■Confidential Message【8】
【Side K】
そして翌日。
今日の6時間目は体育。
A組、B組合同で行われ、男子はグラウンドでトラック競技、女子は体育館でマット運動。
できれば私も外で走りたかったなー、なんて思ったり。
だって、マットの上でころころしてるより、思い切り走ったほうがスッキリしそうじゃない?
ここのところ、ムカつくこととか多いし。
授業も終わり、同じクラスの森真奈美ちゃんたちと体育館を出たところに、よ、と手を上げるキャップを深くかぶった男。
今日のスタイルは、普通のジーンズに前開きタイプの黒いパーカー、スカイブルーの綿シャツにキャップはパーカーに合わせたのか黒── ってそんなことはどうでもいいっ!
なっ、なんでまたいるのっ !?
ムカつきの素、星野 瞬っ!
売れっ子芸能人って、毎日人の学校に通うほど暇なわけ !?
私は見なかったことにしてその場を立ち去ろうとした。
が。
「おーい、日野香穂子ぉー」
……お願いだから呼ばないで。それもフルネームで。
ちらりと見ると、くいくいっと手招きしている星野くん。
あーもう。
『浮気 !?』なんて騒いでいる森ちゃんたちに力いっぱい否定して。
まったく、この人は自分の立場をわかってるのかな?
『トップアイドル・星野 瞬が来てる!』ってわかったら大騒ぎになるだろうに。
はぁー、と深い溜息ひとつ。
森ちゃんたちに先に更衣室に行ってもらい、私は仕方なくその場に残った。
「……何かご用ですか?」
「うん」
軽く睨みつけながらのトゲのある質問に返って来たのは、にこやかな返事。
「……これから練習がありますので、手短にお願いします」
「りょーかい♪」
星野くんはつかつかと歩いてきて、いきなり私の手首を掴んだかと思えば、ずるずると引きずり始めた。
「ちょっ、なっ、何するんですかっ !?」
「お茶しよ、お茶」
「はぁっ !?」
「メシでもいいんだけど、時間早いし」
「ちょ、ちょっと待ってっ!」
抗議も空しく引きずられて行ったのは北門。門の前には左ハンドルのスポーツタイプの車が停まっていた。
あれよあれよという間に助手席に押し込められてしまった私。すぐに外の風景が流れ始めて。
パニクる私は止めてー!降ろしてー!と大騒ぎするものの、星野くんはお構いなしに鼻歌混じりにハンドルを握っている。
ちょっとーっ! これって拉致じゃないのっ !?
制服ならともかく、私、ジャージなんですけどーっ!
とにかく逃げなきゃ!
……といっても走る車から飛び降りて怪我したらヴァイオリン弾けなくなるし。
ケガどころか死んじゃう可能性だってあるし……。
このまま梁太郎に会えなくなるなんてイヤだよぉ…。
── どうにもならない状況に、私はぐったりとシートに身体を沈めるしかなかった。
* * * * *
【Side R】
練習室へ向かおうと教室を出ると、あまり会いたくない相手と目が合った。
「や、土浦くん! いいところに!」
報道部員、天羽菜美── またの名を『スッポンの天羽』。
コンクールの頃から取材だ、インタビューだ、と付きまとわれ、いつしか香穂の親友の座に収まっていた。
まあ、人間的にはさっぱりしていて悪いヤツじゃないし、去年のコンサートの頃の香穂への献身的な協力っぷりを見ていれば、あまり無碍にもできないのだが。
「なんだ天羽、また取材か?」
「取材……っていうか、香穂に関する噂の真相を確かめに、ね」
噂……? まさか、CMの話がどこからか漏れたのか?
香穂のクラス、A組の扉はぴったりと閉じられている。まだホームルーム中なのだろう。
「ね、香穂から何か聞いてない?」
「……いや、俺は何も」
「そっか……」
天羽は考え込むように眉をひそめた。
こいつのことだ、CMの話ならもっと大騒ぎしそうなもんだが……。
「で、どういう噂なんだ?」
「それがね── 香穂にストーカーしてるやつがいるらしいのさ」
ゾクリ。
背筋が凍りつく。
「昨日の放課後、森の広場から出てきた香穂の後をつける男の姿を目撃した子がいてね。キャップを深くかぶってて、いかにも怪しいって感じの男だったって話だよ。
ね、つけられてるとか怖い目に遭ったとか、言ってなかった?」
そんな話、聞いてねぇ。
学校への行き帰りはいつも一緒だが、そんなヤツには気づかなかった。休日もたいてい一緒に過ごすし
── いや、この間の休みは『家でじっくり練習したいから』と香穂が言うから会わなかったんだ。どこかに出かけでもして、その時に目をつけられたのか?
「とにかく、ちょっと気をつけてあげてよ── って、言うまでもないか」
あはは、と笑ってパシパシと肩を叩いてくる天羽。
当たり前だろ、香穂には指一本触れさせてたまるか。
香穂を見てストーキングしたくなる気持ちはわからなくはないが、やっていいことと悪いことがある。
……待てよ……昨日、キャップの男……。
アイツか !? 練習室を覗いてたキャップの男!
くそっ、俺の香穂にストーカーするなんざ、絶対許さねぇっ!
