■ニコロデオン【後編】
3日目は長崎市内を回ってから、午後からはオランダの街並みを模したテーマパークでの自由行動。
半日とはいえ、パークのすぐそばのホテルで宿泊のため、結構長時間遊べるらしい。
どこから行く?とはしゃぐ班のヤツらのテンションの高い声をずっしりと重い気分で聞きながら、入場の時にもらった園内ガイドを眺める。
── あ…。
「……悪ぃ、俺、単独行動させてもらっていいか?」
なんで、と問う友人たちに行き先を言うと、そこに興味のないそいつらはあっさり受け入れる。
合流する時は電話することを約束して、俺はひとり、目的の場所へと向かった。
目的地の近くまで来たところに見えたのは挙動不審なひとりの女子生徒。
誰だろう、と疑問に思うまでもなく後ろ姿だけでも判別できるその人物は、きょろきょろと辺りを見回しては、手元のマップを見て、また辺りを見回して。
小動物のような動きに思わず笑いがこみ上げてくる。
「よう、何やってんだ、日野」
跳ねるように振り返った日野は、よほど驚いたのか大きな目を真ん丸く見開いていたかと思うと、ふぅ、と息を吐いてニコリと笑った。
「土浦くんかぁ…、あーびっくりした」
「悪い悪い、驚かせるつもりじゃなかったんだが」
ぐるりと周りを見回すと、うちの生徒がちらほらと歩いてはいるものの日野の連れらしき姿はない。
「…… 他のヤツらは?」
「うん、ちょっと別行動」
「はぐれたのか?」
「ううん、どうしてもひとりで行きたいところがあって」
いつもなら真っ直ぐ相手の目を見て話す日野が、ほんの少し俺から視線を外した。チクリと胸が痛む。
「へえ……」
俺はじゃあな、と日野の横を通りすぎる。
と、腕をぐいっと引っ張られ、たたらを踏んだ。
「つ、土浦くん、今ひとり…?」
必死の形相で上目遣いに見上げてくる日野。
「…ああ、まあな」
「ね、ここってどう行けばいいかわかる?」
俺に向けて突き出したマップの上で、日野のほっそりした指がある場所を指し示した。
── そこは今まさに俺が向かおうとしていた場所。
心臓がドクンと大きく脈打った。それを表に出さないように、必死に隠して。
「…ああ、これならすぐそこだぜ」
「えっ、そうなの !?」
「連れてってやるよ」
「やった、助かった〜」
先に立って歩く俺の後ろを、日野がちょこちょこと小走りで追いついてくる。
そして、さっき日野と出会った場所からほんの10メートルほど歩いたところで立ち止まる。
ミュージアムエリアにある『オルゴール博物館』の建物がそこにあった。
「えーっ、こんな近かったのー !?」
「だな。あんな近くまで来ておいてたどり着けないってのも、ある意味すげーな」
俺が笑いながら日野の頭にぽんと手を乗せると、日野はぷくっと頬を膨らませた。
「悪かったわね、どうせ私は方向音痴ですよーだ」
「ま、なんにせよ、たどり着けてよかったな」
「うん、ありがとね、土浦くん」
ふくれっ面は消え、ニコニコと嬉しそうに笑う。
「日野──」
一緒に、と言いかけて慌てて言葉を飲み込んだ。
俺の目的地もこのオルゴール博物館だった。他のアトラクションを回る気にもなれず、ピアノも弾くこともできないのなら、せめて音楽を聞いて時間を潰そうと思っていたのだが。
だが、こいつはさっき、『どうしてもひとりで行きたいところがある』と言っていた。それがこの博物館なのであれば、俺が一緒に入るのは遠慮したほうがよさそうだ。
時間を見計らってまた来よう。
「ん?」
「あ、いや……じゃあ、俺は行くぜ」
「えっ !?」
俺が踵を返したところで、携帯の着信を知らせる電子音が鳴り響いた。自分の携帯の音とは違うから、残るは日野。
「あっ、待って待って!」
日野は大慌てで手に持っていた小さなバッグの中をあさっている。
今の『待って』は鳴り続ける携帯に向けられたものか、それとも俺に向けられたものか── 俺は自分の都合のいいように解釈して、足を止めた。
「もしもしっ! あ、須弥?
