落ち着いてて、大人っぽくて、背中で語るタイプっていうか……」
「んなわけないでしょ、あたしたちと同い年だよ? そんなナイスミドルな高校生、いないってば」
「……そうよね…」
下田はゆうらりと立ち上がると何かブツブツ呟きながら、ゆっくりと階段を降りていく。
「し、下田さん…?」
「…ごめん、取材はまた今度にしてくれる…?」
魂の抜けたような顔でそう言うと、下田沙耶香は静かに階段を降りていった。
「うーん、最初の予定とは違っちゃったけど……ま、いっか」
天羽は晴れ晴れした顔で、屋上への扉を大きく開け放った。
* * * * *
「はいはい、いい加減仲直りしちゃいなさいよ〜」
パンパンと手を叩きながらの天羽の登場に、2人はぱっと手を離す。
「菜美〜」
「よしよし」
天羽は泣きつく香穂子を受け止め、ポンポンと背中を叩いてやる。赤くなった顔を気まずそうに逸らしている土浦に吹き出しそうになりながら。
「……で、どうなったんだよ、そっちは」
「ちゃんと丸く治めてあげたわよ」
天羽から身体を離した香穂子が、なに?と小首を傾げる。安心させるように背中を優しく叩いてやる。
「何やったんだよ?」
「あんたたち2人の姿を見せてあげただけだってば」
「い、今のをか…?」
「そ」
「ど、どこから…?」
「んー、ちょうど香穂があんたの顔を掴んだとこからかな」
それを聞いて、土浦がほっとしたような大きな溜息を吐いた。
「出歯亀か、お前は」
「出歯亀上等っ! なにせ『スッポンの天羽』ですからね、あたしは」
「認めるのかよっ! ……で、なんて?」
「なんか、理想の土浦梁太郎像がガラガラと音を立てて崩れ去ったみたい」
「なんだよ、それ…」
今度は憂鬱そうな溜息と共にがっくりと項垂れる。
「……ま、俺が言われる分には別にいいさ」
「へぇ、いいんだ?」
「忘れたのか? 俺たちは4月から音楽科へ行くんだぜ? こいつが恨みを買うようなことなれば、辛い思いをするのはこいつだろ。楽器が同じなら確実に同じクラスになる。
俺が同じクラスになれれば守ってもやれるが、確率は2分の1だからな」
1学年2クラスの音楽科は、A組が弦楽器、B組が管楽器、残りの定員をピアノ専攻が埋めるという配分になっている。そこまで考えていた土浦に、天羽は小さな感動を覚えていた。
その懐の深さはナイスミドル級? 下田さんの土浦観もあながちハズレじゃないかも、なんて思いつつ。
「ま、とにかく天羽、面倒ごとに巻き込んで悪かったな」
「いや、まあ、あたしのほうはいいんだけどさ……んじゃ、香穂のこと、よろしく!」
縋り付いていた香穂子の身体をくるりと土浦の方へと向けて、背中を押して送り出してやる。
香穂子の身体を受け止めてニヤリと笑みを浮かべる土浦にひらりと手を振り、天羽は屋上を後にした。
* * * * *
そして再び2人きりになった屋上で。
もう何度目かわからない溜息を漏らしてから、香穂子の肩をそっと押して顔を覗き込む。
(げっ…)
なんとも不機嫌そうな香穂子の顔。
「か、香穂…?」
「………やけに仲がいいんだね、菜美と」
ボソッと呟き、眼光鋭く睨み上げる。
「んなわけねぇだろっ! 天羽はお前のためにいろいろ動いてくれたんだろうが!」
そしておもむろに伸びてくる香穂子の手。
(またかよっ !?)
土浦はまだヒリヒリする口元をぎゅっと引き締め、身構えた。
が、香穂子の手は頬の横を通り過ぎて首の後ろへ。ぐっと引き寄せられるように重みがかかる。
甘えるように擦り寄って、胸元に顔を埋める香穂子。
「── 私って、もしかしてものすごく愛されてる?」
「今頃気づいたのか? 言ったろ、『俺はよそ見はしない』ってな」
応えるように、土浦も香穂子の華奢な身体をぎゅっと抱きしめて。
首から離した手でそっと土浦の肩を押し、少し身体を離して見つめ合い。
土浦はゆっくりと顔を近づけ距離を縮めていく。
香穂子がふわりと愛らしい笑みを浮かべ──
「さ、練習行こっか」
「は !?」
「梁太郎も練習室へ行く途中だったんでしょ? 私も予約入れてるし。だいぶ時間のロスしちゃったよね」
脱力した土浦の腕をするりと抜けて、香穂子は扉へと向かっていく。
「あ、そうだ、私の荷物、まだ教室だ。ほら、梁太郎、早く!」
「……わかったって」
激しいヤキモチに引っ掻き回され、せっかく甘い雰囲気になったと思えばぶち壊され。
愛すべき小悪魔のような彼女に心底惚れている土浦にとっては、それもまた幸せなことなのかもしれない。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
なんかワケワカメになっちゃいました。
香穂子がヤキモチ焼くと、ものすごい激しくなっちゃいますねぇ(笑)
下田沙耶香さんは、Vnで土浦の演奏でアンサンブル加入するモブ。
ごめんよ、こんな酷い扱いにしてしまって。
昔のマンガで、ある男の子に過度な理想を持った女の子が幻滅して同人誌作成に走る、
ってのがあったな(笑)
下田さんの行く末はいかに?
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【2007/11/08 up】