■よくある巡り合わせ【前編】 土浦

 香穂子が授業と授業の合間の空いた時間に練習室でヴァイオリンを弾いていると、ふいに聞こえて来たノックの音。
 返事をする間もなく開いた扉からひょっこり顔を出したのは、同じヴァイオリン科で学ぶアメリカ人留学生・ヴァージニア。 物怖じしない陽気な彼女は、どこか日本にいるジャーナリストを目指す親友に似ていて、今では香穂子の一番の友人である。
「どしたの、ジニー? やだ、もしかしてもう次の授業の時間 !?」
「ううん、まだよ── ね、カホコ、今日学校終わってから、ヒマ?」
「え……まぁ、暇といえば暇だけど……」
 ヴァージニアはウェーブのかかった艶やかなブロンドを揺らして部屋に滑り込むと、いきなり香穂子の両肩をがしりと掴んだ。
「今日ね、何人かで夕飯食べに行こうって話になったんだけど、カホコも来ない?」
 来ない?、と訊いておきながら、ヴァージニアの碧い瞳は『nein(いや)』という答えを拒絶するようにギラギラと光っていた。
「あ、あのねジニー、私にルームメイトがいるの、知ってるよね?」
「知ってるわよ」
 最初に話しかけられた時、根掘り葉掘り聞かれ、香穂子は高校の時から付き合っている彼氏がいること、ルームメイトと一緒に住んでいることをすっかりしゃべらされたのだ。
 ただし、『彼氏=ルームメイト』であることまでは言っていない。 まさかふたり一緒に同じ国に留学しているとは思っていないヴァージニアは『カホコの彼氏は日本にいる』と思い込んでいるようだったので、あえて訂正しなかった。
 それ以来プライベートについて訊かれることがなかったので、言わないままになっている。
「えと……いつもそのルームメイトにご飯作ってもらってるんだよね」
「だったら『今日は外で食べるからいらないわ』って連絡すればいいじゃない」
「そ、それはそうなんだけど……」
「そのルームメイトだってたまには友達と外食とかしたいんじゃない? 今日1日くらい解放してあげなさいよ」
 そう言われてしまうと、急に罪悪感が押し寄せてくる。毎日食事の支度をさせることで彼の行動を縛っているのではないだろうか?  自分に目の前の友人がいるように、向こうにも食事に誘ってくれる友人がいるはずだ── と。
「それでなくてもカホコはつきあい悪いんだから、たまには一緒に遊んでよっ」
 目をうるうるさせてのとどめの一言に、香穂子は降参して、しぶしぶ首を縦に振るのだった。

*  *  *  *  *

 梁太郎の胸ポケットの中の携帯がブルルと震え、メールの着信を告げた。
 授業が終わってから開いてみると、差出人は香穂子だった。

『今日は晩ご飯いりません。ジニーに誘われちゃって断れなかったの。ごめんね』

 留学してずいぶん経つのだから、そういう友人もいるだろう。日本にいる彼女の親友にどことなく似ているという『ジニー』という名前は香穂子の口からよく出てきていたし、 梁太郎はなんとなく微笑ましく思いながら返信の文字を打ち込んでいく。

『了解。帰り、気をつけてな』

 ピッ、と送信し終え、ひとりなら今日の夕飯はテイクアウトものだな、と考えていると、後ろからいきなり肩を掴まれた。
「うおっ !?」
「なあリョウ、今日の夜、ヒマか?」
 テーブルつきの椅子に座ったままだった梁太郎の首を軽く絞めながら背中に圧し掛かってくるのは同じ指揮科のルーク。気の合う友人のひとりである。
「まあな」
「んじゃ、メシ食いに行こうぜ」
「ああ、いいぜ」
 どうせアパートに帰っても味気ないひとりの食事が待っているだけだし、ちょうどいい暇つぶしだ、と梁太郎は即答する。
「ぅえっ !?」
 ルークは梁太郎の背中から飛び退くと、何か奇妙な光景でも眺めるような目で彼を見つめていた。
「……なんだよ、その態度は」
「いや……まさかリョウから一発OKが出ると思わなくて……ほら、お前ってさ、誘ってもいつも『用がある』って言ってノッてこなかったろ?  どうやって口説き落とそうかとあれこれ考えてたんだよ」
「俺にだって何も用がないことくらいあるさ」
「そっかー、じゃあオレ、いつもタイミング悪かったんだなー」
 いつもは愛しい彼女のために夕食作ってます、などとは言っていないので、勝手に解釈してくれてありがたい、と梁太郎はほっとするのだった。

