■Confidential Message【22】 土浦

【Side K】
 その日以来、梁太郎は気がつくと眉間に皺を寄せて、小難しい顔をしていることが多くなった。
 松下さんへの電話は、相変わらず繋がらないらしい。
 まるで着信拒否されているようだ、と彼はこぼす。
 でもよく考えてみれば、梁太郎からの電話は松下さんにとっては相手が不明な着信なわけで、着信拒否もあながち間違いではないような気もする。
 だから私も電話してみた。
 けれど、やはり留守電ばかりで繋がることはなかった。

 そして、週末明け── 異変は突然訪れた。
 強烈なメントール臭を放っていた湿布も取れ、ゆっくりなら普通に歩けるようになった私は、以前のように梁太郎と肩を並べて学校へ向かっていた。
 学校に近づくにつれ、生徒の数が増えていく。その生徒たちのほとんどが、ノロノロ歩きの私たちを追い越していった。
 それから少し行き過ぎたところで、思い出したようにパッと振り返る。その顔には必ずと言っていいほど、何かを発見したような驚きか、ニヤニヤと意味ありげな笑みが浮かんでいるのだ。
「……やっぱりな」
「……うん」
 思わず俯いてしまった私からは見えないけど、梁太郎は多分、超ご機嫌ナナメな顔をしているはず。
 そう、今朝からCMの放送が始まったのだ。
 ご丁寧にも、星野くんバージョンと梁太郎バージョンが立て続けに流された。
 ……梁太郎と私が映った瞬間、チャンネル変えたけど。
 その反応は顕著だった。
 まだ授業開始までは少し時間があるせいか正門前で立ち止まってしゃべっている生徒たち。そこへ近づいていくと、さぁっと波が引くように道が出来た。 そして、小さなかたまりになった生徒たちは、遠巻きにして私たちの方をちらちら見ながらこそこそと何か囁き合う。
 昨日の夜までに松下さんと連絡が取れなかった時点である程度は覚悟していたけど……ここまで露骨だと、恥ずかしい以前にさすがにヘコむよね…。
 と、校舎の方からパタパタとにぎやかな足音が聞こえてきて、
「香穂! ちょっとちょっと、見たわよCM!」
 長いウェーブヘアをなびかせ、駆け寄ってきたのは天羽ちゃん。手にはいつものカメラの代わりに1冊の雑誌を抱えている。
 ……天羽ちゃんの声が大きすぎて、私たち余計目立っちゃったんですけど。
「もう、なんでもっと早く教えてくれなかったのよ! 知ってたら放送に合わせて号外出したのに!」
「あ、えと、守秘義務とかで人には言えなかったんだってば」
「私があんたの秘密を他にバラすような真似するとでも !?」
 記事にしようとした時点でバラす気マンマンなんだと思うんだけど……。
「だから、それは── ね、天羽ちゃん、場所替えよ? ね?」
 がっちりと私の腕を掴んで離さない興奮気味の天羽ちゃんの話は、きっと始業の予鈴が鳴るまで続くに違いない。 私は梁太郎に向かって声を出さずに『先、行ってて』と口を動かして見せた。
 小さく頷いた梁太郎はそっと離脱して音楽科棟の方へ歩いていく。
 生徒たちはそれぞれの棟のエントランスへ分かれて向かっていくため、今なら人気はほとんどないと思われる特別教室棟の前へと天羽ちゃんを引きずっていった。

 天羽ちゃんはいきなり、今日のテレビは見てないんだけどね、と前置きしてから、
「これ見てびっくりしちゃったわよ!」
 持っていた雑誌を掲げて、その拍子をパンパンと手のひらで叩いた。
 天羽ちゃんが持っているのは── クラシック誌『クラシック・ライフ』の最新号。
 確か先週発売だったと思うんだけど、先週はいろいろごたごたしてて、まだ私は買ってない。
 ……やだ、ちょっと待ってよ、クラシック・ライフはCMとは関係ないでしょ?
 と、天羽ちゃんは付箋の貼ってあるページに指を差し込むと、ぱらりとページを開いて、私に突きつけた。
 ── あ、遥さんのインタビュー記事だ。うわぁ、これは今日の帰りに絶対買って帰らなきゃ!
「ここ見て、ここ!」
 天羽ちゃんが指差したのは、記事のあるページの一番下の小さな文字。

