■ニコロデオン【前編】
【77777HIT記念・いつも来てくれてありがとうリクエスト祭 第2弾】
まこりんさま からのリクエスト/土浦のやきもち
Saiさま からのリクエスト/修学旅行ネタ
── 秋。
『○○の秋』と言われるものは数あれど、気候のよくなったこの時期、よく耳にするのは『行楽の秋』。
ここ星奏学院高等部でも、2年生のこの時期には『修学旅行』というものがある。
「……よりによって、なんでこの週なんだよ…」
HRで配られたプリントを見ながら、俺の口から思わず溜息が漏れる。
プリントに印刷された旅行日程は、文化祭の1週間前の木曜から日曜までの3泊4日となっているのだ。
恐らく、旅行で浮かれた頭を1週間文化祭の準備をさせることでリハビリさせようという学校側の配慮なのだろうが。
クラスの出し物だけならそれでもかまわないが、俺たちはそうじゃない。
文化祭のステージでアンサンブルを披露しなければならないのだから。
たとえ単なる学校行事だろうが、『学院に音楽の祝福を与える妖精を救うため』なんて知らない人間が聞けばこっちの頭を心配されそうな理由での有志参加だろうが、
ステージに立つ以上、手を抜くなんてことはしたくない。が、やはり仕上げの段階に入る時期の4日間のブランクは大きすぎる。
(……あいつも今頃、頭抱えてんだろうな)
アンサンブルのリーダー的存在である人物を思い浮かべ、俺は思わず苦笑する。
それから、自由行動の班を決め、移動のバスの中で班ごとにやる簡単なレクリエーションを課題に出されて、HRは終了した。
班のヤツらと簡単な話し合いをしてから、教室を出て練習室へ向かう。
と、通りかかった教室の扉がガラリと開いて、中から勢いよく飛び出してきた生徒とぶつかりそうになった。
「うわっ、ごめんなさいっ! …あ、土浦くん」
「よう、日野」
飛び出してきたのは30センチ四方ほどの紙袋を抱えた日野香穂子だった。
音楽に関してはまったくの素人だった日野は、どういう経緯かこの学院に棲む小さな羽根つきに気に入られて学内コンクールに借り出され、今ではいっぱしのヴァイオリニスト。
あの頃から、こいつはいつも忙しそうに走り回っている。
「今から練習?」
「まあな……どうした、そんなに慌てて」
「あ、うん、修学旅行のレクリエーションの準備で、今から視聴覚室に行くの」
「視聴覚室?」
2組の教室から出てきた女子2人組が『日野っち〜、先行ってるよ〜』と声をかけていく。
確か教会のコンサートの時に日野を激励していた2人だ、と思い出した。
日野は振り返って『うん、すぐ行くね』と答え、再び俺の方へと向き直る。
「うちの班、イントロクイズやることになってね、その編集作業なの」
日野は両腕で抱えていた紙袋を、クラスのみんなに協力してもらったんだ〜、とこちらに傾けて見せた。中には20枚ほどのCDが入っている。
「へえ、今日の今日でもう準備か?」
「え?」
「班決め、たった今やったばかりだろ」
「あー、うちのクラスね、先生が昨日『明日は修学旅行の班決めするぞー』って予告したもんだから、昨日のうちに自分たちで勝手に決めちゃって。
旅行行くまでに文化祭の下準備もしておきたいから、やれることはさっさとやっちゃおうってことになったんだ」
「そりゃまた手早い仕事だな」
日野はえへへー、と自慢げに笑った。
たいしたもんだ、と思う。
どうせこいつのことだから、また中心的存在として動いているのだろう。
文化祭でのアンサンブル演奏の発端となったバザーの演奏会。
あれだって元は冬海が王崎先輩から頼まれたものだと聞いた。
なのに、やれ創立祭、やれ文化祭、と立て続けにコンサートが決まるうち、今ではすっかり日野がリーダーとして動いている。
演奏曲の選曲に始まり、アンサンブル練習の日程の調整、果てはメンバー間の意見の食い違いの仲立ちまで。
辛い時もあるだろうし、相当無理もしているはずだ。おまけにこいつ自身、人生を左右するような大きな選択を迫られているというのに、
普段はそんな素振りも見せずにニコニコと楽しそうに笑っている。
そんな日野が中心にいるからこそ、皆がアンサンブルに協力しているというのもまた事実。
だからこそ、ひとりで抱え込まずにもっと周りを── 俺を頼ってくれればいいのに、といつも思う。