*  *  *  *  *

 香穂子はヴァージニアに引きずられるようにして向かった学校のエントランスで、一緒に食事に行くメンバーに紹介された。 可愛らしい女の子ばかり3人で、3人ともヴィオラ科らしい。
 その中のひとり── 自己紹介でリサと名乗り、ヴァージニアとも友人関係であるらしい── が香穂子の両手をぎゅっと握り締め、ぶんぶんと振りながら、
「あなたがカホコね! 日本人って幼く見えるって聞いたけど、ほんとに可愛らしいのねぇ! 同い年には見えないわ!」
 興奮気味に捲くし立てる彼女に少々ヒキながら、とりあえず『ありがとう』と答えておく。
「これならアイツが一目惚れするのも頷け──」
「あーーーーっ、とにかくお店に向かいましょ!」
 リサにドンッと身体をぶつけて黙らせたヴァージニアが、逃がすまじと言わんばかりに香穂子の腕をガシリと掴んで引っ張り始めた。

 向かったのは学校に程近い一軒のバイスル。
 奥まったところに4人掛けのテーブルを3つくっつけて大人数用にされた席のひとつから、ブラウンの髪の男が手を振っていた。他に2人、計3人の男が席に着いている。
「おーい、リサー、こっちこっち!」
「うわっ、ダニー、もう来てたんだ !?」
 テーブルに駆け寄っていくヴィオラ科3人娘。その後に香穂子の腕を掴んだままのヴァージニアが続こうとしたので、香穂子は足を踏ん張って抵抗した。
「ちょっとジニー! どういうこと? 男の子がいるなんて聞いてないわよ!」
「そうね、言ってないもの。実はあのダニーって子、あんたに一目惚れしたらしくてさ。あんたがリサの友達のあたしの友達、ってことがわかったもんだから、 引き合わせてほしいって泣きつかれちゃったのよ。それ言ったら、あんた、来ないでしょ?」
「あ、当たり前じゃないっ! わ、私には付き合ってる人が──」
「日本は遠いのよ? 黙ってればわかんないってば。それはそれ、これはこれで楽しまなきゃ♥」
 パチン、とウィンクひとつ。
 脱力した香穂子は軽々と引っ張られていき、強引に席に座らされてしまった。

「はっ、初めまして! 僕はヴィオラ科のダニエル、ダニーって呼んで!」
 気がつけばいつから隣に座っていたのか、さっき席からぶんぶんと手を振っていたブラウンの髪の男がぽっと赤く頬を染め、右手を差し出していた。
 ああ、握手を求めているのか、と軽くその手を握り、
「……ヴァイオリン科のカホコ・ヒノです」
「今日は会えて嬉しいよ! 校内で君を見かけてから、ずっと話をしてみたいと思ってたんだ!」
 ハイテンションなダニエルは、空いていた左手を加えて両手で香穂子の手を握り締め、うっとりと彼女の顔を見つめている。
「え、あ、あの……」
 手を引こうと懸命に力を籠めるのに、がっちりと両手で握り締められた手はどう足掻いても抜けなかった。
 その時。

「な、なんで──」

 今まで溢れていたドイツ語とは全く異質な響き。
 母国語で呟かれた声は、間違いようのない馴染みの深い声だった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 ヴァージニアのファミリーネームは『マックスウェル』かもしれません(笑)
 元ネタ、わかんない人のほうが多いんだろーな(笑)
 ともあれ、よくある話、ですな(汗)
 あ、バイスルってのはオーストリアの大衆食堂のことだそうです。

【2008/05/08 up/2008/05/16 拍手お礼より移動】