■Confidential Message【16】 土浦

【Side K】
 まずは演奏シーンの撮影。
 スタッフさんに連れられ、セットに上がってみると……うわぁ、赤が眩しい。
 薔薇の花で埋め尽くされていると思ったら、ちゃんと人が立てるように平らな部分があって……そこも赤いけど。
 そこに立つと下から見るよりも結構高さがあって、眩暈がしそう。
 まあ、かなり強いライトが当てられてるから、あまり下は見えない。これは、ステージに立った時、客席があまり見えないのと同じかな。
「正面はこっち。で、あっちとこっちにカメラね。それから、曲は録音済みのヤツを流すから、それに合わせて弾いて。出だしはカウント5つ入れてあるから。 とりあえずカメラテスト兼ねて、1回弾いてみてよ」
 身振り手振りの大きなスタッフさんの矢継ぎ早の説明を聞きながら見回してみるけど、ライトのせいでよく見えない。腕の動きでライトが時々遮られて視界がチカチカする。
 暗くなった瞬間、眩しさから解放されて見渡せたフロアから見上げている梁太郎と目が合った。
 すごく難しい顔をして……そっか、私が失敗しないかって心配してくれてるんだよね。
 ガチガチになっていた肩から少しだけ力が抜けた。
 強張った顔の筋肉を総動員して口角を上げる。
 余裕の笑み、とはいかなくても、ちゃんと笑ってるように見えたかな。
 大丈夫だよ、『恋する女の子』パワーで乗り切ってみせるから! ……なんてね。
 それから視線を手元に落とせば、私の手には薔薇色のヴァイオリン。
 今日初めて出会ったけど、よろしく頼むよ!、と心の中で呼びかけて。
 ヴァイオリンを構えると、カメラテストいきまーす!、とスタッフさんの掛け声が響く。
 スピーカーから聞こえてくる、カチ、カチ、と無機質なメトロノーム音。
 そして、昨日、遥さんと作りあげた『愛の喜び』が流れ出す。
 私は昨日の楽しかった演奏を心の中に思い浮かべながら、弓を動かし続けた。

「カット!」
 監督さんの声に、私はふぅ、と息を吐いてヴァイオリンを下ろし、セットから降りてモニターのところへ向かう。
 1回弾いて、撮れた映像を確認して。それを何度繰り返したことか。
 ……何度見ても、自分の姿っていうのは気恥ずかしいんだけどね。
 最初のうちはカメラが乗っかってるクレーンが動いているのが気になって仕方なかったけど、いつの間にか慣れてきて。
 1度だけ、ふと気づくと目の前にカメラがあって、ドキッとして演奏止めちゃったこともあったけど。
 ヴァイオリンも初めて持ったものにしては驚くほど手にしっくりしていて。
 音も気持ちよく伸びてくれて、最後の方は単純に演奏を楽しんでいただけかもしれない。
「── 演奏シーン、オッケー! 香穂子ちゃん、後半もこの調子で頼んだよ」
 今撮った映像を見終えた監督さんが、立てた親指をグッと出して、ニヤリと笑ってウィンクひとつ。
「あ、あはは…、頑張ります…」
 はぅ……その後半が問題なのよね…。
 とりあえず、ヴァイオリンはもう片付けていいのかな。
 ケースのところに戻ろうとした時、
「お疲れ様!」
 駆け寄ってきた松下さんがすっと私の後ろに回って、肩にショールをかけてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「舞台度胸はさすがってとこかしら? NGは一度だけだったし〜」
 NG、すなわち思いがけず近かったカメラに驚いて手が止まった時のこと。
 ニタ〜っと笑って私の顔を覗き込んでくる。……もうっ、松下さんの意地悪っ!
「う…すみません……でも、ほんとにびっくりしたんですから」
「ふふっ、なに言ってんの。NG連発で時間が押しちゃうのも覚悟してたんだから。予定より早いくらいよ」
「そうなんですか?」
「ええ── それにしても」
 松下さんは笑顔をすっと引っ込め、真顔になった。
 それからぐっと私の耳元に顔を寄せて、
「彼、寛大なのね。普通、止めこそすれ、ついて来たりなんてしないと思うけど」
 松下さんがちらりと走らせた視線の先には、休憩スペースのテーブルに頬杖をついてぼんやりしている梁太郎の姿があった。
「あ……えと…」
 言いたいことはわかってる。これから行われる星野くんとの撮影のことだ。
「……ちゃんと話せてなくて……今日は1人で来るって言ったんですけど……」
 はぁ、と呆れたような溜息が聞こえて。
「……彼に止められたから出演やめます、なんて言われてもこっちも困るところだったから、それはいいとして…… あなた自身はそういうシーンがあると知った時にこの話を断ろうとは思わなかった?」
「それは……」
 思ったわよ、思いっきり! でも……
「一度引き受けたことはやり遂げたいと思ったから……」
 震える声がだんだん小さくしぼんでいく。
 逆に梁太郎への罪悪感はどんどん膨らんでいった。
 …そうだよね、こんな思いするくらいなら、CMなんて断っちゃえばよかったんだ。
 わかってたことなのに……なんで今頃こんなことに頭を悩ませてるの?
 何が『恋する女の子パワー』よ。何を浮かれてたんだろう。
 今日の私……なんだかグチャグチャだ。
 突然、肩にぽんと手を乗せられ、私はビクリと震えて顔を上げた。
「わかった、今日のところは私に任せて」
 目の前に、自信たっぷりの松下さんの笑顔があった。
「え……」
「彼には適当に理由つけて帰ってもらうわ。でも、CMが放送されれば彼の目にも留まるだろうし、彼には明日にでも話したほうがいいでしょうね」
「はい……」
 話したら……やっぱり嫌われちゃうかな…。
「だーいじょうぶ! 本当にキスするわけじゃないから。いくらなんでも素人さんにそこまでさせられないもの。身の潔白は私が証明してあげるってば」
 身の潔白って……罪悪感がさらに膨らんでいくじゃない…。
「このCMのせいであなたたちの仲がどうにかなっちゃったりしたら、私も困るし──」
「え…?」
「あっ、ほ、ほら、そうなったら私も寝覚めが悪いってことよ── とにかく、あなたが今すべきことは、午後の撮影に備えてお昼ご飯を食べること!  控え室にお弁当が用意してあるから、このまま向かって。ヴァイオリンのケースは後で届けるから」
 両肩を掴まれ、くるりと向きを変えられて、とん、と背中を押された。
 その勢いで2、3歩バタバタと進んで、慣れないヒールでよろめきながらもなんとかコケずには済んだけど。
 振り返った時には松下さんは休憩スペースにいる梁太郎のところへ向かっていた。
 ……ここまで来て、やっぱりやめます、なんて言えないよね。
 隠し事をしていた私が悪いんだ── 梁太郎には明日、嫌われるのを覚悟でちゃんと話そう。
 私は松下さんの後ろ姿に深々とお辞儀をしてから、踵を返して控え室に向かった。

