■愛しのディーヴァ【3】 土浦

「── 続いての登場は『Stellato』のみなさんです!」
 場内に響くアナウンス。
 出番を終えたバンドが向こう側の袖にはけて行く。
 楽器を持った俺たちがステージに出ると、客席からキャーと黄色い声が飛んできた。
 春のコンクールで競い合ったライバル同士がバンドを組んだなんて、いい見世物なのだろうが。
 スタンバイが完了し、6人が一斉に袖で待つ日野を見た。
 コクリと小さく頷くと、日野は胸の前でマイクを握り締め、目を閉じてすぅっと深呼吸をする。
 そして目を開けた時、日野の目はヴァイオリンを手に舞台に上がる時の、キラキラと輝く自信に満ちた目になっていた。

 日野の登場で会場から野太いどよめきが起きた。
 ステージ中央でぺこりとお辞儀をして、ドラムの火原先輩を振り返る。
「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー!」
 クラシカルなアンサンブルとは違い、アンプを通しての激しい音の奔流に客席がワッと沸いた。
「Yeah!」
 日野のヴォーカルが加われば、さらに客席はヒートアップする。
 ステージを右に左に、曲に感情を吹き込むように大きく身体を動かして──。

 そして問題の間奏。
 まずは加地のギター。
 ダッと駆け寄り背中合わせになると、すっかりこの学校に溶け込んだ加地のファンだろうか、悲鳴のような声が上がった。
 日野は少し唇を尖らせて、曲げた膝を高く上げ、そこにギターがあるかのように引き真似をする。
 次はリズム楽器。
 志水から受け取ったタンバリンを打ち鳴らし、背後で志水が楽しそうにシェイカーを振る。
 前に戻ってもう1本のギター。
 月森と背中を合わせた時にも悲鳴が上がる。
 今度はエアギターはせず、リズムを取りながら客席からの手拍子を求めるように頭の上で手を叩いていた。
 そして次は俺。
 背中を合わせようと少し身体をひねると── 日野は俺の左肩に手を置き、ベースを弾く手元を覗き込むように腕に寄り添ってきた。
 ── 打ち合わせと違う !?
 パニクる暇もなく曲は進んでいく。
 リズムを取るたびに腕に当たる柔らかな感触と、腕の上で揺れて掠めていく彼女の髪が、モスグリーンの制服の袖を通して肌をくすぐるような妙な感覚に陥った。
 彼女の身体で腕の動きが遮られ、弾きにくいことこの上なかったが、ずっとこのまま演奏していたいと思う。
 けれど無情にも8小節のソロはあっという間に終わってしまった。
 次に駆け寄ったキーボード── 一層高い悲鳴が会場を震わせた。
 柚木先輩が一歩身体をずらし、低音部の鍵盤を明け渡す。
 先輩の演奏に合わせ、日野は和音でリズムを刻んだ。
 そこに準備してあったスティックを掴むと、日野は最後部に向かってダッシュ。
 他の楽器のソロの間中、ずっとバスでテンポを取っていたドラムにスポットが当たる。
 ここでの日野の担当はシンバル。
 火原先輩の意外にも華麗なスティック捌きに、日野のシンバルが華やかさを添えた。
 そして後半のヴォーカル。
 この時には、会場は興奮に包まれ、総立ち状態になっていた。

「お疲れさまー!」
 リハ室に戻り、労いの言葉をかけながら楽器を片付ける。
 明日もアンサンブルのステージが控えているために打ち上げができないことを残念がりながら、今日のところは解散することになった。
「あ、土浦くん!」
 最後に部屋を出ようとした俺の背中に、制服を直すからとひとり残っていた日野の声がかかる。
「どうした、日野?」
 パイプ椅子に座っていた日野はよろっと立ち上がると、胸の前で手をモジモジさせる。
「えーと……ごめんね、打ち合わせと違うことやっちゃって」
 腕に感触が蘇ってきて、答えることすらできず顔が熱くなる。
「なんていうか、身体が勝手に動いちゃったっていうか、無我夢中だったっていうか!」
 黙っていることで俺が怒っていると勘違いしたのか、日野は早口で捲し立てた。
 そんな慌てた様子が可笑しくて、俺はぷっと小さく吹き出した。
「いや……お前って、意外と芸達者だったんだな」
「もうこりごりです! こんなの二度とごめんだよ!」
「ははっ、お疲れさん。今日はゆっくり休んどけよ」
「ありがと。また明日ね」
 小さく手を振る日野に向かって肩越しにひらりと手を振り返し、俺は部屋を出た。
 扉があと数センチで閉まるというところで、中からガタンと小さな物音がした。
 思わず部屋の中を覗き込んだ俺の目に映ったのは、ゆらりと揺れる日野の姿。
 パイプ椅子がさっき見たときよりも少し後ろにずれていた。
 日野の身体がふっと力の抜けた膝から崩れるように倒れていく。
「日野 !?」
 慌てて駆け寄り、崩れ落ちる日野の身体を抱きとめて、ゆっくりと床に座らせた。
「おい、大丈夫か !?」
 骨がすっかり溶けてしまったかのような日野の身体は、俺の胸にぺたんとくっつけた額と、二の腕を掴む俺の手でかろうじて支えられている状態だった。
「……なんか……力…抜けちゃって……」
「い、椅子に座るか、壁にもたれるかしたほうが──」
「ごめん…無理……動けない……」
 緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのだろう。『芸達者』と俺が評したあのパフォーマンスも、緊張の極限を超えたところにあるハイな状態だったに違いない。
 もしかして、コンクールの第1セレクションの後もこんな状態だったのだろうか?
 気付いていれば支えてやったのに。
 けれどコイツはそんな弱い部分を人に見せない。
 現に今だって、俺が物音に気付かずに立ち去っていれば、今頃この部屋でひとり倒れていたのだから。
 少しは人に弱みを見せてもいいのに── その相手が俺ならばいいのに──。
 不意に脇に何か触れるのを感じて我に返る。
 見下ろすと、日野が俺の制服を弱々しい手で掴んでいた。
 こういう状況に甘んじていることと、すがるように制服を掴むその手に、俺は自惚れてもいいのか…?
 日野が触れている胸と脇、そして日野を支える両手が熱を帯びているのは気のせいではなかった。

 翌日。
 俺たちの元にバンドコンテスト優勝の賞品が届き、昨日と同じ講堂のステージには、草色の艶やかなドレスを身に纏う彼女が奏でる、自信に輝く歌うような音色が響き渡った。

〜おしまい〜 →【おまけ】

【プチあとがき】
 あれっ? 最初の予定と展開が違うぞ?
 尻切れトンボ気味ではありますが、本編完結。
 おまけもどうぞ。

【2007/04/02 up】