■愛しのディーヴァ【2】
「すごいよ日野ちゃん! 本物のヴォーカリストみたい!」
「うん、やっぱり僕が思っていたとおりだね!」
「さすが日野さん、ってところかな」
演奏し終えて、日野は一斉に賞賛を浴びる。
確かに日野の歌声は、どうしてあれほどまでにヴォーカルを拒絶したのかわからないほどのものだった。
ちゃんと訓練すれば、もしかしたらその道でもやっていけるかもしれない。
「やだな、そんなに誉めないでくださいよー、もう、いっぱいいっぱいなんですから」
上気した顔を両手でパタパタと扇ぎながら、困ったように顔をしかめている。
「でもさー、なんか硬いんだよねー」
自称プロデューサーの天羽が舞台に頬杖をついて、片手に持ったペンを振り回していた。
「そう…かな…?」
「スタンドやめて、マイク、手に持ってみない? ステージをもっと大きく使おうよ、スターになった気分でさ!」
そして再びの演奏。
マイクを手にした日野が、天羽の指示に従って、リズムを取りながらステージ上を歩き回る。
最初はぎこちなかった動きが、曲が進むにつれてだんだんと様になってくる。
音楽の妖精に見込まれただけのことはあって、日野には天性の音楽の才能があるのかもしれない。
楽しそうに歌う日野の姿を目で追いながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
日野がちょうど俺の前に来た時、向きを変えようとクルリとターンした。
勢いのよいターンは当然の如く、その短いプリーツスカートをふわりと舞い上げる。
かっと顔が熱を持つのを感じた。
その動揺は頭の中に叩き込んでいた音符を一瞬にして掻き消した。
指は見当違いの弦を弾き、スピーカーから聞こえたのはベースの見当外れな音の響き。
俺はベースを弾くのを一瞬やめ、頭の中でリフレインする光景を必死に振り払い、消えた音符をなんとか手繰り寄せ、2小節後から戦列に復帰した。
「うん、いいよいいよ! 優勝間違いなし!」
親指を立ててGoodのサインを出す天羽、その隣で冬海がパチパチと拍手をしていた。
「えーと、日野ちゃん」
天羽はたたっと舞台に駆け寄り、日野に向かって手招きをする。
床の上にぺたりと座り込んだ日野の耳元で天羽が何かを囁くと、日野の顔がみるみる赤く染まっていった。
同じ高さにいた自分があれほどドキリとさせられた光景をステージ下からの目線で見ればどういうものだったのか、天羽はそれを日野に告げたに違いない。
その証拠に、本日のラストといって始めた演奏での日野の動きはガチガチに硬くなっていた。
まあその辺りのことは天羽がうまく対策を練るだろう。
観客の男たちの『そういう目』を日野に向けさせるわけにはいかないのだから。
頼んだぞ天羽、といつもは鬱陶しい報道部員に心から願っていた。
そして迎えた本番当日。
3日前の全員初合わせの練習の最後に天羽が思いつきで口にしたパフォーマンスはほぼぶっつけ本番に近いのが不安ではあるが、これが終わればひとつ肩の荷が降ろせる。
その問題の天羽のアイディアとは──
「間奏のギターソロ、あそこはやっぱりギタリストとヴォーカリストが背中合わせでエアギター!だと思うんだよね」
天羽の言いたいことはよくわかる。プロのアーティストのライブ映像なんかで見たことがある。
しかし……。
「嬉しいな、ソロを買って出ておいてよかったよ」
予想通り加地が満面の笑みを浮かべる。
「えーっ、ずるい! おれも日野ちゃんと背中合わせしたい!」
こちらも予想通り、火原先輩が抗議の声を上げた。
「ドラムはさすがに無理だと思うよ、火原」
「えー」
「背中合わせ……いいですね」
…… 志水までが天使の微笑みを浮かべてのんびりとそう呟いた。
「まあまあまあ、それなら平等にそれぞれの楽器のソロを増やして、それに日野ちゃんが絡んでいくっていうのはどうです?」
「天羽ちゃんナイスアイディア!」
