■Confidential Message【10】
【Side K】
あっという間にもう水曜日── 録音本番まで今日を入れてあと3日。
一応、曲は完成の域に達しているとは思うけど……あとは1回ごとに丁寧に弾き込んでいくだけ。
実技の先生に明日聴いてもらう約束を取りつけたから、指摘された細かい部分をあと2日で仕上げて。
放課後の練習室、頭の中でそう算段しながら指慣らしをしていると、コンコンッと小気味よいノックの音。
「あ、はい!」
入ってきたのはもちろん梁太郎。
「場所、移動しようぜ」
ドアの隙間から頭だけ出した状態で、ニッと笑う。
「え、移動って……どこに?」
「講堂」
「講堂って……いっぱい人がいるのに?」
「今日の昼休みに理事長に直談判して、今日から3日間、他の生徒を立ち入り禁止にしてもらったんだ。客はいなくても、ステージの方が緊張感があるだろ?
仕上げにはその方がいいかと思ってな」
梁太郎はドアを大きく開けて部屋に入ってくると、さっき私が開けておいたピアノの蓋を静かに閉めて、私のカバンとヴァイオリンケースを掴んで部屋を出ていく。
「ちょ、ちょっと待ってよっ」
私も慌てて部屋を飛び出し、梁太郎を追いかけた。
練習室棟から講堂までの移動の間、私は妙に落ち着かなかった。
それは── 梁太郎の様子がヘンだから。
私と同い年とは思えないほどどっしりと余裕たっぷりに落ち着いているはずの梁太郎が、今日はなんだかそわそわしている。
ううん、そわそわ、というよりもピリピリしてるって言ったほうが正しいかも。
やたらと辺りをきょろきょろ見回してるし。
それにいつもなら私のペースに合わせてゆっくり歩いてくれるのに、今日は違う。それどころかやたらと早足だから、私は走らないと置いていかれてしまう。
── 何かあったのかな…?
「ねえ、梁──」
Piriri、Piriri──
私の質問を遮るように突然鳴り出した携帯の着信音。
音がくぐもっているのはカバンの中に携帯が入っているから。
ほら、と梁太郎が私の方へ向けてがばっと開いてくれたカバンの中から携帯を取り出し──
あれ?
聞こえる音は機械的なアラーム音。アドレス帳に登録してる人からかかったときは、その人をイメージした着メロが流れるように設定してあるんだけど…。
あ、梁太郎からの着信で流れるのは、もちろん『エリーゼのために』。
それも、梁太郎の演奏を録音したものを加工して着メロにしたもの。
えへへ、私だけの着メロなのだ。
── っと、そんなことでニヤけてる場合じゃなかった。
しつこく鳴り続ける携帯をパカンと開くと、非通知でもなく相手の携帯番号が表示されていた。
…誰?
Pi、と通話ボタンを押し、
「…もしもし……?」
『よぉ、日野香穂子!』
え……?
フルネーム呼びってことは……。
「ほ── っ、な、なんで私の携帯番号知ってるんですかっ !?」
『松下ちゃんから聞いた♪』
「あー、松下さんかぁ……うわっ!」
ヴァイオリンと弓を纏めて握っている右手の肘あたりを掴まれて、急に引っ張られた。そのまま梁太郎は私を引きずって講堂へと向かって歩き出す。
……なんか連行されてるみたいなんですけど。
『どうした?』
「あ、いえ、移動中だったものですから……」
『コケそうになったんだろ?』
「違いますっ!」
聞こえる声は明るかった。
昨日はなんか悩んでるみたいだったけど。
あれだけ人気があって順風満帆みたいに見えても、それなりにいろいろあるんだろうなぁ。
人気者だからこその悩みとかもあるだろうし。
相手の事情も知らないのに、私……ちょっと言い過ぎたかな?
はっ、もしかしてわざわざ電話番号聞き出してかけてくるほどご立腹とか !?
先に謝っといたほうがいいかも!
「あ、あの……昨日はごめんなさいっ」
『何が?』
「えと…その……よく知りもしないくせに、生意気なこと言っちゃったかな…って」
『そんなことないって。アンタの話、結構面白かったぜ。それに謝るのはアンタよりオレ。練習、できた?』
「あ、はい、大丈夫です。時間が短かった分、逆に集中できたっていうか」
『じゃあオレに感謝?』
「しませんっ!」
星野くんは私の即答にぶっと吹き出した。
続けてケラケラと笑う声はどう聞いてもご立腹には聞こえない。
……ふぅ、よかった。
「── でも、わざわざ電話なんて、何か急用ですか?」
『いや、別にー』
…………はい?
『この番号、オレの携帯だから、登録しといてよ』
……………………はい ??