『飯島 遥 最新活動情報』
菓子メーカー○○の新製品チョコレート『Precious Kiss』のCMにて現役高校生ヴァイオリニストKahoとのデュオでクライスラー『愛の喜び』を披露!  CMに飯島本人は出演しないものの、クラシック界期待の新星Kahoの華麗な演奏姿は必見!  なお、メーカー公式サイトでは製品詰め合わせが抽選で当たる『どっちのKissが好き?』CMウェブ投票を○月○日より開催。 (公式サイト/http://www.-------.co.jp/precious/)

 ……………………な、なんですか、これはっ !?
 ウェブ投票とやらの開始日は、昨日の日付。
 その後つらつらと書かれた私についての記述のそら恐ろしさに背筋がゾクリと寒くなる。
「昨日の夜この記事に気づいたんだけどさ、『ヴァイオリニスト』と『Kaho』ってのが気になってサイト開いてみたら、まさしくあんたの姿だし! おまけに土浦くんまで登場してるし!  その時の私の興奮、わかる !? すぐにあんたに電話かけたけど、ずっと話し中でつながんないし!」
 あー、あなたの興奮、十分伝わってますよ、天羽ちゃん。逆に私はすっかり冷めきっちゃってますけど。
 電話がつながらなかったのは、ずっと松下さんにかけ続けてたせいだよね…。
「それに星野 瞬と共演なんかしちゃって! もっと早く知ってたら、あんなにやきもきしなくて済んだのに!」
 え……?
「天羽ちゃん、やきもき、って何?」
「彼、あんたに会いに学院に来たことあったでしょ?」
 な、なんで天羽ちゃんが知ってるの !?
「……あ、まぁ……」
「何人か目撃した生徒がいてね、あんたに星野 瞬似のストーカーがいるって大騒ぎになってたんだよ」
「やだ、なによそれっ」
「土浦くんなんか、そりゃあもうかわいそうになるくらいにあんたのこと心配してたんだから」
「えぇっ !?」
「いやー、まさか本人だったとはねぇ……ま、今となっては笑い話だよね」
 笑い話なんかじゃないわよっ!
 あはは、と豪快に笑う天羽ちゃんの声を掻き消すように、予鈴のチャイムが高らかに響き渡る。
「あ、チャイム鳴っちゃった。じゃあ私、行くね!」
 天羽ちゃんはひらりと手を振って普通科棟の方へ駆け出して── 思い出したようにふと足を止め、振り返った。
「投票、土浦くんバージョンの方にしといたげたからね!」
 ぱちんとウィンクして、再び駆け出していった。

 4時間目の授業が終わり、机の上の教科書やノートを机の下にしまい込み── 手を突っ込んだまま、頭を机の上に落とした。
 ゴチン、とぶつかる音が頭蓋骨に響いて、ひんやりした机の感触がぼんやりした額に気持ちいい。
 せっかく直った足がズキズキと疼いている。今朝、天羽ちゃんを引きずった時に無理したせいだ。午前中はずっと我慢したけど、昼休み中に保健室に行って湿布でも貼ってもらおう。
 結局、朝のホームルームには間に合わず、少し遅れて教室に入った私はみんなの注目を浴びてしまった。その目に映るのは好奇と興味。
 『日野さんってば、いつもあんな風に土浦くんとキスしてんのね』とか思ってるんだろうな、みんな。
 それから、授業が終わった休み時間ごとに仲のいい子たちが私の周りに集まって、CMのことを根掘り葉掘り質問攻めにする。他の子たちは素知らぬ振りをして聞き耳を立てていて。
 ── あーもう、なんなのよ、次から次へと!
 ストーカーだなんて……星野くんのこと、そんな風に誤解されてるとは思わなかった。
 梁太郎がすごく心配していたと天羽ちゃんが言ってたけど……言われてみれば、あの頃の彼はいつも何かを警戒するような素振りをしていたような気がする。
 それならそうと言ってくれればよかったのに!
 ……でも、あの頃、私にストーカーがいるなんて聞いたら、私は怖くてCMどころじゃなくなっていたかもしれない。 たぶん、梁太郎はあえて黙っていたんだ── 私が怯えて萎縮してしまわないように。
 それなのに、私は彼に隠し事をして怒らせたり、勝手にCMに出演させられて恥ずかしい思いをさせたり── 迷惑ばっかりかけてる。
 私がCM出演なんて受けたりしたから──。
 ふと、額に微かな振動を感じた。
 机の横にかけたカバンの中で、マナーモードにしておいた携帯が震えている。
 私は机の上に額をつけたまま、手を伸ばしてカバンの中の携帯を手探りした。

