■土浦梁太郎の憂鬱【Act.1】
春休みのとある休日。
土浦梁太郎と日野香穂子はショッピングモールで俗に言う『デート』を楽しんでいた。
少し前、ささやかな男のプライドによって気持ちがすれ違い── というより土浦が一方的に香穂子を放置したのだが──、『気まずい』という言葉以上に気まずい思いをした二人であったが、
愛すべき親友の尽力と土浦の改心によってなんとか関係修復にこぎつけ、現在はこれまでよりもさらに絆を深めたとか。
── 結果、おそらく今後、土浦は香穂子に頭が上がらないだろうと思われる。
今日は香穂子の手にヴァイオリンケースはない。練習抜きの純粋なデート。
ショッピングや食事を楽しんだ後、二人は楽器店に足を運んでいた。
目的はヴァイオリンケース。
指揮の勉強のためにヴァイオリンを習い始めた土浦は、指導を受けている王崎の好意でヴァイオリンを譲り受けたのだが、
手入れされ続けていたヴァイオリンはともかくケースはさすがに古く、買い替えを勧められたのだ。
ヴァイオリン属の弦楽器が並べられたショーケースの前で足を止める。
ガラス棚の上にちょこんと鎮座した小さな分数ヴァイオリンを見て、『やーん、可愛いーっ』とはしゃぐ香穂子の姿に目を細めつつ。
土浦の目的のものは、そのショーケースの最下段に置かれていた。
香穂子が持っているようなトランク型ではなく、しずくを長細くしたような形。
グラスファイバー製で、カラーバリエーションも豊富だ。
別にトランク型が嫌なわけではない。むしろ持っている人間がごく身近にいるだけに馴染みがある。
が、自分が持った時にどちらが違和感がより少ないか、と考えた上での選択だった。
ネットで下調べをした時、カラーにメタリックグリーンのあるこのタイプを見つけ、値段と取り扱い店を確認して、今日に至る。
ここに展示されているのはメタリックレッドなのだが、頭の中で色を置き換えてみて、なかなかいいかも、とひとり悦に入ってると、隣にいた香穂子が「あ!」と小さく叫んで、
その場にしゃがみ込んだ。
「どうした?」
「これ、いいなぁと思って」
「えっ」
香穂子が指差す先にあるのは、今まさに土浦が眺めていたメタリックレッドのハードケース。
「…お、お前もケース、買い換えるのか?」
考えていたことを見透かされたような気がして、少々声に動揺が現れる。
「うーん、今すぐ欲しい!ってわけじゃないんだけどねー」
今持ってるやつにも愛着あるし、と呟いて。
「でも、こういうタイプならリュックみたいに背負えるから、手が自由になるじゃない? それに、雨の日なんかはアコーディオンみたいに身体の前にかけて傘を差せば、
濡らさなくて済みそうだし」
なるほど、と素直に納得した。以前、雨の日にヴァイオリンケースを濡らすまいと悪戦苦闘する香穂子を見たのも1度や2度ではない。
「── じゃあ、買えよ」
香穂子は首を横に振る。
「持ち合わせもないし…、買うならまた今度、だね。それより、今日は梁のケースを買うんでしょ? どれにするの?」
「俺は……」
しばし躊躇い、赤いケースを指差して、
「── これのグリーンのヤツ」
嫌な予感がする── 土浦の予想通り、香穂子は『え?』と訝しげに眉を寄せて、ほんの少し首を傾げた。
目の前の赤いケースを買えと促しておいて、自分はその色違いを買う、と言ったのだ。香穂子の反応も当然と言えるだろう。
「……これ、買うの?」
「……俺は前もっていろいろ調べた上で、このケースを買いに来たんだよ」
「ふ〜ん」
「…な、なんだよ、その目は」
言い訳でもなんでもなく、事実を述べただけである。なのに、しゃがんだまま見上げてくる香穂子のジトっとした視線がやけに突き刺さる。
「なんか……、気、遣ってる?」