『んじゃな〜』
通話はブツッと一方的に切られ、ツーツーと無機質な音が耳に残る。
…………………………。
な、なんだったの、今の電話はーーーーーっ !?
「今の……CMの関係者か…?」
「えっ !?」
呆然と携帯を見つめていたところに突然声をかけられて、心臓が飛び跳ねた。
腕を引っ張られたまま無意識に動かしていた足が思わずもつれそうになる。
えーと、共演者は……関係者、だよね?
「うん」
「……そうか」
帰ってきた声は心なしか硬い。
思わず見上げた梁太郎の表情も硬かった。
やだ……もしかして誤解されてる !?
今の会話で昨日私が校外で会ってた相手だってわかるよね。
臨海公園でジュースおごってもらってちょっと話しただけなんだけど── 私、時間がないことに焦ってて、ちゃんと梁太郎に話してない!
梁太郎は私を心配して校内を探し回ってくれてたのに──
「あ、あのね、梁── ぅわっ!」
再び腕をぐっと引っ張られて。
いつの間にか辿り着いていた講堂の正面入口はすぐ目の前だというのに、梁太郎は違う方向へと進んでいく。
ふいに背後から人の声が聞こえた。
「── わかってるって、すぐ戻るから」
1人の声しか聞こえないから電話中、なのかな?
「── 30分、いや1時間したら絶対戻るから」
あれ? この声──
梁太郎はまたも慌てたように私の腕を引っ張り、キョロキョロと辺りを見回してから、道路に面した生け垣と講堂の建物の間の細い通路へと入っていった。
「ちょ、ちょっと、梁、どこ行くの !?」
「……裏口から入るんだよ。正面は他の生徒が入れないようにカギかけてもらってるからな」
裏口に着くと、梁は私の腕を掴んでいた手を放し、その手で裏口の扉を開く。
ほら、と促され、私は入学してから初めて裏口から講堂の中に足を踏み入れた。
* * * * *
【Side R】
「── わー、なんか贅沢だねー」
両腕を広げた香穂がくるりとターンすれば、モスグリーンのスカートがふわりと空気を孕んだ。
「誰もいない講堂を独り占め── じゃなくて、『ふたり占め』だね!」
ふふっ、と嬉しそうに笑う香穂の笑顔に思わず口元が緩みそうになった。
マズイ、と顔を引き締め、ステージ中央のピアノに向かう。
いつもなら放課後のこの時間、楽器を手にした音楽科の生徒たちでにぎわっているはずの講堂はしんと静まり返っていて、床板を叩く靴音がやけに大きく聞こえた。
2人分の荷物をピアノの足元に置き、ピアノの天板を開けてから椅子に座って蓋を開いたところでこっそりと溜息を漏らす。
ここに来るまでに香穂にかかってきた電話が気にならなくもないが── 漏れ聞こえる相手の声が明らかに男のものだったから。
どうやらCMの関係者らしいし、ディレクターが女だからってスタッフ全員が女、というわけでもないだろう。
本番も近いことだし急な打ち合わせか何かあって、意見が食い違ったかどうかで香穂がはっきり意思表示したせいで険悪な雰囲気になって、それを詫びた── そんなところか。
俺の頭は昨日の香穂の謎の行動をすっかり納得してしまっていた── ただの推測だというのに。
そうなれば、後は土曜日の本番目指して仕上げのラストスパートをかけるだけ。
講堂を使うことを思いついたのは、午前の授業中。
練習に緊張感を持たせる、というのも理由のひとつだが、目的はもうひとつ。
ストーカーの野郎も施錠され『設備点検のため立入禁止』と貼り紙がされた── 練習室に香穂を迎えに行く前に確認した── 講堂の中にまさか香穂がいるとは思わないだろう。
コソコソと後をつけ回して喜んでるような下劣なヤツに、香穂の姿など一目たりとも拝ませてやってたまるものか。
そんな訳で講堂の独占使用を理事長に願い出たのだが、学校とは無関係なことでの使用は許さないと一蹴されるかと思いきや、あっさり了承されたのだ。
まあ、香穂の話からすれば、CM出演は香穂本人よりも乗り気だったらしいし、学院にわずかでもプラスになることなら協力することはやぶさかではない、ということか。
多少引っかかる部分もあるが、使えるものはありがたく使わせてもらうとして。
「………あのさ、梁──」
「さ、練習始めようぜ!」
ストーカーに対する「してやったり」感に満足していた俺は、香穂との演奏でいつも感じる心が躍るような高揚感を思い出しつつ、何か言いかけた香穂の言葉を遮ってしまっていた。
【プチあとがき】
香穂子さん第一な土浦氏(笑)
またもストーリー進まず(泣)
【2008/01/12 up】