■Confidential Message【23】 土浦

 香穂との寄り道は本当に久しぶりだった。
 CMのことが決まってからは練習とストーカー騒ぎで、撮影の後は香穂の足の怪我で寄り道どころではなかったし。
 まだ落ち込みから脱出しきれてないのか、香穂の足取りは重い。朝よりも少しゆっくり歩き、駅前の本屋を目指した。

「何買うんだ?」
「クラシック・ライフ。先週買いそびれてたんだ」
「読み終わったら俺にも回せよ」
「うん、いいよ。あ、そうそう、今月号は遥さんの記事が載ってるんだよ」
「へぇ、そりゃお前としちゃ目を通さないわけにはいかないよな」
「うん」
 ようやく笑顔が出てきた香穂が、雑誌コーナーの棚に手を伸ばす。
 と、横で雑誌をめくっていた女子高生──2つ隣の駅の近くにある高校の制服だ── が、あっ、と声を上げた。 その声に呼応して、静かだった店内が急にざわめき始め、俺たちのいる通路の両端にはみるみるうちに人だかりができてしまっていた。
「CMの子たちだ!」
「わ、ほんとだ!」
「『日常編』に投票してやったぞー!」
「あんなチャラチャラした芸能人なんかに負けるな〜!」
「星奏魂で頑張れ〜!」
 あまりの事態にしばし呆然としていた俺たち。
 我に返ってからは、ありがとうございます、と混乱しつつも律儀に頭を下げている香穂を引きずるようにして本屋を飛び出した。
 ── 予感というものは、嫌なものほどよく当たる。
 考えてみれば、コンクールの時も、コンサートの時も、時間さえ合えば街の至るところでふたりで練習していた。 香穂はひとりの時もあちこち出かけて練習していたらしく、そんな香穂を追って転校までしてくるような人間まで存在するのだ── まあ、それは極端な例だろうが。
 おまけに去年のクリスマスに開いた学外コンサートには、街の人々も大勢来てくれている。
 それから1年近く経ったとはいえ、俺たちの顔は自分で思っていた以上にこの街に知られていたのだ。

 脇目も振らず歩き続け、駅前通りを抜けるあたりで香穂の手首を掴んでいた手をぐっと引っ張られて、俺は足を止めた。
「どうした?」
「ごめん……ちょっと休ませて…」
「あ……悪い」
 俺が手を離すと、香穂はちょうど傍にあったベンチに崩れるように腰を下ろした。右足の靴を脱ぎ、ふぅ、と息を吐く。
 香穂の靴下を履いた足には、大きな四角がエンボスのように浮き出ていた。
「お前、もしかして……まだ完全に直ったわけじゃなかったんだよな。無理させた、ごめん」
「ううん、湿布は昼休みに保健室で貼ってもらったの。朝、天羽ちゃん引きずってった時に力入れすぎちゃったみたい」
 えへへ、と照れ臭そうに笑う香穂。
 本屋へ向かう時、やけに歩くのが遅いとは思ったんだ。
 落ち込んでるからだろうと勝手に判断しちまったが……あの時から痛みがあったんだ。
 くそっ、気づいてやれなかった上に、引きずって無理矢理歩かせて……。
「……ごめんね」
「なんでお前が謝ってんだよ。謝るのは俺の方──」
「そうじゃなくて……こんな面倒なことに巻き込んじゃって」
 俯いてしまった香穂の表情は見えなかった。
 俺は小さく溜息を吐いてから、香穂の隣に腰を下ろす。
 ありがたいことに、目の前の通りを行き交う人々は俺たちに注目することはなかった。みんなどこか目的地を目指して歩いているせいだろう。 さっきの本屋での出来事が嘘のようだった。
「私に関わるとロクなことがないよね、梁。私なんかに関わっちゃったから──」
 ちょ、ちょっと待て! こいつは何を弱気になってんだ !?
 『思い込んだら一直線』タイプのこいつがそんなネガティブな思考に囚われちまったらマズいだろ!
 俺が星野からの無謀な勝負を歯牙にもかけず無視できるのは、俺とこいつの気持ちがガッチリと磐石なことが大前提なのだ。 香穂が自ら俺との距離を取ろうとするようなことがあれば事態は大きく変わってくる。
 ……星野に逆転ゴールを決められでもしたらどーすんだ !?
「── 俺はな、お前に関わって後悔したことなんかないぜ? 前にも言ったろ、お前に巻き込まれて感謝してるって」
「でも……」
「お前に巻き込まれてなかったら、俺は音楽の世界には戻ってないし、今こうして隣にいることもなかったんだぜ? それでもいいのか?」
 香穂は頬を赤く染めた顔を小さく横に振る。
「だろ? だからもう気にするな。いつまでもそんなくだらねぇこと考えてると、例えお前でも容赦なくシメるぞ」
 茶化した口調で言っても、そう簡単にポジティブになるはずもなく。
「でも…迷惑かけっぱなしだし、心配もさせてるし……」
「心配…?」
「天羽ちゃんに聞いたよ? 星野くんのこと、ストーカーだと思って心配してたって」
「っ!」
 くそ、天羽のヤツ、香穂に余計なことを吹き込みやがって!
「いや、あれは俺の勘違いだったんだから──」
 ……ちょっと待てよ?
 最初に「ストーカー」って言葉を出したのは天羽じゃなかったか?
 あいつがそんなことを言い出さなければ、俺と香穂の心痛の1つや2つや3つ、発生することはなかったのかもしれない。
 ……明日、絶対シメてやる。
「まあ、過ぎたことを考えるのはもうやめようぜ。俺たちは俺たちがやるべきことをやる。周りに振り回されず、惑わされずに、な」
 こくん、と頷く香穂の顔には笑みが戻りつつあった。
 香穂を奪われまいと必死な俺の強引な説得が功を奏したってわけだ。
「そうそう、今朝な、アレを見たうちの母親、何て言ったと思う?  『あら、意外とテレビ映りいいじゃない。どうせピアニストか指揮者になって名が売れれば演奏が録画されてテレビで流されるんだから、その予行演習だと思えば?』── だとよ」
 ぷっ、と吹き出す香穂。
 よかった、やっと浮上してきたか。
「あはは、おばさんらしいな」
「お前のことは大絶賛だったぜ、可愛いだの、綺麗だの」
「うわー、ありがとうって伝えといて」
 それからしばらく他愛ない話をして。
 久しぶりにふたりで笑い合ったような気がした。

