■Confidential Message【17】
【Side K】
── 胃が痛い。
用意されていたお弁当もほとんど食べられなくて。
トイレにでも行っておこう、と、自分のバッグを持って控え室を出た。
廊下に出て、後ろ手に締めた扉に寄りかかり、もう何度目になるかも数え切れない溜息を吐く。
ふと名前を呼ばれたような気がして振り向くと、隣の扉が勢いよく開いて、中からひょっこり顔を出した人物と目が合った。
「あ……」
「おっ♪ 日野香穂子!」
当然、といえば当然なんだろうけど── その人物とは、星野くんだった。
濃いワインレッドのタキシードが似合ってて……結構かっこいいかも。
シャツの一番上のボタンは外されたままで、その両サイドにだらりとだらしなく垂れている蝶ネクタイが不思議と絵になってる── はぁ……さすが芸能人。
「午前中も撮影だったんだろ? お疲れ!」
星野くんはしゅたっと顔の横に手を上げると、ニカッと人懐っこい笑顔を浮かべ、私の前を通り過ぎた。
なんとなくそのまま目で追っていると、彼は私のところから3メートルほどのところにある自動販売機にコインを入れた。
迷いなく目的のボタンを押すと、カタン、と紙コップが落ちる軽やかな音に続いて、液体が注がれる音。
出来上がりを告げるアラーム音を待ってから紙コップを取り出して、自販機の前のベンチに腰を降ろし、ぐびりと一口飲んでから、黙ったままの私の方を不思議そうに見る。
と、ニカッと笑って自分の隣をパンパンと叩いた。
……座れ、ってこと、だよね。
ふぅ、と小さく息を吐いてから、私は扉に押し付けていた背を離した。
コツ、コツ、とヒールの硬い足音が廊下に響く。
ベンチまでたどり着いた私は、端っこにそっと腰を降ろした。
「ちょっと持ってて」
「えっ」
いきなりぐいっと突き付けられた紙コップを慌てて両手で受け止めた。
すると星野くんはひょいっと立ち上がりツカツカと歩いていって、さっき出てきた控え室の扉を開けて頭を突っ込んだ。
「悪ィ! 誰か100円貸して!」
いいよ〜、と間延びした声が聞こえ、さんきゅ、と答えた星野くんは扉を閉めて再び自販機へ。ちょっと考えてからボタンを押して、出てきた紙コップを手にベンチに戻ってきた。
私の手から炭酸の泡がシュワシュワと小気味よい音を立てているコーラの紙コップを抜き取ると、一回り小さな紙コップを差し出した。
「どーぞ♪」
「え…あ……ありがとう、ございます」
受け取った紙コップは熱かった。ふわりと鼻をくすぐるカカオの香り。一口すするとココアの甘さと温かさがしびれた胃に心地よかった。
「あ……おいしい…」
「だろだろ〜♪ 疲れた時は甘いものが一番!ってな」
「べ、別に疲れてるってわけじゃ──」
「そか? 今のアンタ、死にそうな顔してるけど? ……あぁ、そうか、もしかして」
星野くんはすっと私の耳元に顔を寄せ、『キスシーンに緊張してるんだ?』と囁いた。
ボンッと火を噴く私の顔。
「ちっ、違いますっ!」
……本当のことを言えば、まったく違うわけじゃないんだけど。
まったくこの人はーっ! 人をからかってなにが何が楽しいのよっ!
「まあまあ落ち着けって。せっかくの綺麗な格好が台無しだぜ?」
「どうせ『馬子にも衣装』ですっ」
横目でギロリと睨んでやると、星野くんはクククッと肩を揺らして笑っていた。
「んなこと言ってねぇって。結構似合ってると思うぜ〜」
「………っ」
「ちょーっとばかし化粧が濃いけどなー」
「── っ!」
あーもう! やっぱりからかわれてるっ!
「ほら、オレ、アンタの制服姿しか見たことなかったからさ……あ、違うか、ジャージ姿も見たっけか」
ははは、とノーテンキに笑う星野くん。
……自分で体育の後の私を拉致したクセに…。
「似合ってるってのは嘘じゃないって。制服ってのは誰でもそれなりに似合うように作られてるもんなんだよ。でも、そういうカッコってのは誰でもってワケにはいかない。
ってことは、アンタの素地がいいんだろうな〜」
う、うわぁ、よくもまあそんな言葉がスラスラと……。
ていうか、言われ慣れてないから、ものすごく居心地悪い。
私は手の中のココアから立ち昇る甘い香りの湯気を睨みつけるようにして俯いてしまった。
星野くんはケラケラ笑いながら、ゴソゴソと上着の内ポケットから携帯を取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。ベンチからすっと立ち上がり、向こうへと歩いていく。
彼の動きとほぼ同時に、私のバッグから音楽が聞こえてきた。
聞こえるのは── 『魔法使いの弟子』。星野くんからの着信に設定している着メロ。
いきなり電話をかけてきて以来、2、3度かかってきて他愛ない話をした程度だけど、一応登録してあるのだ。
「電話、出ないの?」
廊下の角を曲がったはずの星野くんがひょっこり顔を出す。
「……出ないの、って……横にいるんだから直接話せばいいじゃないですか」
携帯を耳に当てたままの星野くんが不思議そうな顔をする。
「なんでオレってわかった?」
「あ……私、その人のイメージの着メロに設定してて……」
星野くんが戻ってきて、ストンとベンチに腰を降ろし、携帯をパカンと閉じた。
ほぼ同時に流れ続けていた『魔法使いの弟子』はふっつりと途絶えて。
「オレのイメージって……今の暗〜い曲が?」
わーっ、そんなに睨まないでよぉ!