けれど、こいつはいつも人を頼らず、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見ているから。
会話が途切れ、俺は頭の中で次の話題を必死になって探していた。
文化祭で演奏する曲を練習し始めた今は皆それぞれ個人練習をしているから、なかなか顔を合わせる機会がない。
『じゃあな』と言えば、日野は視聴覚室へ向かうだろう。だが、そうはしたくなかったから。
頭に浮かんだ話題はただひとつ── 日野が抱えている大きな選択のこと。
同じ選択を迫られた俺は、すでに答えを出している。
数日前、金やんに呼び出され、日野の目の前で『音楽科へ行きます』と宣言した時、こいつは『もう決めちゃったの !?』と目を丸くしていた。
あれからまだ何日も経っていないが、今現在どう考えているのか聞いてみたくなった。
「なあ、お前──」
「やあ土浦、今から練習?」
「…ああ」
俺の言葉を遮って、さっきの日野と同じ質問をしながら現れたのは、加地 葵── つい先日、日野のクラスに転校してきた男。
『普通科のよしみ』という、他のコンクールメンバーより1歩も2歩も日野に近いという俺のポジションを、『クラスメイト』というさらに近い位置に入り込んで奪っていった。
その上『日野のヴァイオリンのファン』と公言して憚らない彼の存在は、俺を焦らせ、イラつかせている。
転校してきて以来、女子たちがきゃーきゃーと黄色い声を上げるほどの加地の笑顔に、俺はいやな予感を感じた。
「日野さん、僕に何か手伝えることがある? それ、持って行こうか?」
「ううん、大丈夫だよ、これくらい」
「ふふっ、遠慮しなくていいのに。あ、そういえば谷たちは?」
「谷くんには視聴覚室の使用許可取りに行ってもらってる。須弥と乃亜はちょっと前に行ったよ。蓮山くんは日直だからちょっと遅れるって」
「そうなんだ。じゃあ、僕も先に行ってるね」
「うん、私もすぐ行くね」
加地は『土浦、またね』と笑った。その笑みに、優越感のようなものが混ざっているように見えたのは気のせいだろうか?
歩いていく加地の後ろ姿をぼんやりと見送りながら、今の2人の会話で俺の嫌な予感が当たったのを確信していた。
「……加地も、同じ班なのか…?」
おずおずと訊いてみる。
「うん。うちのクラス、何気にカップル多くてさ。気がついたら全部の班が『カップルとそのお友達』って組み合わせになっちゃってたんだよね」
日野は、あはは、と苦笑しながら、ぽりぽりと頬を掻く。よいしょ、と紙袋を抱え直してから、日野は少し緊張した表情で俺の顔を覗き込んできた。
「つ…土浦くんのクラスは…?」
「…うちは男子の班と女子の班にきっちり分かれてるな」
「へぇ…、そうなんだー」
……?
日野の顔から緊張が消えた── ように見えた。
と1人の男子生徒がバタバタと2組の教室に駆け込んで、すぐに中からひょこっと顔を出した。
「あれ、日野、まだいたの?」
「うん、日直終わった?」
日直、ということは、コイツが『蓮山』ってヤツか。そういえば体育の合同授業の時に顔を見た気がする。
「おう! なに? オレのこと待っててくれたワケ?」
「あははっ、違う違う、井戸端会議してただけだよ」
「……おい、俺は近所のおばちゃんか?」
俺がツッコむと、日野はごめんごめん、とケラケラ笑った。
蓮山は、ふーん、と呟きながら俺をちらりと見ると、日野の傍まで来て、はいこれ、とA4サイズを二つ折りにした茶封筒を差し出した。
「なに?」
「日誌持ってったら、担任が日野に渡してくれって」
「あっ、そうだ、先生もCD貸してくれることになってたんだ! 忘れてた〜」
日野は受け取った茶封筒を紙袋の中へと突っ込む。
と、蓮山は日野が持っている紙袋の縁をぐいっ摘んで、その中を覗き込んだ。
その瞬間、一瞬にして俺の全身の血が煮えたぎり、腹の底からどす黒いものが一気に押し寄せてくる。
2人の距離は、ほとんど額が付きそうなほど。
── 近すぎるだろ、お前っ!
俺は2人を引きはがそうと上げかけた手をぐっと握りしめた。
まだ想いを伝えることのできてない今の俺に、そんなことをする資格も権利もない。
………………。
あーそうだよ俺は日野のことが好きなんだよなんか文句あるかっ!