*  *  *  *  *

【Side R】
 テーブルに頬杖をつき、さっきまでの光景を頭の中で反芻する。
 ── 赤い世界で紅いヴァイオリンを奏でる香穂。
 ゆったりと目を閉じ、大人びた柔らかな微笑みを湛え、奏でる音に身を委ねて。
 まるで一幅の絵のようで── って、柄にもないことを考えてるな、俺。
 確かに、赤いドレスを纏う香穂は綺麗だと思う……気恥ずかしくて口には出せないが。
 だが、胸の奥がザワザワする。
 あんな遠くで背伸びをしたような大人っぽい化粧をした香穂よりも、俺の傍にいるいつもの香穂に早く会いたいと思った。
「── 土浦くん」
 いつの間にか松下が傍に立っていた。頬杖を解いて身体を起こす。
「撮影、終わったんすよね? ……あいつは着替えに行ってるんですか」
「ごめんなさい、撮影は午後も続くのよ」
 松下が浮かべた愛想のいい笑みが、俺の神経を逆撫でする。
「それでね、あなたには悪いんだけど、先に帰っててもらえる?」
「はぁ?」
 帰れるわけないだろ。こっちの都合も知らないで、勝手なこと言いやがって。
「これからの撮影は部外者完全シャットアウトなの。監督命令だからしょうがないのよ」
「だったら、外で待ってりゃいいんでしょう?」
「いつまでかかるかわからないわよ? 時間がもったいなくない?」
「……かまいませんよ」
 と、松下がすっと目を細め、含みのある笑みに変わる。
「ははーん……もしかして一時も離れたくないほど香穂子ちゃんにメロメロって感じ?」
「な…っ !?」
 俺は思わず椅子から立ち上がっていた。
 ……それも否定はしないが、今はもっと深刻な状況だってのに。
 くそっ、言わなきゃわかんねぇか…。
「……あいつには黙っててもらえますか」
 ん?、と首を傾げる松下。
 俺は、はぁ、と大きな息を吐いて、話し始めた。
「ここ最近、あいつに付きまとってるストーカーがいるんですよ。だから俺は撮影が終わるまで帰れません」
 ヘラヘラ笑っていた松下の表情がすっと引き締まり、眉間に皺が寄った。
「……ボディガードってわけか── 彼女はまだ知らないのね?」
「はい、動揺させないほうがいいと思って。明日、学校に報告して、対策をとってもらおうと思ってます」
「そう……わかった、香穂子ちゃんは私が責任を持って家まで送り届ける。それでいいかしら?」
「……俺は邪魔、ってことですか」
「ぶっちゃけるとそういうことね」
 これ以上食ってかかってもムダ、か……。
 俺としては非常に不本意ではあるが、多分車で送ってもらえるだろうから、その方がかえって安全だろう。
「……わかりました。あいつのこと、よろしくお願いします」
 一応頭を下げておく。
 松下は、まかせて、と笑ってから去って行った。
 俺は帰ることを一言伝えるため、香穂を探すことに決めた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 香穂ちゃんの頭の中もグチャグチャですが、
 あたしの頭の中はもっとグチャグチャです(笑)
 できることなら書き直したい。
 (と言いつつ書き直したことはないけど(笑))

【2008/02/04 up】