■Confidential Message【5】 土浦

「な、な、な─── っ !?」
 松下さんの腕をガシリと掴み、口をパクパクさせることしかできない私。
 当の松下さんはきょとんとした顔で、どうしたの?と言わんばかりに小首を傾げている。
 私がちらりと走らせた視線に気づいたのか、ああ、と合点のいった表情で笑った。
「超有名人だから知ってるわよね、星野 瞬くん」
 知ってるもなにも、今、日本で一番人気のある若手俳優、星野 瞬!
 顔よし、声よし、演技よし! 三拍子揃った超イケメンアイドルっ!
 CD出せばチャート1位は間違いなし、ドラマに出れば視聴率20%越えは確実!(らしい)
 他の人たちはすでに顔見知りなのか、松下さんが彼に私と飯島さんを簡単に紹介する。
 慌ててぺこりとお辞儀すると、彼はテレビで見るのと同じ笑顔で『よろしく』と言った。
 うわっ、笑ったよ、しゃべったよっ !? 一流芸能人が、私に向かって!
 すぐに私はくるりと向きを変えて松下さんの腕を掴み直した。
「そ、そ、そ─── っ !」
 そうじゃなくって!
 なんでそんな人がここにいるんですかーっ !?
「やだ、そんなに興奮しちゃった?」
 松下さんは私の慌てっぷりを見て、くすくすと笑っている。
 私はゴクリと唾を飲み込んで、
「な、なんで…っ !?」
「あら、言ってなかったかしら? 彼、映像の方の共演者なのよ」
「はぁっ !?」
 聞いてませんってば!
 うわーっ、うわーっ、うわーっ !! そんな大事なこと、なんで早く言ってくれないんですかーっ!
 もしも私が彼の大ファンだったら、今この場で卒倒してるわよっ。
 ……え? ファンじゃないのか、って?
 ヴァイオリンを始めてからクラシックにどっぷりになって、あんまり『芸能人』に興味がなくなったっていうか。
 そこらの芸能人よりもルックスのいい人がいつもすぐ傍にいるから、どうでもよくなったっていうか…。
 ……だって梁太郎、街で女の子たちが振り返るくらいカッコイイんだもん。
 でもでも、そんな芸能界に疎い私ですら知ってるような人が目の前に現れたら、そりゃ驚きますってば。
「撮影当日に初対面、じゃ緊張しちゃうでしょ? だから今日の顔合わせをセッティングしたのよ」
 茶目っ気たっぷりのウィンクをする松下さん。
 そういう問題じゃなくて!
 私の演奏姿だけ撮るんじゃなかったんですかーっ !?
 …いや別に『私だけを撮って!』なんてうぬぼれたこと言ってるわけじゃないんだけど。
 だいたい、今日一日でオトモダチになれるわけもないんだから、撮影当日だって緊張しますってば!
 やっぱりCM出演なんて引き受けるべきじゃなかったーっ!
 『ほれみろ』と意地悪に笑う梁太郎の顔が目に浮かぶ。
 やだもう……、帰りたい…。
 背凭れの高い椅子にぐったりと身体を沈ませ、大きな深呼吸をしてガクリと項垂れる。
 あ……。
 足元に落ちていたはずの箸はなくなっていた。
 テーブルまで視線を上げると、私の前に新しい箸が置かれている。
 ……取り乱している間に、店員さんが置いてくれたんだ。気づかなかった。
 そこからさらに少し視線を上げた先に、おじさんたちと談笑している星野くんの姿。
 ご飯食べながら会話してるだけなのに、やっぱりオーラが違うっていうか…。
 確か、歳は20歳くらいだったっけ。
 雰囲気は……そうだな、火原先輩と加地くんを足して2で割った感じ?
 綺麗な顔だちは、さすが芸能人。
 箸を持つ指もすらりと綺麗。でも、手は梁太郎より少し小さいかな、なんて比べちゃったりして。

 結局その後、星野くんとは会話らしい会話をすることもなく、顔合わせの親睦会は終了した。
 まあ、あちらは有名芸能人、私は素人の高校生。相手にされなくて当然かもしれないけど。
 ……せっかくの高級中華も何食べたか覚えてないし。
 そして、送り届けられた家の前で渡された『絵コンテ』なるものに、私は再び取り乱し、頭を抱えるのだった。

