■Confidential Message【24】 土浦

【Side R】
 いつ、どういう形でその時が訪れるのか── 気にすまいと思いながらも、俺は常に神経を張り詰めた状態で日々を過ごしていた。
 そして、CMの放送が始まって2週間と少し経ち、予告期限が過ぎた頃。
 下校を促す放送があるまでみっちりと練習し、俺は香穂と共に練習室棟を出た。
 ふと聞こえてきたのは、歓声の混ざったどよめき── 正門の方からだ。
 確かにこの時間、部活や勉強や練習で校内に残っていた生徒が一斉に正門へ向かうため、正門前は結構な賑わいになる。
 けれど、こういうどよめきは初めてで。まるで、運動部の練習試合か何か行われているグラウンドのような熱気のこもった雰囲気なのだ。
 俺と香穂は顔を見合わせて首を傾げた。
 そして、俺たちが正門前へ到着して目にしたのは、日暮れ間近の薄く広がる闇の中、 正門から校舎に向かって伸びる広い通路のほぼ中央にそびえ立つファータ像の土台に背を預けている星野の姿。
 ダークグレーのカジュアルスーツをラフに着こなし、黒いロングコートを羽織ったヤツは、俺たちの姿に気づくと、像の土台をとん、と蹴ってこちらへとゆっくり歩き始めた。 片手に少し大きめの弁当箱ほどの箱を抱え、歩きながらもう片方の手に持っていた大きな花束を肩に担ぎつつ。
 ……えらく派手なご登場だな。
「え…?」
 小首を傾げ、俺の方を不思議そうな顔で見上げている香穂。心の中での呟きのつもりが、声に出ていたらしい。
「……いや、なんでもない」
 香穂はそれ以上追求もせず、近づいてくる星野の方へ訝しげな視線を戻した。同時に俺もヤツを睨むように見据える。
 まだ生徒がいる時間の学校にやってきて、大勢の前で俺に赤っ恥をかかせる魂胆ってか?
 ……マジでムカつく野郎だぜ。
 カツ……カツ……カツ……
 緩やかなテンポを刻む足音。
 それを聞きながら、俺は頭をフル回転させてシミュレーションする。
 こういう場合のお決まりは、やはり腕力勝負か?
 いや、顔を傷つけたりなんぞすれば損害賠償吹っかけられそうだ。それ以前に、手を傷めでもしたら、それこそ本末転倒だろ。
 ならば、完全シカトを決め込んで、香穂を引きずってとっとと帰るか?
 ……逃がしちゃくれねえだろうがな。
 あとは、香穂を抱き寄せて『こいつは俺のもんだ。お前には渡さない!』と宣言する?
 ── この衆人環視の中で、んなこっ恥ずかしいことできるかっ!
 ………普段じゃありえない選択肢を入れてる時点で、俺も相当追い詰められてるな……。
 ふいに足音ががピタリと止まる。
 同時に時間までが止まってしまったかのように、動くものがいなくなった。
 普段なら追い立てられるように足早に正門に向かう生徒たちも足を止め、固唾を飲んで俺たちの成り行きを見守っている。
 冬の気配を孕んだ風だけが緊張した空気を揺るがし、通り過ぎていった。
 立ち止まったヤツとの距離はほんの1メートルほど。俺の殺気のこもった視線に怯むことなく、ヤツは飄々と俺を見ているだけ。
 星野がニッと口の端を上げる。そのほんの小さな動きが波紋のように広がって、緊張した空気が電気を帯びたようにピリリと肌を刺した。
「── よっ、お楽しみの結果発表だ」
 ざわり。
 ヤツのよく通る声が、遠巻きに見つめる生徒たちのざわめきを生んだ。
「……俺は、あんな理不尽な勝負、受けた覚えはないぜ?」
「理不尽だろうが何だろうが、アンタはハッキリと拒否しなかった。それは受け入れたのと同じだろ」
「くっ…」
 思わず奥歯を強く噛み締めた。ヤツの笑みが一層濃くなる。
 一瞬、風が強く吹きつけ、香穂の赤い髪が舞い上げられるのが視線の端に見えた。
 そして── ヤツが静寂を破る。
「『本物』にはな── 作りもんはどう足掻いても勝てないんだ」
「……は?」
 な、なんなんだよ、いきなり…。
 星野は小さくぷっと吹き出すと、大きく一歩踏み出して、肩に担いでいた花束を俺の胸に叩きつけるようにしてバサリと押し付けた。
「── アンタの勝ち。おめでとさん」