それを伝える勇気のない自分の不甲斐なさに、日々落ち込んでるんだよっ。
「へー、結構な数集まったじゃん」
「うん、でもほとんどアルバムだから、使える曲は少ないと思うけどね」
「あ、そっか、シングルの曲じゃねーとみんな知らないもんな」
「そういうこと」
俺の思いをよそに、2人は額の触れそうな距離のまま会話を続けている。
「んじゃ、早いとこ行って、さっさと済ませちまおうぜ」
「うん、すぐ行く」
日野がそう答えると、蓮山はかがめていた身体を戻して腰に手を当て、呆れたような顔で日野を見た。
「あのなあ、CD抱えたお前が行かなきゃ始まんねーだろうが」
「あっ! そうだよね、ごめんごめん! じゃあ土浦くん、練習頑張ってね!」
日野は小さく手を振ると、蓮山と並んで特別教室棟の方へと歩いていく。
途中、蓮山が『それ持ってやるから貸せ』と日野の腕から紙袋を抜き取り、日野が『ありがと』と礼を言って蓮山に笑顔を向けるのが見えた。
そして角を曲がった2人の姿は見えなくなり、俺はゆっくりと歩き始め、練習室へと向かう。
結局、どす黒い思いを抱えたままではまともな練習ができるはずもなく。
俺は早々に練習を切り上げ、学校を後にした。
* * * * *
窓の外を流れていく、見知らぬ風景。
あれから、日野とはアンサンブル練習で何度か顔を合わせたものの、まともに話をすることもないまま、修学旅行初日を迎えていた。
行き先は九州。東部から西部へと横断するルート。
飛行機からバスに乗り換え、最初の目的地・高千穂峡で滝やら川やらを見つつ、ぞろぞろと歩く。
どこへ行くにもクラス単位。集合場所でちらりと日野の姿を見かけることはあっても、声をかけることすらできない状態。
声をかけたからといって、この間の日野と蓮山ってヤツの楽しげな姿が頭から離れない今の俺に、楽しい話ができるはずもないのだが。
ポケットに手を突っ込み、ただ前のヤツの後ろについて歩く。風景なんて見ちゃいない。姉貴から借りたデジカメもカバンの中に突っ込んだままだ。
こんなことなら家でピアノを弾いてるほうがよほどマシだ。
ずっとそんなことばかり考えている俺は相当不機嫌オーラを出しているらしく、班のヤツらもほとんど俺に話かけてくることもなかった。
2日目。
阿蘇の大きなドライブインで昼食を取る。
団体客用の広いホールで食べるメシは、本当なら仲間たちとわいわい楽しいものなのだろうが、俺にとってはただ空腹を満たすだけのものでしかない。
さっさと食べ終わり、ふらりと外へ出て時間を潰す。
しばらく経って時計を見ると、集合時刻までまだ時間があった。旅行に来させてもらってるのだから土産のひとつくらいは買って帰らないと後がうるさいだろう、
と俺は土産売り場へと向かった。
広い売り場は見渡す限り星奏の生徒だらけ。まあ、250人もの団体旅行なのだから当然ではあるが。
ふと、ある一画に目が止まる。
「………日野…?」
日野は売り場のワゴンから手のひらに乗るほどの小さな木箱を取り上げてはじっと見つめ、再びそれをワゴンに戻す、という作業を熱心に続けていた。
土産ひとつにそんなに必死にならなくても── あいつらしいとはいえ、思わず吹き出しそうになる。
何がそんなにあいつを悩ませているのか知りたくなって、一歩足を踏み出した時──
「おーい、日野日野〜! こないだお前が言ってたの、これじゃねぇ?」
大きな声が辺りに響く。声の主はやっぱりアイツ── 蓮山か。
日野は手にしていた小箱を元の場所に戻すと、頭の上で土産物の菓子箱を振っている蓮山に駆け寄っていった。
「あー、それだよそれ!」
なになに、と近くにいた加地や日野の友人たちが集まって。
「この前、お隣が熊本旅行したからってお土産にもらったの。おいしかったから絶対買わなきゃって思ってたんだ」
日野は蓮山から箱を受け取りながら、嬉しそうに友人たちに話す。
「でも蓮山くん、よく覚えてたね〜」
「まーな。普通、土産の菓子ってたいしてウマくねーじゃん? 同じ買うんなら、ウマいってわかってるヤツ買ったほうがいいだろ」
「じゃあ私も買おうっと」
「日野さんのオススメなら、僕も買わなきゃ」
耳に入る楽しげな会話に苛立ちを覚え、俺は踵を返してその場から立ち去った。