── うん、着いた。
── あはは、迷ってたら土浦くんに拾われちゃった。
── うん、ありがと。
── ええっ、な、なにそれっ !?
── わかったわかった、そっちも頑張りなよ〜。
── うん、じゃあね!」
ピッ、と通話を切って、畳んだ携帯をバッグに戻した日野が、ふぅ、と大きな溜息を吐いてガクンと項垂れた。
「どうした?」
「…うちの班、バラバラになっちゃったんだって」
「は?」
「私が抜けた後、乃亜と谷くんが抜けて……あ、乃亜と谷くんは絶賛オツキアイ中なんだけどね。その後、月森くんの班と合流したんだって」
「はぁ? なんで月森──」
俺の声が大きかったせいか、日野は慌ててシーッっと口元に指を立てた。それから、手を口の横に添えて、内緒話の体勢に入って俺をじっと見上げる。
周囲に人影はないのだが、そこは日野のこと、律儀というかなんというか。
俺はゆっくりと日野の口元に耳を寄せた。
「あのね、月森くんの友達の内田くんっていうヴァイオリンの子のが須弥の好きな人でね、加地くんがそのこと知ってるから、
月森くんたちの班に会って一緒に行こうって誘ってくれたんだって」
小さな声で囁く日野の吐息がかかる耳にだけ神経が集中していく。
別に誰と誰が付き合おうと、誰が誰を好きだろうと関係ない。
『お前は蓮山ってヤツが好きなのか?』『お前と蓮山は付き合ってるのか?』と問い詰めてしまいそうになるのを必死に堪えつつ。
今はただ、小さな秘密を日野が共有させてくれたのが嬉しい、なんて考えている俺は相当マヌケなのかもしれない。
平静を装って、へぇ、と呟きつつ身体を起こす。
内緒だからね、と日野は唇に指を当てて、俺に念を押した。
「わかってるって── じゃあな」
俺は再び踵を返す。
「えっ、土浦くん見て行かないの? オルゴール」
予想外の日野の言葉。てっきり『じゃあね』と返されると思っていたから。
「…いや、お前、『ひとりで行きたい』って言ってただろ? 邪魔しちゃ悪いしな」
日野はブンブンと頭と手を振って、
「違うの違うの、ひとりっていうのはそういう意味じゃなくってっ!」
大慌てで否定しておいて、博物館の入り口を指差した。
「せっかく会ったんだから、一緒に入ろうよ」とニコリ。
俺が小さなガキなら両手を挙げて飛び上がって喜んだだろう。さすがにそんな真似など今の俺は恥ずかしくてできるはずもないが。
「……じゃ、行くか」
俺は日野の頭をぽんと叩くと、建物の中に足を踏み入れた。
オルゴール博物館は2階建て。
入ってすぐの1階にはストリートオルガンが展示してあった。
その大きさと装飾の派手さは、昔の金持ちの道楽をそのまま表すほどの迫力だった。
見た目だけではなく、その音もド迫力。これ1台だけでオーケストラさながらの豊富な音色を奏でている。
すごいすごい、と目を輝かせている日野が微笑ましい。
2階に上がると、そこはオルゴールのフロア。
ジュークボックスのような大きいディスクオルゴールは、一度に鳴らせる音も多く、音色も豊か。
「へー、こういうのもあるんだ〜」
回転するディスクをじっと見つめながら、日野は感嘆の声を上げる。
「普通さ、筒に爪がついてるやつが回って、櫛みたいなのをはじいて音出してるじゃない?」
「あー、それはシリンダー式のヤツな」
「へぇ、シリンダーかぁ……そのシリンダーが楽譜みたいなものなんだよね」
「ま、そうなるな」
と、日野は俺の顔を見てクスッと笑った。
「な、なんだよ」
「あれって、楽譜が直接ピアノ弾いてるように見えるよね」
「は?」
言われてみれば、あの形で連想するのはヴァイオリンよりピアノのほうがより近いけれど。
日野はまだクスクス笑い続け、
「土浦くんが身体じゅうに音符くっつけてクルクル回ってるの、想像しちゃった」
「ぶっ……お前なあ…」