*  *  *  *  *

【Side K】
 驚きととまどいに目を見開いている梁太郎。
 周囲のギャラリーから、ぅおーっ、と地響きのような歓声と、割れんばかりの盛大な拍手が巻き起こる。
 ……ちょっとちょっと、一体何なのよーっ! 全然話が見えないんだけど!
 そこの拍手してる人たち! 何に対して拍手してるか理解してるわけーっ !?
「ほら、早く受け取れよ」
「……俺は野郎に花もらって喜ぶような趣味はないんだがな」
「だろうと思ったさ。単なる嫌がらせだ、気にすんな」
「……あのな…」
 梁太郎がしぶしぶ花束を受け取ると、星野くんは小脇に抱えていた箱を私に差し出した。
「こっちはアンタに。50名様しかもらえないお菓子詰め合わせ。関係者特権でもらってきた」
 条件反射で出してしまった手の上に、ぽん、と箱が乗せられる。
 え、え、これって、あのCMの投票の……?
「しっかし、まさか負けちまうとはなー。ま、最初にアンタたちのCF見せてもらった時、『やられた』と思ったんだわ。けどまあ、オレの人気で何とかなると思ったんだけどな」
 空になった手でガシガシと頭を掻く星野くんに、さっきまでの不遜な雰囲気はもうなかった。
「── ちょ、ちょっと待って! 勝っただの負けただの、何の話してるんですかっ !?」
 完全置いてけぼり状況に我慢しきれず、私はふたりの間に割って入った。
「お、お前は関係ないんだよっ」
「なに? カレシから聞いてなかったワケ?」
 目を泳がせている梁太郎と、意外だ、って感じの顔をする星野くん。
 私は星野くんに向かって大きく頷いた。
 言うな!と梁太郎が焦った鋭い声を出す。
 と、星野くんはニヤリと笑って、
「おいおい、関係ない、ってことはないだろ。コイツいないと始まんねーんだし」
 星野くんによると、例のCMのウェブ投票が締め切られ、結果が出たらしい。
 最初のうちは星野くんバージョンの【ドレスアップ編】に票が集まっていたのが、日が経つにつれ、じわじわと【日常編】が票を伸ばし、 最終的に僅差ではあるが【日常編】の得票数が【ドレスアップ編】を上回った、という結果に終わったそうだ。
「で、オレとコイツとでガチンコ勝負してたってワケだ」
「はぁっ !?」
「でな、勝者へのご褒美が──」
 と、星野くんは私の鼻先に人差し指を突きつけ、ニヤリと笑い……
「え……ええぇぇぇっ !?」
 わ、私を賭けて得票数勝負してたわけ、このふたりっ !?
 梁太郎は少し赤くなった顔を花束で隠しつつ、バツが悪そうにあさっての方向を向いていて。
「……私のことを一体何だと思って──」
 だから言わなかったんだよ、とボソリと呟く梁太郎。
 まあまあ気にすんな、と私の肩をバシバシ叩きながら高らかに笑う星野くん。
「ふ………ふたりとも何くだらないこと考えてんのよーっ !!」
 私は襲ってくる眩暈を必死に堪えながら、そう叫ぶことしかできなかった。