「な、なんで俺がお前に気を遣うんだよ?」
「ほら、いろいろあったし」
「う……、頼むから蒸し返すな」
痛いところを突かれ、あまりの居心地悪さに視線を外して頭を掻く。気を遣っているつもりはなかったが、香穂子が発するサインを見逃すまいと努力していることは、
すなわち『気を遣っている』ことになるのだろう。
「── さて、ここで問題です」
すっくと立ち上がった香穂子は真顔でぐいっと土浦に詰め寄ると、ピンと立てた人差し指をビシリとその鼻先に突きつけた。その勢いに思わず仰け反る土浦。
「この後、土浦梁太郎は日野香穂子に対して、何と言うでしょうか? 次の3つからお選びください──
1、『お前がこれを買うなら、俺は別のヤツにするぜ』
2、『俺がこれを買うから、お前は買うのをやめるか別のヤツにしろよ』
3、『せっかくだから、色違いのおそろいにしようぜ』
──さあ、何番?」
「はぁっ !?」
ある意味、究極の三択である。
「何番?」
香穂子は回答を急かすように、さらにぐいっと顔を近づけてくる。
恐らく── というより確実に香穂子の求める答えは3番だろう。嬉々としてしゃべっているクラスの女子の会話の中に、
『これ、カレシとおそろなの〜』とかいうセリフが出ていたのを聞いたことがあった。
香穂子もまた、『カレシとおそろい』に憧れていたひとりなのかもしれない。
そうなると、1と2を選べば香穂子の機嫌が急降下するのは明白である。
土浦はごくりと唾を飲み込み、
「…さ、3番…」
すぅっと細めた香穂子の目に、ジトジト感がさらに増す。
「…ほんとは『俺は女とおそろいなんてまっぴらゴメンだが、それでコイツの機嫌がよくなるなら我慢するか』とか思ってるんじゃないの?」
「お、思ってるわけないだろっ」
力いっぱい否定したものの、こめかみにつぅと伝う冷や汗。
実は半分は正解だったりする。
街で見かけるカップルがペアルックなんぞ着ているのを見ると、恥ずかしげもなくよくやるな、と常々思っていたし、口にも出していたから。
が、言われてみれば自分もペアルックと同じようなことをしようとしていたわけだ。
いや、香穂子の機嫌を気にしつつ『3番』を選んだ時点で、後半も正解か?
まあ、ヴァイオリンを専門とする香穂子と違って、自分はヴァイオリンを学校へ持っていくことはないから、色違いだろうがおそろいだろうが特に問題はないだろう、と自分を納得させて。
まだ鼻先にあった香穂子の指を掴んで、ぐいっと下げた。
「お前が赤、俺が緑── それでいいだろ? ……それより、俺が選んだヤツを気に入ったお前の趣味を誉めてやるよ」
口の端をぐいっと上げ、できるだけ鷹揚な態度を装ったつもりだが、果たして香穂子からはどのように見えたのか。
香穂子はふーん、と呟いて、片手を土浦に預けたまま、赤いケースが収められたガラスの中を覗き込んだ。
「……ま、いいや。じゃあ、明日もう一度来よう? 私、お金用意しとくし」
「お、おう」
「あ、梁は今日買って帰る?」
「いや…、俺も明日でいい」
「そっか……じゃ、そろそろ帰ろっか」
香穂子は土浦の腕に自分の腕を絡め、店の出口へと引っ張っていく。
その後、香穂子が自宅の玄関に姿を消すまで上機嫌に見えたのは気のせいではないだろう。
自宅への夜道を足早に歩きつつ、こういうのもたまにはいいか、と口元を緩ませる土浦梁太郎であった。
【プチあとがき】
この話の中の香穂子さんは、相当『放置プレイ』を根に持ってらっしゃるようで(笑)
タイトルに反して、土浦がほとんど憂鬱じゃないっすね〜。
まあ、それは次回で(笑)
このタイトル、おや?と思ったでしょ?
でも、あたしはハ○ヒは知りません。知ってるのはタイトルだけでございます。
【2007/10/01 up】