■夏の思ひ出【3日目 3:花火大会】 土浦

「れっでぃ〜すっ、えんっ、ぢぇんとるめんっ! お待たせしました! オケ部夏合宿恒例、大花火大会、これより開催いたしますっ!」
 タキシードがプリントされたTシャツを着て、首にはパーティグッズの嫌味なほどに煌びやかな大きな蝶ネクタイをつけた部長が、懐中電灯をマイク代わりにして吠えた。
 今にも降ってきそうな星空の下、沸き起こる歓声と指笛の嵐。

 ぽんっ!
 ぽぽんっ!

 タイミングよく花火が打ち上がる。
 おおーっ、と歓声が上がり、合間に『た〜まや〜!』『か〜ぎや〜!』と声がかけられた。ノリの良さは天下一品のオケ部である。
 合宿施設から少し離れた緩やかな起伏のある広い草原。人工的な明かりはほとんどなく、きらめく星々と次々に打ち上げられる花火── よく河原や海辺で大々的に行われる花火大会と比べればささやかなものではあったが── のコラボレーションはとても美しかった。
 打ち上げ花火が終わると、今度は手持ち花火の出番。
 所々にアルミ箔で包んだ紙皿に立てられたロウソクと水を張ったバケツが置かれている。
 花火係が数人に1袋の割で花火セットを配り、ロウソクに火をつけていった。
「くれぐれもヤケドに気をつけて! 終わったらバケツに入れてください!」
 部長の声が響き渡る。
 その後はあちこちで子供のようにはしゃぎながら花火に興じる部員たち。
 小学生の頃以来の花火を数本楽しんだ後、香穂子は少し離れたところにあるベンチに腰を降ろした。
 もうもうと立ち昇る煙は寝不足でしょぼしょぼする目には刺激的すぎたのだ。
 昼間合流した天羽は皆の間を縫って写真を撮りまくっている。
 火原や他の男子部員たちと一緒に花火を手にしている梁太郎の姿も見えた。意外と楽しそうに見えるその姿にくすりと笑みを漏らす。
 手を後ろについて空を見上げた。
 煙が靄のように広がって、せっかくの星空が見えなくなったのが残念だ。
 目を閉じると闇に吸い込まれるかのように意識が遠くなりそうだった。
 と、さくっと草を踏む音。
「なーにやってんだ?」
 聞こえてきたのは予想通りの声。
 声の主、梁太郎は静かに香穂子の隣に腰を下ろした。
 香穂子はすっかり重くなってしまった瞼をなんとかこじ開けて、
「……煙が目に沁みたから逃げてきた」
「ぷっ……そういやお前、寝不足なんだよな。もう眠いんだろ?」
「うん、今なら3秒で眠れそう」
「じゃあ、これは返してくるかな」
 梁太郎がシャツの胸ポケットからがさがさと何かを取り出した。
「えっ、なになに?」
 彼の腕を捕まえ、手の中にある物を確かめる。それは細長い小さなビニール袋に入った──
「── 線香花火?」
「ああ。やっぱ花火のシメはこれだろ?」
「うん、やるやるっ!」
 香穂子は差し出された線香花火を嬉しそうに受け取った。