*  *  *  *  *

【Side R】
『──ふぁい……』
 電話に出た香穂の第一声は、何とも力の抜ける声だった。思わず吹き出してしまう。
「なんて声出してんだよ、お前。あ、今、メシ中か?」
『ううん……机に突っ伏してる…』
「おい、気分でも悪いのか?」
『ううん……そうじゃないけど……力、入んない感じ……』
 まぁ、それもわからないでもないな。
 俺だって、朝から『CM見たぞー!』と取り囲まれ、バシバシ叩かれた背中が未だにヒリヒリしている。完全に気力を吸い取られたようで、午前中の授業はかったるくて仕方なかった。
 脱力の一端は、今朝支度をしている時にテレビに映った自分を見てしまったことと、それを目にした母親との会話にもあるのだが。
 朝、正門前で香穂と別れてからずっと気になって仕方なかったのだが、2時間目と3時間目が立て続けに教室移動で、様子を見に行くことはできなかった。 昼になってようやく時間はできたものの、今の状況じゃさすがに香穂の教室に乗り込んでいくのもバツが悪いし……そんなわけで、俺は今、廊下の端で香穂に電話をしている。
「大丈夫か?」
『うん……』
 とても大丈夫とは思えない返事。相当もみくちゃにされて、クタクタってところか。
「あ、放課後の練習室、お前の分も予約入れといたぞ。お前、天羽に捕まってたから行けないと思ってさ」
『あ……ありがと……でも、今日はいいや……ちょっと寄りたいところもあるし…』
「へぇ、どこ行くんだ? 付き合うぜ?」
『駅前の本屋さん……でも、もしかしたら騒がれちゃうかもしれないから、梁は学校で練習してていいよ』
 はぁ……。
 思わず溜息が出る。
「お前、自意識過剰すぎ。確かに俺たちは校内じゃそこそこ顔が知れてるから騒ぎになったかもしれないが、街は別だろ。CMでほんの数秒映っただけの顔を覚えてるはずないし、 たとえ覚えてたとしても、まさかテレビに映ってた人間がこの街おなじみの星奏学院の制服着て近くをウロウロしてるなんて思やしねえって」
 口に出してみて、ふと背中がすっと寒くなった。
 いや、しかし俺の考えは間違ってないはずだ。嫌な予感を振り払うように、頭を振る。
『……どうかした…?』
「あ、いや、なんでもない。とにかく今日は寄り道決定な。久しぶりにぱーっと遊んで帰ろうぜ」
 うん、と答えた弱々しい声の後ろで『日野ちゃーん、お昼食べちゃうわよー!』と誰かが叫んでいる声が小さく聞こえた。
『ごめん、呼ばれちゃったから』
「ああ。じゃ、放課後な」
『うん、ありがと………ちょっと元気出た』
 プツン、と耳障りな音を立てて通話が切れた。
 元気出た、か……俺の気分も少しは浮上したらしい。口元に浮かんでしまった笑みを慌てて消した。
 CMの放送を阻止できなかったのは痛い。
 だが、もう放送されちまったんだから、今さら騒ぎ立ててもどうなるもんでもないし。
 校内の浮ついた状態も、そのうち治まるだろう。少しの間、我慢すればいい。それにあと数ヶ月もすれば卒業だ。
 残るは── 勝手に押し付けられた星野との勝負。
 香穂の気持ちを無視した身勝手で理不尽な勝負、誰が何と言おうが無効に決まっている。
 頭を悩ませるだけ損な気がしてきた。
 俺はポケットに携帯を滑り落とすと、空腹を満たすため教室へと戻った。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 天羽ちゃんが引っ掻き回していきました(笑)
 うぅ、そろそろ話をまとめなきゃ……。

【2008/03/06 up】