俺が拳を握りしめると同時にA組の扉がガラリと開いて、ぞろぞろと生徒が出てきた。
「あ、天羽ちゃん、今日も取材〜?」
天羽を見つけて話しかけたのはA組のピアノ専攻の森。コンクールの時に香穂の伴奏を務めたことで天羽とも仲がいいらしい。
「いやいや、今日は別件なんだ。ね、香穂、まだいる?」
「あ、日野ちゃんは──」
森は後ろにいた俺を見るなりギクリと顔を引きつらせた。
おもむろに天羽の腕を掴むと、ダッと駆け出し廊下の端まで行ってしまった。こちらに背を向けたまま、2人でこそこそと話している。
途中、『えーっ !?』『うそーっ !?』と天羽の合いの手が入り。
2人してちらりとこちらを振り返ったかと思えば、『じゃあね土浦くん!』と2人揃って逃げるように姿を消した。
……なんなんだよ、その態度は。
間違いなく香穂についてのことなんだろうが、俺をそこまで気にするほどの話って、一体何だ?
頭をがしがしと掻きながら見やったA組の教室の中に、香穂の姿は見えなかった。
* * * * *
【Side K】
ここは臨海公園。
学校帰りの学生や、遊びに来た親子連れ、犬の散歩をする人たちが行き交い、その向こうに見えるのは果てしなく広がる海。
ベンチに座る私の手にはスタンドで買った、いや買ってもらった紙コップのジュース。
振るとカサカサと音を立てる氷は、秋も深まったこの季節には少し寒い。
どうして私はこんなところにいるの? それも学校のジャージ姿で。
それは──、隣にいる横柄な態度で足を組み、ベンチに沈み込んでコーラを啜ってるこの男に拉致られたんですっ!
めちゃくちゃ恥ずかしいんですけどっ!
……まあ、ジョギングやウォーキングする人たちがいるからジャージでもさほど違和感はないんだけど。
でも、ワタクシ的には学校のジャージで外に出るなんて初めてだから恥ずかしいのっ!
……まったくもう。
「──で、何の用なんですか」
「言ったじゃん、お茶しようって」
前を見たまま、グビリとコーラを一口。
あのねぇ…。
「なに? 喫茶店とかのほうがよかった?」
「そんなこと言ってませんっ! ……芸能人って、そんなに暇なんですか…?」
周りの人にこの人の存在を悟られないよう、ボリューム最小で問いかける。
「ううん、めちゃ忙しい」
「じゃあ、さっさと帰ってください」
星野くんは視線だけを私に向けて、ニヤリと口の端に笑みを浮かべ、
「この先に大きな洋館あるじゃん? そこでドラマの撮影中」
「……だったらこんなところにいたらマズイんじゃないんですか?」
「オレの出番、次は夜のシーンだから。暗くなる頃に戻ればいいの」
「そちらはそうかもしれませんけど、私は早く学校に戻って練習したいんです!」
「まあいいじゃん。あ、なんか食う? たこ焼きとかは?」
「いりませんっ」
きっぱりと言い放つと、私はすっくとベンチから立ち上がった。
背凭れに両肘を掛け、組んだ足をぷらぷらと揺らしている星野くんを見下ろし睨みつけ、
「用がないんでしたら、練習がありますので私は帰りますっ」
私はくるりと踵を返す。
ジャージ姿で学校まで帰るのは非常に恥ずかしいことこの上ないのだけれど、背に腹は代えられない!
「……アンタさぁ」
え…?
今までとは違う声音に、私は思わず足を止めてしまっていた。
肩越しに振り返れば、星野くんは組んだ足の上に頬杖をつき、遠く海の方をじっと見つめていた。
その表情も今まで見たどの顔とも違う── 何の感情もない全くの無表情。
なんだろう?
このままここを去ってはいけないような気がして、私は数歩戻ってベンチの傍に立った。
星野くんは海を見つめたまま、
「……アンタ、いつも練習、練習って言ってるけどさ── そんなに練習が楽しいワケ?」
「はい、とっても」
私の淀みない即答に、膝の上からズルッと肘を滑り落とし、ガクンと肩を下げる星野くん。
……なによ、そのコントみたいなリアクションは。
否定してほしかったの? それとも答えに詰まることを期待してたわけ?
「ま、アンタって、悩みとかなさそうだもんな」
頭の後ろで手を組んで、背凭れにもたれかかって、ハハッ、と笑う。
ムッ、失礼なっ!
「わ、私にだって悩みくらいありますっ!」
「へぇ……もしかして、恋の悩み?」
「違いますっ! 進路とか将来のこととか──」
「それはそれは。学生さんも大変だね〜」
くくくっ、と喉の奥で笑う星野くん。
……もうっ! いつまでも人をおちょくって!
さっきのマジメな顔はなんだったのよ。足を止めるんじゃなかった!
今度こそこの場を去るべく、私は再び踵を返す。
「……学生の頃に戻りてぇなー」
「え…」
消え入りそうな呟きに振り返ると、星野くんはまさしく『遠い目』で海を見つめていた。
【プチあとがき】
あああっ、話が進まないっ!
まだまだ頭が正月ボケしてます、すみません。
【2008/01/04 up】