*  *  *  *  *

 すっかり童心に帰って花火を楽しんでいた梁太郎は、この騒ぎの中に香穂子の姿がないことにふと気がついた。
 ぐるりと周囲を見回してみると、少し離れた場所にあるベンチに座り、空を見上げている。
 梁太郎は花火セットから線香花火の小袋を取り出し胸ポケットに滑り込ませると、花火係からライターを借り受けて香穂子の元へと向かった。
 近づいてみると、彼女は目を瞑っていた。昼間の熱がすっかり引いた爽やかな夜風を楽しんでいるのか。
 声をかけて隣に座ると、彼女はだるそうに目を開ける。もしかすると眠っていたのかもしれない。
 煙が目に沁みた、と笑う彼女はそういえば寝不足だった。あの煙は確かに寝不足の目にはキツイだろう。
 しかしポケットから出した線香花火に、彼女はついさっきまで眠そうだった目を輝かせて食いついてきた。
 小袋から出した線香花火の1本を彼女に渡し、1本を自分で持つ。
 ふたりの間でライターに火をつけ、同時に花火の先を火にかざした。
 パチパチと小さな火花を放ち始める線香花火。
 身体を乗り出すようにして膝の上に肘をつき、ふたつの火花をぼんやりと見つめた。
 ふと、梁太郎は隣に顔を向ける。
 小さな花火のあえかな光に照らされた香穂子の横顔に、梁太郎は思わず見入ってしまった。 頼りない明かりしかないせいか儚げに見えて、それでいて神々しくて、とても綺麗だったから。
「あっ」
 香穂子が上げた小さな声に突然意識を引き戻されて手元に目をやる。
 彼女の指先はただの紙のこよりをつまんでいるだけだった。
 最期を惜しむような火種は既に落ちてしまったらしい。
 すぐに後を追うように梁太郎が持つ花火の火種もぽとりと落ちた。
「あーん、悔しいっ! 梁、もう一回勝負よっ!」
「おいおい、いつから勝負してたんだ?」
「線香花火といえば耐久勝負に決まってるでしょ。ほらほら、早く次の花火ちょうだいっ」
 嬉々として差し出された手の上に花火を乗せてやる。 『どこが儚げだ』と自分で自分にツッコミつつ、こっそりと苦笑して。
 そして線香花火耐久勝負第2回戦が始まった。

*  *  *  *  *

 後に残ったのは白く霞む煙と火薬の燃えたツンとする臭い、そして目の奥に焼きついた光の残像。
 花火が尽きて後片付けが始まり、だんだんと部員たちの数が減っていく。さっきまで騒がしかった草原は徐々に静けさを取り戻し始めていた。
「『兵どもが夢のあと』、なーんてね……ちょっと違うか、あははっ」
 天羽が一人ノリツッコミをしたところで聞こえてきた声。
「あーもうっ! なんで勝てないのっ!」
「知るか。お前の落ち着きのなさが敗因だろ」
「落ち着いてますーっ! リベンジよっ!」
「ったく……これがラストだぜ?」
「今度は勝つ!」
 負けず嫌いな親友は線香花火でもその負けず嫌いを発揮しているらしい。
 天羽は思わずカメラを構えた。少し距離があったけれど、ズームにするとふたりの表情がなんとか見えた。
 シュボッと音がして闇の中に明かりが生まれる。そして弾け始める小さな火花。
 ファインダーの中の彼女は火花を睨みつけ。
 隣の彼はそんな彼女を愛おしそうに見つめ。
 天羽はシャッターを切る。
「ああっ!」
 彼女の持つ花火から光が消えていた。
「俺の勝ちだな」
「もうっ、悔しいっ!」
 彼女は肩をどん、と彼の腕にぶつけた。当然、彼の持つ花火から光がポトリと落ちた。
「んなっ! なにすんだよっ!」
「ふーんだ、腹いせに決まってるでしょ」
 と彼女はベンチを立って建物の方へスタスタと歩き始めた。
「このっ…!」
 彼は傍らに寄せてあった役目を終えた花火の束を掴んで彼女を追う。
 追いつくなり彼は彼女の頭をぐいっと抱え込むようにして腕で締め付けた。
「痛い痛い痛いっ! ヘッドロック禁止っ!」
「うるせぇ! お前の腹いせに対する俺の腹いせだっ!」
「ああん、ごめんってばぁ」
 じゃれ合いながら小さくなっていく二人の姿。
 天羽は大きな溜息を吐く。
「まーったく、ラブラブオーラを撒き散らしてる自覚はあるのかねぇ……オケ部の子たちも気の毒に」
 懐中電灯片手に最後の片づけを終えて今の光景を眺めていた花火係の顔に浮かぶのは照れ臭いような気恥ずかしいような複雑な苦笑。その心中を察して天羽は思わず吹き出した。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 香穂子さん視点、土浦氏視点、天羽ちゃん視点でお送りしました。
 日頃の土浦さんと香穂子さん、格闘技ごっこして遊んでるんだと思います(笑)

【2008/05/18 up】