■夏の思ひ出【3日目 2:昼の自由時間中】
食堂で昼食を済ませた部員たちの耳に届いた、甘やかな旋律。
「あれ? 誰か練習してる…?」
音を頼りに辿り着いたのは全体練習で使っている大会議室だった。
昼食の時の短い時間しか親友と話せなかった天羽菜美は、その親友の姿を探して館内を愛用のカメラ片手に歩いていた。
と、なぜか廊下に人だかりができている。10人ほどの女子ばかりだ。
「みんな、何やってんの?」
顔見知りを見つけて駆け寄り尋ねると、口元に人差し指を立てて『しーっ!』と注意されてしまった。
「(中で日野ちゃんと土浦くんの『愛のコンサート』の真っ最中だから)」
コソコソと囁かれて耳を澄ませると、確かに聞こえてくるヴァイオリンとピアノの音色。
「(あ、この曲、聞いたことある! 何て曲だっけ?)」
「(サティの『ジュ・トゥ・ヴ』よ)」
「(へぇ……フランス語だよね? どういう意味?)」
「(んー、邦訳はいろいろあるけど……英語で言うと『I want you.』ね)」
答えてくれた顔見知りを始め、ここにいる全員が頬をぽっと桜色に染め、胸元で手を握り合わせて音色に耳を傾けていた。
「(この曲の前はエルガーの『愛のあいさつ』とクライスラーの『愛の喜び』、リストの『愛の夢』も聞こえたわ)」
「(……なるほど、それで『愛の』なわけね)」
呆れたように溜息を吐くと、天羽は音の聞こえてくる部屋の扉を見た。
その向こうでヴァイオリンを奏でる親友と、ピアノを奏でるその彼氏に思いを馳せる。
── なーにが『べたべたするのは嫌い』だよ。
以前、彼女たちの仲がこじれた時に彼が言ったという言葉を思い出して、心の中で吐き捨てる。
── ま、『仲良きことは美しきかな』ってね。
砂糖菓子のような甘ったるい音色に辟易しながらも、親友たちのラブラブっぷりにクスリと笑みを浮かべる天羽だった。
* * * * *
「── で、どの曲にするんだ?」
「んー、どうしよっかなぁ……」
「いい加減決めてくれよ。伴奏、録音しとかなきゃならないんだから」
それまで演奏していた曲の楽譜をぱらぱらとめくりながら、香穂子は思案に暮れる。
「私は『愛の夢』が好きなんだけどなぁ」
「それは完全にピアノ曲だろうが。演奏を頼まれたのはお前だぜ?」
「梁、弾きに来てよ」
「あのなぁ、お前のいとこの結婚式だろうが。俺が行ってどうする」
そう、彼らは数日後に行われる香穂子のいとこの結婚式で演奏する曲を選んでいたのだ。
合宿前日、うっかり者の母親が『そういえば頼まれてたんだわ』と言い出し、慌てて荷物の中にそれらしい楽譜を突っこんできたのだが、
いざ合宿に来てみると次から次へと起きる出来事に香穂子自身もすっかり忘れていたのだ。
ヴァイオリン1本の演奏よりも伴奏があった方が華やかになる── という訳で梁太郎に相談したのだが、
そういう場で演奏するのだから必然的に『愛の〜』がつく曲になってしまうのは当然である。
外で聞いている人間に誤解を与えている── まるっきり誤解ではないのだが── ことに全く気づいていない二人は、のん気に曲選びを続けた。
「んー、やっぱり『愛のあいさつ』かなぁー」
「よし、決定な。もう1回くらい合わせとくか?」
「うん、お願い」
そして『愛のコンサート』のアンコール曲『愛のあいさつ』は、演奏している本人たちは大して甘い雰囲気ではないにもかかわらず、廊下で聞いている女子部員たちをメロメロにしつつ、 ことさら甘く響き渡るのだった。
【プチあとがき】
本当は書くつもりのなかったエピソードだったんですけど。
某楽譜DL販売サイトの『今月の無料楽譜』が『ジュ・トゥ・ヴ』だったもので。
【2008/05/15 up】