■Confidential Message【14】 土浦

【Side K】
 遥さんとの初合わせ。
 最初はもちろん、すごくドキドキした。
 遥さんは私がこれまで練習してきた解釈に合わせると言ってくれたけれど、相手を探りながらの演奏だから梁太郎となら意識しなくても合わせられるところがずれてしまう。
 とにかくアイコンタクト! だった。
 でも、2度目、3度目になってくると、なんとなくわかってきた。
 ちょっとしたタイミングとか、遥さんと私の演奏の一番気持ちよく響くところとか。
 3分半の曲がだんだん短く感じられてくる。このままもっと弾いていたい、と思いながら弾いていた。
 そして、5度目の演奏が終わった時、遥さんは静かに楽譜を閉じた。
「うん、もう大丈夫。ありがとう、土浦くん」
「いえ、俺の方こそ、いい勉強になりました」
 2人は笑顔で握手をする。
 これで梁太郎の譜めくりのお役目は終わり、ということか…。
 ……近くにいてくれたから心強かったんだけどな…。
 って、こんなこと言ってるようじゃダメだよね、うん。
「じゃあ、ちょっと一息入れましょうか」と遥さん。
 わぁ、助かった。私、喉カラカラだったんだよね。
 ヴァイオリンをテーブルの上にそっと置くと、午前中にも使ったお菓子の置いてあるテーブルへ。
 梁太郎が紙コップを3つ並べて、ジュースを注いでいた。
 彼の隣にストンと腰を下ろし、お疲れ、と差し出された紙コップを受け取り、一気に飲み干した。
 ふぅ、と一息ついて、
「ね、梁……今の演奏、どうだった?」
「ん…、まぁ……」
 言い辛そうに遥さんの方をちらりと見る梁太郎。
「土浦くんはずっと香穂子ちゃんの練習に付き合ってくれてたのよね? 忌憚のない意見をお聞かせ願える?」
 梁太郎はふぅ、と大きな息を吐いてから、観念したように口を開く。
「……あと一歩、ってとこですかね。まあ、こいつは耳も勘もいいから、あと何回か合わせればもっと息も合ってくると思います」
 驚いたように目を見開いた遥さんの目がすぅっと細くなった。元が美人なだけに、ちょっと怖い…かも。
 でも……やっぱりまだまだ合ってない、のかぁ…。頑張って合わせてるつもりなんだけど。
 確かに、1曲終えた後の満足感のようなものはまだ感じない。
「あら、手厳しいわね。私は初めてにしては結構合ってたかな、と思ったんだけど」
「あっ、いや、そういうんじゃ──」
「あなたと香穂子ちゃんの息がぴったり合いすぎてて、私との演奏じゃ物足りなかった、とか?」
「── っ !?」
 ボンッと音を立てそうな勢いで梁太郎の顔が真っ赤に染まる。
 やだもぉ、遥さんってばなんてことを言うのよっ!
 私の顔も火に照らされたように熱い。
「は、遥さんっ !?」
「うふっ、あなたたち2人がとっても仲がいいって松下さんに聞いてたものだから、うらやましくってつい意地悪しちゃった♪ ごめんなさい♥」
 にっこり笑って音符とかハートとかつけられても……。
 うらやましい── って、遥さんだってこんなに素敵な人なんだから、素敵なカレシの1人や2人くらいいるでしょーに!
 もう、遥さんってば、どんだけお茶目な人なのよぉ。
 梁太郎はいまだ真っ赤な顔で居心地悪そうに後ろ頭をボリボリ掻き毟っていた。
「で、他には?」
 『忌憚のない意見』の続きを促されて、梁太郎は頭を掻く手を止め、あー、としばし考えて、
「……女性デュオだからか、俺が弾いてる時と同じ解釈のはずなのに印象が優しいっていうか、歯切れが悪いっていう意味じゃなくて、こう── 落ち着いてるっていうか……」
 興味深そうにふーん、と唸った遥さんは、ふっとくすぐったそうな笑みを浮かべて、
「そう聞こえて当然だわ」
「「え?」」
 私と梁太郎の声がハモる。
「人間には感情があるもの。合わせる相手が変われば、演奏に込められる気持ちも変わるわ。土浦くんと合わせる時の香穂子ちゃんの演奏には、 恋する女の子のドキドキやウキウキがたくさんこもってるのね〜」
「は、遥さ〜んっ!」
 胸元で手を握り合わせてウットリと呟く遥さんの言葉に、梁太郎はテーブルに突っ伏すようにしてゲホゲホとむせ、私は恥ずかしさのあまり半泣きになっていた。
 そう、遥さんの言うことを私は否定できない。
 梁太郎と一緒にいると、心の中にいろんな思いが湧き上がってくるのを止められないから。
 その思いは自然と私の音になる。
 と、ガタンと大きな音を立て、梁太郎が座っていたスツールから腰を上げた。むせたのがよほど苦しかったのか、目にうっすらと涙が滲んでいる。
「じゃ、じゃあ俺はあっちに戻りますからっ」
 大股で歩いていき、入った調整室の扉を力任せにバタンと閉めた。
 大きなガラス窓のフレームの中に入ってきた梁太郎がドサリとソファに腰を降ろし、うずくまるようにして頭を抱えるのが見えた。
「あらー、ちょっと意地悪しすぎちゃったかしら…? でも──」
「…でも?」
 私と同じように梁太郎の様子を見ていた遥さんは、私が反芻した言葉に少し何かを考えるように黙り込んだ後、ふっと優しい笑みを浮かべた。
「── そうだわ、演奏のテーマを決めましょうか」
「え……? テーマ…?」
「そう。せっかくの『愛の喜び』ですもの、テーマは『恋する女の子』っていうのはどう?」
 私は女の子って年齢じゃないけどね、と遥さんがくすくすと楽しそうに笑った。
 もう、ほんとに遥さんってお茶目な───あ。
 はたと気づく。遥さんがこんな話をした理由に。
 私はずっと『遥さんの音に合わせなきゃ』と思いながら演奏してた。
 梁太郎は『落ち着いてる』と言葉を濁したけど、技術的なものばかり気にしてる私の音は気持ちのこもってない『ただの音』になっていたんだと思う。
 ……進歩ないな、私。
 私はすぅっと大きく息を吸い、いつの間にか俯いていた顔をすっと上げた。
「……恋する気持ちなら、遥さんにも負けませんよ、私」
「あなたより長く生きてる分、私の方が経験豊富よ」
 顔を見合わせ、2人同時にぷっと吹き出して。
 勢いよくスツールから立ち上がった私たちは、笑いながらそれぞれの楽器の元へと戻った。