「えと、その……ミッ○ーマ○スマーチとどっちにしようか迷ったんですけど……」
「そっちの方がいいに決まってんじゃん!」
「今の曲もミッ○ーの映画で使われてたんですってば! ほら、とんがり帽子かぶってステッキ持ったミッ○ー、見たことありません?」
「あー、そういえばそんなのも……って、なんでミッ○ー?」
「えーと……人気者といえばミッ○ー、でしょ?」
ふーん、と唸って、腕組みして考え込む星野くん。
……そんなにショックだったのかな。
「……あんな陰気な曲? オレのイメージが?」
まだ言ってるし。
「だから、陰気、っていうんじゃなくて──、そう、ミステリアス!」
「ミステリアス…? ふーん……」
どうやら納得してくれたかな?
我ながら素晴らしい言い訳を見つけたものだ、うん。
……本当は『ミステリアス』というよりも『掴みどころがない』っていうほうが正しいんだけど。
「そ、そんなことより、どうして電話?」
「……前にオレの愚痴に付き合ってもらっただろ? だから今回はオレがアンタの愚痴を聞いてやろうかと思ってさ。顔が見えない方が話しやすいかなーって。
ま、共演者のよしみってヤツかな」
え、もしかして……心配してくれてる…?
まあ、確かにドアに凭れて溜息吐いてたら、『私、悩んでます!』って言ってるようなものかもしれないな。死にそうな顔してる、とも言われたし。
けど、星野くんに話すようなことでもないし。
「別に……愚痴ることなんてありません」
「そ? ならいいけど」
急に興味をなくしたのか、星野くんはあっけなく引き下がった。壁に凭れて紙コップを傾けている。
せっかく心配してくれたのに、悪いことしちゃったかな…。
沈黙が非常に気まずい…。
……私のことなんて放っておいてくれればいいのに。
「── アンタってさ」
「は、はい?」
だからーっ、無理に話をつなげてくれなくていいってば!
「なんかあると、周りが見えなくなるタイプ?」
「は?」
まあ、そういう傾向にはあるという自覚は一応持ってるけど…。
「森の広場、だっけ? アンタ、ヴァイオリンのケースほったらかしで行っちまったろ? 呼んでも聞こえてないみたいだし、追いかけても足早くて追いつけねーし」
「あ……やっぱり、ケース届けてくれたのって……」
「うん、オレ」
「そ、その節はたいへんお世話になりました……」
「ま、あん時はオレがアンタを怒らせたわけだし。それよりさ──」
星野くんは背中を壁に滑らせ私の方に身体を傾けると、小さな声で呟いた。
「(── ピアノが置いてある部屋でアンタが抱きついてた兄ちゃん……アンタのカレシ?)」
ボンッと顔から火が噴いた。
み、み、み……見られてたぁ !?
そ、そりゃそうだよね、中に私がいたから、ドアのところにケースを置いてくれたんだろうし。
うっわーっ、恥ずかしいっ!
「そ、そ、そんなことよりっ!」
こういう時は話題を変えなきゃっ!
あぁ、でも何の話すればいいのっ!
「…えーっと……あっそうだ、お休み、もらえました?」
星野くんはちょっと眉をしかめてから、斜めになっていた身体を元に戻し。それから一気にコップの中身を飲み干すと、大袈裟なほどの溜息を吐いた。
うわ、聞いちゃいけないことだった?
「……最低向こう3ヶ月は休みナシ」
「えっ?」
「来月あたり休めそうだったんだけどなー。こないださ、ドラマの撮影抜け出したのがバレてさ」
「へ? 撮影って……洋館の?」
「そうそう。おまけに衣装のまんま出てきて、ちょっと汚しちまったんだよなー」
「はぁ…」
「それがさ、明治時代の華族のお坊ちゃまの役だから、すぐに代わりの衣装ってのが難しいわけよ。単に古臭くてダサいだけなんだけどな」
「………」
「で、『撮影抜け出して衣装汚してくるヤツに休みなんかやれるかーっ!』、ってワケ」
シュンとしぼんだみたいにがっくりと肩を落とす星野くんの様子に、私は思わず吹き出した。
「ひでぇ、そんなに笑うなよぉ」
「ふふっ……あははっ、そういうのを『自業自得』って言うんですよ」
言ってからはっと気づく。
偉そうに、人にそんなこと言う資格なんてないのに。
『自業自得』なのは、今の私。自業自得で自己嫌悪の真っ最中。
おかしくなんてないはずなのに、くすくす笑いが止まらない。
そのうち、鼻の奥がツンと痛くなってきた。
「さて、と」
星野くんがふいに立ち上がる。
「歯磨きでもしてくっか」
「え…」
ダストボックスにコップを投げ入れ、くるりと振り返り、
「歯磨きといえば、キスシーンの前の最低限のエチケットだろ。アンタもしっかり歯磨きしとけよ〜」
軽いウィンクを残し、ひらりと手を振って廊下の向こうに姿を消した。
う……っ、そうだった。本当にキ、キスするわけじゃなくても、ある程度は近づくんだろうから、やっぱりそれはエチケットだよね……。
そ、そういう問題じゃなくて!
── 私は全身に圧し掛かる『自業自得』の重さをひしひしと感じ、がっくりと肩を落とすのだった。
【プチあとがき】
無理矢理な状況説明的展開だー(笑)
まあ、何のための展開かはバレバレでしょうが。うふっ♥
そういや前作の話数に追いついちゃったなー。
こっちはもうしばらく続きますぅ。
【2008/02/09 up】