天羽の出した提案にすかさず火原先輩が食いついた。
正直、俺の心の中は複雑だった。
天羽の案が却下されれば加地のギターソロとのパフォーマンス。
受け入れられれば、俺のソロとも絡むけれども、全員にソロが与えられ平等となる。
そして、たかが数秒のパフォーマンスのことで頭を悩ませている自分の思考が一番よくわからない。
いや、よくわかっているから悩んでいるのか──。
こんなことになるのならギターに立候補してソロを請け負っておくんだった、と思っているのだから。
結局、8小節ほど与えられたソロパートは各自考えることになり、今日までの2日間の空き時間でそれぞれが日野と打ち合わせをした。
もちろん昨日行われた全バンド参加の通しリハーサルでは披露していない。
本番の舞台でソロの流れを繋ぐ大役は、日野の細い両肩にズシリと圧し掛かっていた。
講堂のリハーサル室で軽く音合わせ。
日野は別の場所で発声練習をしているはずだ。
コンコンと扉がノックされ、ひょこっと顔を覗かせたのは天羽。
「Stellatoのみなさん、練習お疲れさまでーす! みなさんの大事な歌姫の支度ができましたよー!」
支度、といっても俺たちは皆制服だし、日野も特に衣装は用意しないと言っていたはず。
ほら日野ちゃん、と天羽に引っ張られた日野が戸口に姿を見せた。
「わあ〜、日野ちゃん可愛い!」
火原先輩が声を上げる。他のヤツらもうんうんと頷いていた。
日野は真っ赤な顔でもじもじしながら、やっぱりこんなのやだよ〜、と天羽にすがりついている。
── 確かに制服なのだが。
肘の辺りまで袖を折り返し、スカートの裾には金色のテープを貼り付けたラインが2本。
それだけでいつもの制服の印象がぐっと変わっている。
さらに右の耳の上を編みこんで、その上に乗せられた薄く透けた布をくしゃりとまとめたような新緑の色の大きな花が赤みの強い日野の髪によく映えていた。
靴はいつもの靴だが、靴下はよく見る紺色のハイソックスではなく黒にラメが入ったニーソックス。
膝上まですっぽりと覆われて、普段より見える肌の面積は少ないはずなのに、どうしてこうも心臓の鼓動が早くなるのか。
「さあ、そろそろ舞台袖に行こうか」
柚木先輩の一言で、俺たちは移動を開始した。
舞台袖に着くと、既に前のバンドの演奏が始まっていた。
「日野ちゃん、頑張ろうね!」
「僕たちも頑張るから、日野さんも頑張って」
「日野、頑張ってくれ」
「日野先輩、頑張りましょうね」
「は…… はい…頑張り…ます…」
照明に明るく照らされたステージとはうって変わって薄暗く重苦しい印象さえ受ける舞台袖で、4人に小さな声で励まされ、日野は小さな背中を一層小さくして立ち尽くしていた。
「……結構プレッシャーなんだよね」
小さな呟きが聞こえて隣を見ると、いつになく真剣な顔の加地がいた。
「は?」
「『頑張って』って言葉」
「…まあ……な」
加地はふふっといつもの心の底で何を考えているのかわからない笑みを浮かべると、すっと日野に向かって歩き出した。
「日野さん、スマイル!」
ちょんと軽く肩に触れる。
日野の硬直した顔がほんの少し和らいだように見えた。
「なるほど……」
先に日野に声をかけた5人は、舞台の袖ギリギリのところで前のバンドの演奏を聞いている。
俺は日野の隣まで足を進めて、新緑の花を潰さないように気をつけながら頭の上にポスンと手を乗せた。
がばっと振り仰いだ日野の目が驚きに見開かれている。それ以外の顔のパーツは緊張に引きつっていた。
「── 気楽にやろうぜ……お祭りなんだし」
ニッと口の端を上げると、日野の顔からほっとしたように力が抜けたのがわかった。
「── うん」
小さく頷いた彼女の顔は、ぎこちないながらも今日初めて目にした笑顔だった。
【プチあとがき】
ちょっと短め。
普通科女子のスカートも短め(笑)
健康な高校生男子の(以下自主規制)
【2007/04/02 up】