*  *  *  *  *

【Side R】
 くそっ……飯島 遥、俺に何か恨みでもあるのか…?
 ネチネチとからかいやがって。
 ふいにスピーカーから聞き慣れた笑い声が聞こえて、俺は抱えていた頭を上げた。
 目に入ってきたのは、ちょうど2人が楽器のところに向かっている光景だった。
 録音用のマイクに近づいたせいで笑い声が聞こえて来たんだろう。
 何やら楽しそうに笑い合っている── どうせ俺のことをネタにでもして笑ってるんだろうが。
 はっきりとは聞き取れなかったが、きゃあきゃあ言いながらしゃべっていたかと思えば、会話の続きのようにおもむろに演奏が始まった。
「あ……」
 音が変わった、と思った。
 音質自体はほとんど変わらないが、音に生き生きとした色がついたように思えた。
「へぇ……よくなったわね…」
 隣からぽつりと呟く声がする。
「え……」
 いつの間にか松下が隣に座っていた。
「私はクラシックのことはよくわからないけど、急に印象が変わった気がしない?」
 へぇ、客観的に聞いてもやっぱりわかるもんなんだな。
「どう…?」
「そうね……さっきまでは頭にハチマキ締めて机にかじりついてるガリ勉少女、今はカレシ自慢に花を咲かせる女の子たち、って感じかな」
「へ…へぇ……」
 まさかこいつ、さっきの会話を聞いてたんじゃないだろうな……。 
 そうじゃないのなら、その感性はすごいと思う。完全に的を射た比喩だ。
 ── そうか、この演奏を引き出すために、飯島 遥はあんな話をしたのか。
 さすがプロ、からかわれたのもチャラにせざるを得ないな。

 それから1時間ほどでレコーディングは終了した。
 途中、メーカーのサイトで流すメイキングビデオの撮影だとかでカメラマンがウロウロしていたが、結局2人のいるスタジオには入らず、調整室のガラス窓ごしに撮影して帰っていった。
 予定より早く終わったから、と昼食を取ったカフェで松下曰く『プチ打ち上げ』をした後、次の仕事へ向かうという飯島 遥と香穂の盛大な別れの儀式 (香穂が大泣きしながら飯島 遥に抱きついていた)が行われ、── そして、まだうっすら赤い目をした香穂と俺は、香穂の家の前まで帰り着いていた。
「今日はお疲れさん。明日もあるんだ、ゆっくり休めよ」
 ぽん、と頭の上に手を乗せると、香穂はくすぐったそうに首をすくめた。
「うん、ありがと。……目も冷やさなくちゃ」
「だな」
 えへへ、と照れ臭そうに笑う。
「── で、明日は何時だ?」
「え」
 俺が訊いた瞬間、香穂の顔が笑みの形のまま固まったように見えた。目が落ち着きなく泳いでいる。
「あ…、えと…、あ、明日は私一人で行くよ。今まで散々付き合せちゃったし…」
「今まで散々付き合ったからこそ最後まで付き合うんだろ」
「で、でも、悪いし…」
「どうせ明日で終わりだ、気にするな」
「…で、でも…」
 香穂はすっかり俯いて、声がどんどん小さくなっていく。
 俺が行くと何か都合の悪いことでもあるのだろうか?
 まあ、着飾って撮影される姿を見られるのが気恥ずかしいんだろうが。
 だが俺はここで引き下がるわけにはいなかないのだ。撮影スタジオへの行き帰り、香穂を1人にしてストーカーに狙われるようなことがあってはならないのだから。
「で、明日は何時だ?」
 さっきと同じ質問をする。
 香穂は小さな声で『9時』と答えた。
「じゃあ8時に迎えに来る。十分間に合うだろ」
 くしゃりと頭をひと撫でして、また明日、と背を向けて歩き出した。
 キィ、と門扉が軋む音が聞こえ── 突然鳴り響く場違いにも聞こえるメロディ。
 立ち止まって振り返ると、香穂がバッグの中から携帯を取り出したところだった。
「もしもし── はい、今ちょうど家に帰ったところで── そちらは今日はお仕事終わったんですか?」
 香穂の姿が玄関の中に消え、静かに扉が閉まると声も聞こえなくなった。
 俺は再び自宅に向かって歩き出す。
 ── 香穂は相手をイメージした着メロを設定している。ちょっと滑稽で、不気味さの漂うような曲をイメージされるのはどんな人物だろう。
 その人物が少し気の毒に思えた。
 聞こえて来たメロディは── デュカスの『魔法使いの弟子』だった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 はふー、やっとレコーディングが終わったぜぃ。
 次は撮影ですな。
 どうなることやら(笑)
 『魔法使いの弟子』はコルダ2、アンコにて対立イベント中に流れる曲でございます。
 そんな曲を設定される相手は誰だ?(笑)

【2008/01/26 up】