思わず想像して頭が痛くなる。なんつー想像してくれるんだ、こいつは。
「でも、オルゴールの音色っていいよね。最初は『同じ曲でも音色で印象違うんだな』くらいにしか思ってなかったんだけど」
その言葉にふと思い出す。
自宅の勉強机の引き出しの奥にしまってあるもの。
教会のコンサートの時、日野と回ったバザーで見つけた小さなオルゴール。
小さな箱が奏でる『エリーゼのために』を聞いて、日野は『大切な思い出の曲』と微笑んだ。
その時は出番が迫っていたこともあって、元あった場所に戻したのだが、その微笑みが気になって演奏の後で急いでバザーに戻って買い求めた。
別に買ったからといってどうこうしようと思ったわけではなく、ただ持っていたくなっただけ。
「欲しい曲があるんだけど、なかなか出会えないんだよね。昨日もちょっと探してみたんだけど、土産物のオルゴールって、少し前に流行ったポップスとかが多くて」
あぁ、昨日土産物屋で必死に見ていた小箱はオルゴールだったのか。
「…何の曲、探してるんだ?」
「えと……ヒミツ」
日野はほんの少し頬を赤らめて、小さく笑う。
俺はそれ以上追及する気にはなれず、回転しつづけるオルゴールのディスクをぼんやりと見つめた。
くいっ、と袖を引っ張られた。見ると日野が『次行こ』と奥を指差していた。
向かったのは奥の小さなホール。
そこには年代物のアップライトピアノがあった。
普通のアップライトよりもずいぶんと背が高い。ピアノの上にチェストを乗せたような。
「これこれ、これが見たかったんだよね」
ずいぶんと嬉しそうな顔をする日野。
そして聞こえて来た音は──
「ヴァイオリンとピアノの自動演奏楽器なんだって」
弾むような声でそう告げた日野を見れば、笑みを浮かべたまま静かに目を閉じて、流れてくる曲に耳を傾けていた。
…どういうことだ?
『ヴァイオリン』と『ピアノ』という組み合わせに意味があるのだろうか?
仲のいい友達と別れてまでひとりでここに来たことに意味はあるのだろうか?
都合のいい方向へ向かう思考を振り払い、機械仕掛けのピアノへと視線を戻す。
ピアニストもいないのに音に合わせて上下する鍵盤は、見るたびに不思議な気分になる。
付け足されたチェストのような部分の開け放たれた扉の中に、ネックを下に向けて吊るされたヴァイオリンが3本。
どういう仕掛けかわからないが、弦のアンサンブルを響かせている。
流れる曲は耳に入っているはずなのに、自分の心臓の音だけがやけに響いているような気がしていた。
たっぷりと音楽を堪能した後。
ぞろぞろと入ってきた音楽科のヤツらと入れ替わるようにしてオルゴール博物館を後にした。
今は『迷子を届けてくれたお礼に何か飲み物でも』と言ってきかない日野と、休憩場所へ向かっている。
何か聞こえたと思って日野を見ると、眉間に皺を寄せて腕を組み、ブツブツと呟いていた。
「何ブツブツ言ってんだ?」
「うーん、さっきの自動演奏のやつ……てっきりヴァイオリンとピアノのデュオだと思ってたんだけど、カルテットだったんだね…」
「はぁ?」
「…え?」
思考の奥底から我に返ったのか、目を見開いた顔を俺に向け、ボッと一瞬にして真っ赤に茹で上がった。
「なななななんでもないっ! ほ、ほらっ、この3日間ヴァイオリン触ってないし、さっきの見てたらヴァイオリン弾きたくなっちゃったなー、なんて。あ、あはははっ」
その見事なまでのうろたえっぷりに、思わず吹き出した。
「もうっ、なんで笑うのよっ! 土浦くんだって、ピアノ弾きたくなったでしょっ!」
「そりゃあな。休んだ分、月曜からが恐ろしいぜ」
「だよね〜」
旅行明けに思いを馳せたのか、日野は憂鬱そうに溜息を吐いた。
『帰ったらデュオやろうぜ』── そう言ったらこいつはどんな反応をするだろう?
