■Confidential Message【20】 土浦

【Side R】
 香穂の家からの帰り道、俺の頭は依然モヤモヤしたものを抱えたままだった。
 『キス一歩手前』については、いつまでもウダウダ言うのはヤメにしよう── もちろん、誰かに八つ当たりしたいほどにムカついてはいるが。
 たぶん香穂も相当悩んだんだろうし── 昼メシも喉を通らないくらい。責任感の強いヤツだから。
 あいつは言わなかったが、それがきっと倒れる原因だったんだと思う。
 結局、香穂が星野とCM絡み以外で会っていたのは2回、らしい。
 1回目、練習室でいきなり抱きついてきた時の香穂の様子からすれば、確かに友好的な話ではなかったんだろう。
 2回目についてはまだ何とも言えないが。
 スタジオの廊下での会話も、冷静になってよく思い出してみれば、香穂は会話を楽しんでいるようには聞こえなかったような気もする。
 じゃあ、電話は?
 かかってくるのが嬉しい相手の着メロを『魔法使いの弟子』なんかに設定するか? コミカルと言えなくもないが、あんなおどろおどろしい雰囲気の曲に。
 結果、あいつの言葉と流した涙に嘘はない、と俺は判断した。
 そうなると、わからないことがひとつ残る。
 ── 星野 瞬は何のために講堂に現れた?
 一度も話題に出なかったことからしても、香穂は星野が俺たちの練習を聞いていたことを知らないままらしい。
 考えても答えの出ないことは、いくら考えてもムダ……か。
 情報を集めて、推理して……なんだか警察か探偵にでもなった気分だな。
 知らず浮かんでいた苦笑を隠すように手で口元を覆い、自宅へと向かう足を早めた。

 翌日から、期間限定での俺の自転車通学が始まった。
 と言っても、二人乗りは法律違反だから、自転車は香穂を乗せるための道具でしかないが。
 こういう時、自分の専門が持ち歩ける楽器じゃなくてよかったとつくづく思う。身軽だからな。
 とはいえ、毎日ヴァイオリンケースと松葉杖を抱えて自転車の後ろに乗るのも大変だから、当面、香穂は撮影で貰った赤いヴァイオリンを『置き傘』ならぬ『置きヴァイオリン』にするらしい。 リリに貰ったヴァイオリンは思い入れがありすぎて、さすがに学校に放置しておく気にはなれないと苦笑していた。
 それから、香穂の目を盗んで森に話を聞いてみた。『2回目』の件だ。
 信じてない、というわけではないが、確認しておかなければ気がすまなかったというか。
 森の話では、体育館前で待ち伏せていた星野は、嫌がる香穂を強引に連れて行ったらしい。
 香穂の話が事実だとわかった安心と── 星野に対する新たな憤り。
 くそっ、あの男、何考えてやがる。

 わからないことはわからないままに、特に何もなく1週間が過ぎ、香穂はぎこちないながらも松葉杖なしで歩けるようになった。
 香穂を乗せた自転車を押し、自宅に送り届けた後は自転車に乗って帰る。
 あとわずかで自宅だ、というところで、思わずペダルを漕ぐ足を止めた。
 自宅の前に止まっていた車がちょうど走り去っていくところだったのだ。
 今のゴツいRV車は── 間違いなく、CMディレクター・松下の車だった。
 ── うちに何しに来た?
 急いで自宅に戻り、客間で客用の湯のみを片付けていた母親に訊いた。
「なあ、今来てたヤツ、何の用だったんだ?」
 と、母親はにんまりと笑って、
「まぁ、将来のための予行演習だと思って頑張んなさい」
「は? なんだよ、それ」
 それからしばらく食い下がってみたが、母親は『明日になったらわかるわよ』とはぐらかし続け、それ以上取り合ってはくれなかった。