 いつしかギャラリーはいなくなり、とっぷりと日の暮れた正門前は人工的な柔らかい光に照らされて幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 吹き抜ける風は一層冷たさを帯びて。
「── オレさ、曲を作ろうと思うんだ」
 星野くんが楽しそうな口調でぽつりと呟く。
 彼はCDを何枚も出してるけど、そういえば自作の曲っていうのはなかったはず。
「……………へぇ」
「おいおい、人の決意をンな簡単にあしらうなよ……」
 しばしの沈黙の後の梁太郎の興味なさそうな相槌に、星野くんはガックリと項垂れ肩を落とした。
 その見事な落ち込みっぷりはあまりにも気の毒すぎて、思わず吹き出してしまいそうになるほど。
 そうかと思えば突然復活し、私たちの方にビシッと指を突きつけて、
「とにかくっ! アンタらみたいな練習オタク見てたら、オレも何か行動起こしたくなったんだよっ!」
「……そうか」
「だあああぁぁーっ! アンタほんっと冷てぇヤツだなっ! 頑張れよ、とか、楽しみにしてるぜ、とか言えねーのかっ !?」
「……人をずっと小馬鹿にし続けた相手に、誰がんな優しい言葉かけるかよ」
「うっわ、心せまっ!」
「なんだと !?」
「まあまあ、ふたりとも落ち着いてっ」
 ほんとにもう、このふたりってば子どもみたいなんだからっ!
 星野くんはおもむろに私の頭にポン、と手を乗せ、
「ま、なんつーか……受け身でいたクセにグチってるようじゃカッコ悪いしな。自分から目標に向かって進んでいかなきゃダメなんだって── アンタ見てて、なんとなくそう思った」
 私に向けられた彼の顔に浮かぶのは、すっきりとした、吹っ切れたような笑み。
 なんか照れ臭いな……返す言葉が見つけられなくて、私も笑みを返す。
 星野くんは私の頭に乗せていた手をコートのポケットに突っ込み、
「だから── いつか会心の作ができたら、ふたりで参加してよ── ヴァイオリンとピアノでさ」
「えっ、あっ、も、もちろん! 私たちでよかったら! ね、梁?」
 同意を得ようと見上げた梁太郎の顔には、不敵な笑みが浮かんでいて。
「── 俺たちは数年後には世界的音楽家として世界中を飛び回ってる予定だからな、急がないとお相手してやれないぜ?」
「ははっ、焦らすなよ、感涙の嵐を巻き起こす名曲を書いてやるって。代わりに、アンタたちが世界に行けなかった時はウチのバックバンドでこき使ってやるから、安心して練習に励めよ」
 すっと星野くんが手を差し出す。
 梁太郎は少し躊躇った後で、その手をがしりと握り。
 挑戦的な目で見つめあうふたりの口元に、にやりと笑みが浮かぶ。
 ……なんだか『男の友情』が生まれた瞬間に立ち会ったって感じ? え? 違う?

「ひとつ、聞いていいか?」
 手を放し、コートの裾を翻した星野くんを、梁太郎が呼び止めた。
 足を止め、両手をコートのポケットに突っ込んだ彼が、肩越しに振り返る。
「なんで、あんな勝負を持ちかけた?」
 星野くんはしばらく宙に視線を漂わせ、ふぅ、と吐いた息がライトに照らされて白く浮かび上がった。
「……ベートーヴェンのヴァイコン、だっけ? あれ、いい曲だな」
「は?」
「アンタたちはああやってずっとお互いの音を聞いて過ごしていくんだろうと思ったんだ。 入れ替わることも、間に割り込むこともできない── ましてやオレはあの舞台に上がることすらできない、ってな」
 昏い空を見上げる彼の口元に白いもやが纏わりつく。
「だったらなんでそんな勝負を──」
「それは、オレのプロとしてのなけなしのプライド」
 向けていた顔を前に戻して、完全にこちらに背を向けて。
「それから── もしも勝ったら、正面から堂々と日野香穂子を口説いてやろうっていう、オレの打算!」
 叫ぶようにそう言い放つと、星野くんは大きなストライドで門へ向かっていく。
 じゃーな!と振り返らぬまま頭の上で大きく手を振って。
 そして彼は星の瞬く夜空から続く闇の中へ溶け込むようにして姿を消した。

 翌日。
「号外で〜す!」
 いつものように並んで登校してきた私と梁太郎は、いつも無駄に元気な報道部員から渡された学内新聞を見て、揃って顔から火を噴いた。

『情熱のピアニスト・土浦梁太郎、学院のミューズ・日野香穂子を巡り
 超人気イケメンアイドル・星野 瞬と白熱のバトルを展開!』

 大きな活字の見出しの横には、私を挟んで睨み合う梁太郎と星野くんの写真がでかでかと載せられていた。
「くそっ、天羽のヤツ! 絶対シメてやるっ!」
「待って、梁! 落ち着いて、ね、ね?」
「これが落ち着いていられるかっ!」
 号外を憎々しげに握りつぶしながらドカドカと足音高く校舎へ向かう梁太郎の背中を、天羽ちゃんの無事を祈りつつ追いかけた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 どうにも展開が気に食わなくて、何度も書き直しているうちにワケワカメに…。
 無理矢理まとめた感がありありと表れてますなぁ。
 前回、『次で終わり』と予告しましたが、もう1話続きます。

【2008/03/12 up】