*  *  *  *  *

【Side R】
 休み明け、香穂の様子がどことなくおかしい気がした。
 金曜日の親睦会のことを聞けば、おろおろと目が泳ぐ。
 共演するピアニストの話をする時だけは、目をキラキラさせていたが。
 それにしても── 夏の音楽祭にしろ今回のCMにしろ、こいつはどれだけすごい人脈を掘り当てるのか。
 飯島 遥っていえば、あの野田 恵と人気を二分する若手女性ピアニスト。少しうらやましい気もするが、俺自身は下手に首を突っ込んで晒し者になるのは真っ平だ。
 放課後、練習室へ着くと細い窓から香穂の姿が見えた。
 ちょうど楽器の準備を始めたところか、と思えば香穂は1枚の写真のように動かない。壁際の小さなテーブルの上のヴァイオリンケースに手をかけたまま、じっと壁を見つめている。
 ノックをして入ったが、香穂は俺に気づいていないようだった。
 すぐ傍まで近づいて、顔を覗き込む。
 真剣な顔── 金曜日以降、何かあったのか?
「香穂?」
 ぽん、と香穂の肩に手を乗せる。
 途端、香穂は意味不明の大声を上げながら跳ねるように後ずさった。
「どうした?」
「な、なんでもないなんでもないなんでもないっ!」
 背中をベタッと壁に張り付けて、頭をブンブンと振る。
 俺が一歩近づけば、香穂は一歩、いや二歩、壁伝いに遠ざかっていく。といっても歩幅が違うせいで、俺たちの間の距離は変わらない。
 ……やっぱり変だ。
「おい、何かあったのか?」
 またも香穂は思い切り頭を横に振る。長い髪がふわりと広がった。
 そして俺がまた一歩踏み出した時、香穂は俺の脇をするりと抜けて、
「わ、私、ちょっと外で練習してくるねっ!」
 と、反対側の壁際のヴァイオリンケースをガシリと掴み、バタバタと部屋を飛び出して行った。
 ………俺が何か怒らせるようなことをしたのか?
 いや、怒っているようには見えなかったが。
 ならば、なぜ俺を避ける?
 ………考えてみても思い出すことも思い当たることもない。
 少し様子を見てみるか。香穂のカバンはここにあるし、時間になれば戻ってくるだろう。
 俺は今日与えられた新しい課題の楽譜を自分のカバンから引っ張り出し、ピアノの譜面立てに広げ── もう一度考えてみてもやはり理解できない香穂の態度に大きな溜息を吐いた。

*  *  *  *  *

【Side K】
 気がつけば、私は森の広場まで来ていた。
 無意識に練習室から一番遠い場所を選んだのかもしれない。
 ── どうしようどうしようどうしよう!
 別に隠すつもりじゃなかったんだけど、どうしても梁太郎には言えなかった。
 星野 瞬くんと共演することも、その星野くんとキ、キ、キ………あああぁぁぁっ、やっぱり言えないよー!
 私は広場の奥、ひょうたん池のほとりにあるベンチにぐったりと腰を下ろし、膝の上のヴァイオリンケースの上に突っ伏した。
 ああ、今日がいいお天気でよかった。日の当たる背中がほんわりと暖かい。
 とはいえ秋も深まってきて肌寒くなってきたせいか、辺りに他の生徒の姿もなく、しんと静まり返っていて。
 そばにある木からはらりと落ちた木の葉が着地するほんの僅かな音までが耳に届く。
 そんな静けさに気持ちが落ち着き始めると、頭に浮かんでくるのは── やっぱりCMのこと。
 あ゛あ゛あ゛……なんであんなシーンがあるのよ。
 ……そうだ、撮影の時に駄々捏ねまくってカットしてもらおう。うん、そうしよう!
 そうと決めたら練習しなきゃ。演奏は私の本分だもの、みっともない演奏なんて晒すわけにはいかない。
 膝の上からベンチへと下ろしたケースからヴァイオリンを取り出して準備する。
 ケースの角にカツンと当てた音叉を耳元にかざすと、迷いのない真っ直ぐな音がじーんと身体に染み渡っていくようで。
 その音を頼りに手早く調弦する。
 よし、私は世の中がうっとりするほどのいい演奏をしてみせるっ!
 すっと背筋を伸ばしてヴァイオリンを構え──
 ……撮影の日は、ひとりで行ったほうがいいよね。もしも、もしも避けられなかった場合、梁太郎には見られたくないっていうか、見せたくないっていうか。
 ── ゆっくりと弓を引く。

 ギギギギ〜〜〜〜〜ッ

 あーん、のこぎりみたいな音っ! もうっ、私の音には迷いがありまくりじゃないのっ!
 邪念を払うように頭を振っていると、ふいに背後から、ぶくく、と押し殺したけど我慢しきれませんでした的な笑い声が聞こえて、私は慌てて振り返った。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 煽った挙句、登場したのがオリキャラでごめんなさい。
 だから注意書きしてるでしょ、『オリキャラ注意報発令中』って(笑)
 このキャラの場合、便宜上で名付けるわけにいかないからいろいろ考えたんですよ。
 コルダ的にはやはり天体モノということで。
 なかなか思いつかなくてねー。
 結局、『星の瞬き』ってことで。安直〜(笑)
 さて、彼は今後どんな動きを見せてくれるんでしょうか。

【2007/12/12 up】