 翌日の放課後、俺と香穂は理事長室に呼び出されていた。
 嫌な予感はしていたが、やはりそこには松下の姿があり、俺たちと入れ替わるように吉羅理事長は部屋を出て行った。
「足の具合、どう?」
 俺に腕を支えられ、まだ少し足を引きずるようにして歩く香穂に、松下が問いかけた。
「あ、大丈夫です。ご迷惑おかけしちゃって、すみませんでした」
「謝らないでよ、撮影中の怪我なんだから、こちらにも責任があるんだもの。ともあれ、元気そうで安心したわ。それに──」
 ニヤリと笑みを浮かべ、松下は俺と香穂の顔を見比べていた。
「なんとか丸く収まったみたいで、そっちの方も安心したわ」
「あ…」
「う…」
 絶句して、思わず香穂の方を見る。香穂も少し赤く染まった顔で俺を見上げていた。
 そうか……撮影から俺を追い出したぐらいだ、松下のヤツ、事情を全部知ってるんだ。くそっ。
 俺は気恥ずかしさをぐっと堪え、香穂をソファに座らせ、その隣に腰を下ろした。
「で、今日は何の用っすか? 香穂よりも、俺に言いたいことがあるんでしょう?」
 視線を感じてチラリと横に目をやれば、香穂がきょとんとした顔をして俺を見つめていた。
 松下は、うふふ、と意味ありげに笑い、カバンから何か取り出し、俺たちに差し出した。
 薄いハードケースに入ったCD……いや、DVD…?
「CMの編集が終わったから、ふたりに見てもらおうと思って。2本あってね、1本はもちろん星野くんバージョン。で、もう1本に土浦くんが映ってるのよ。 で、昨日、親御さんにごあいさつに伺ったの」
「は !? ちょ、ちょっと待ってくれ! 親よりも本人に話を通すのが先じゃねえのかっ !?」
「まあいいじゃない、ちょっと順番が狂ったくらい♪」
「よくねぇっ!」
「といっても、もういろんなところが動いちゃってるしね。CMは来週の月曜日から放映されるし、メーカーの公式サイトでは週末から先行ストリーミング放送しちゃうし。 とにかく一度見てみてよ、とってもいい感じの出来だから♪」
 松下は次の仕事があるから、とソファから立ち上がって、いそいそと理事長室を出て行った。
 後に残されたのは、応接テーブルの上の1枚のディスク。
 俺が映ってる……って、俺は映された覚えはないぞ?
 ああ、メイキングがどうのとかでハンディカメラ持ったヤツがうろうろしてたから、多少見切れて映ってるのかもしれない。
 だが、そんなもんがCMとして成り立つのか?
「……ま、とにかく見てみるか」
「…そう、だね」
「図書室のブースに行こうぜ」

 放課後の図書室は、まだ時間も早いせいか、思った以上に生徒が多かった。
 ほとんどが机で勉強しているか読書をしているかで、ブースには誰もいなかったが。
 念のため、壁際の隅のブースに陣取った。俺たちが何を見ているかは、わざわざ後ろを通り抜けるヤツにしか目に入らないだろう。
 デッキにディスクをセットする。
 頭を寄せ合って、ひとつのヘッドホンの片方ずつを耳に当てた。
 自動再生された映像がディスプレイに映し出される。
 プロモーション用なのか、まずはタイトル。

   ○○製菓株式会社 新製品CF
    Precious Kiss 【ドレスアップ編】

 画面は切り替わり、そこに映ったのは赤いドレスの香穂。
 隣で、うわっ、と小さな声を上げた香穂。見れば顔が真っ赤になっている。さすがに自分の映像は恥ずかしいのだろう、思わず俺は吹き出しそうになった。 俺は演奏シーンに関しては一部始終を見ているから、特に何とも思わないが。
 ディスプレイの中の香穂は、気持ち良さそうに『愛の喜び』を演奏している。
 下の方に『♪Kaho & Haruka』と小さな文字があった。
 いろんなアングルの演奏姿が次々に現れては消えていく。
 ああ、このシーンはあの時のものだな、なんて思い返したりしながら。
 しばらくすると、俺の全く知らないシーンへと移る。
 両サイドから差しのべられるふたつの手。明らかに男のものと女のもの。
 男の手が女の手を引っ張る。
 そして── 一番見たくなかったシーン── 香穂と星野 瞬が寄り添い、見つめ合い── ふたりは目を閉じ、近かった距離がさらに近くなり── そこでカメラはすっと移動して、赤いバラの花を背景にしたチョコのパッケージの映像になった。
 ……なんだ、この程度のもんだったのか。
 いや、もっと際どいものを想像してたっていうか。
 だが、やっぱ気にくわないし、ムカつくのは確かだけどな。
 そして再びタイトル。これが2本目ってヤツか。

   ○○製菓株式会社 新製品CF
    Precious Kiss 【日常編】

「ぬおっ !?」
「ええっ !?」
 目に入った映像に、俺と香穂は同時に声を上げていた。
 受付にいる図書委員がこれ見よがしな咳払いをし、手元に集中していた生徒たちが一斉に顔を上げるざわめきが大きく聞こえた。
 俺は慌ててデッキを止めて、ディスクを取り出した。
ば、場所替えようぜっ
う、うんっ
 本来なら一刻も早くこの場を去りたいところではあるが、走れない香穂を引きずるようにして、よたよたと図書室を後にした。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 さぁて、CFができあがったようでございます。
 ふたりがびっくり仰天の映像とは一体…?(笑)

【2008/02/27 up】