知りたいとは思うが、どうせ文化祭が終わるまでは身動きとれないだろうから、それは言葉にせず。
それより今は──。
「── 日野、次はどこ行く?」
「…え?」
「お前みたいな方向音痴、放り出すわけにいかないだろ」
一緒にいたい、という本心を、いつもの軽口の中に隠して。
その後見せた日野の笑顔で、俺の心の中はすっかり晴れ上がっていた。
* * * * *
旅行から戻った俺たちはなんとかアンサンブルを完成させ、文化祭のステージは無事成功に終わった。
旅行明けに降って湧いた学院分割問題を阻止すべく開催したクリスマスコンサートも大盛況だった。
そして今、俺は桜の花の舞い散る道を香穂と並んで歩いている。
2人揃ってオフホワイトのジャケットにモスグリーンのボトム。
あれからいろいろあって、香穂の思い出の曲『エリーゼのために』のオルゴールは俺の机の引き出しの中から香穂の手元へと渡っている。
学校への道を歩きながら、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。ずっと聞きたいと思っていたけれど、あまりに慌しく過ぎていく日々の中で忘れ去られそうになっていた小さな疑問。
「なあ…、修学旅行の時、なんでひとりでオルゴール博物館に行ったんだ?」
「えっ、な、なによ、突然。い、いいじゃない、そんな前のこと」
明らかにうろたえて、挙動不審になる香穂。完全に目が泳いでいる。
「迷子になってるお前を拾ってやった恩を忘れたのか?」
「それは感謝してるけど……いいでしょ、私がひとりでどこに行っても」
俺は拗ねてそっぽを向く香穂の方へ身体を寄せて、肩にドンと軽くぶつけてやる。
「ほら、吐け」
「あーもうっ!」
顔を真っ赤に染めた香穂が口元に手を添えて、上目遣いでじっと見つめてくる── 相変わらずの仕草に、俺は迷わず香穂の口元に耳を寄せて。
そして俺の耳元で囁かれたのは──
「……あそこに行けば、絶対梁太郎に会えると思ったからっ!」
〜おしまい〜
【プチあとがき】
お待たせしてごめんなさいっ!
勝手ながら『土浦のヤキモチ』『修学旅行ネタ』を一緒にさせていただきました。
クラスが違うから、当然土浦もやきもきするだろう、と思いまして。
前編で出てくる蓮山くんは、実際にいるモブキャラです。
普通科2年、元気タイプ。勝手にクラスメイトにしちゃいました、えへっ。
時期を考えて、コルダ2連鎖ルートがベースになっております。
コミックス派の方でもわかるような展開に、と思っていたのですが、書いてるうちにこんな感じに。
あうぅ、ごめんなさい…。
タイトルの『ニコロデオン』は、オルガンや打楽器を複合させた自動演奏楽器の名前、だそうで。
ま、CSのアニメチャンネルにも同じ名前のチャンネルがありますが。
Vn・Pfの自動演奏楽器とは違うものでしょうが、名前の響きが可愛かったもので。
そして、登場したテーマパークはもちろんハウ○テン○ス。
行きてぇ、ハ○ステ○ボスっ!
2度ばかり行ったことはあるんですが、オルゴール博物館の記憶まったくナシ!(笑)
行ったのって20世紀の頃だからなー。
そんなわけで館内の細かい描写ができなくてごめんなさい。
まこりんさま、Saiさま、リクエストありがとうございました。
【NOTICE】
このSSは、リクエスト主さまに限り、お持ち帰りフリーです。
サイトをお持ちの場合、掲載していただいてかまいません。
その場合、当サイトへのリンクは任意としますが、このSSが『神崎悠那』作であることを
必ず明記してくださいますよう、お願いいたします。
【2007/11/03 up】