*  *  *  *  *

【Side K】
 梁太郎と話していたら、少しずつ心が軽くなっていった。
 もちろん明日学校へ行くのも憂鬱だし、また騒ぎになったらと思うとろくに寄り道もできないのも嫌だけど。
 でも、そうだよね、私たちにはやらなきゃいけないことが山ほどあるんだから、こんなことに煩わされている暇なんてないんだ。
 それに、梁太郎が傍にいてくれたら、私は大丈夫。頑張れるよ。
「── そろそろ帰ろっか」
 私は脱いでいた靴を履く。
 足が少し腫れているのか、きついし痛い。うー、家に帰るまで我慢、我慢。
「迎え、呼ぶか?」
「大丈夫、歩けるよ」
 よろよろと立ち上がり、梁太郎がすっと差し出してくれた手に掴まった。
 なるべく右足に体重をかけないようにして歩くと、どうしても梁太郎の腕を掴む手に力が入る。
 今の私たち、普通に歩ける状態で正装でもしていればエスコートされてるって感じなんだけどな。さすがに足をかばいながらひょこひょこ歩いてたら、そんな風には見えないか。
「……身長が同じくらいなら肩が貸せるんだがな。頭ひとつ違うと、さすがに無理だな」
「えーっ、私と同じくらいの背の梁なんて想像できない!」
「なんで俺を小さくするんだよ。お前がでかくなりゃいいだろうが」
「やだっ! 梁くらいの背になったら可愛げがないじゃない!」
「悪かったな、可愛げがなくて」
「男の子はいいんだよ、でっかくても」
 拗ねて半眼で見下ろしてくる梁太郎に、私は思わず吹き出した。
 ── 本当に、梁太郎が大きい人でよかった。
 背が、ではなくて、心が。
 私は足の痛みを忘れそうなほどに幸せな気分で家までの道を歩いた。

 それから私たちは、ちょっとした芸能人のような気分を味わわされた。
 やっぱり申し訳なくて、しばらく登校も下校も別々にしよう、と梁太郎に申し出たのだが、気にするな、と一蹴されて、今まで通り一緒に歩いている。 すると少し離れた場所で携帯をこちらに向けている生徒に何人も出くわした。
 ……あー、携帯のカメラで撮られちゃってるんだな。
 梁太郎が楽しみにしている昼サッカーも、ギャラリーがやたら増えたそうだ。去年、加地くんが転校してきて昼バスケに加わった時の増加量の比にならないほどらしい。
 黄色い声がやかましい、とさすがに辟易してるみたい……私には笑ってみせてくれてるけど。
 春に卒業した某フルート吹きの先輩はいつもこういう状況(少し意味合いは違うけど)に置かれていたのだと思い起こせば、ちょっとした尊敬の念が湧き起こってくる。 そりゃ裏で鬱憤ぶちまけたくもなるよなー、なんて今更ながら理解できちゃったりして。

 そして、動物園のオリの中の動物たちのような状況に少しずつ慣れ始めてきた頃──
 前触れもなく、私たちは再び嵐に見舞われたのだった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 くどいようですが、このお話は2設定です。アンコのない世界です。
 アンコ引継ルートのへたれ土浦は頭から追い出してお読みください。
 天羽ちゃんを悪者に仕立てたつっちー……やっぱへたれだな(笑)
 次回、堂々のフィナーレ!(の予定)

【2008/03/10 up】