■Confidential Message【3】
【Side K】
── 客寄せパンダ。
梁太郎にそう言われて、少しドキリとした。
売り言葉に買い言葉で『大歓迎だよ』、なんて言ってしまったけど、よく考えればCMに出るっていうことは、そのCMがテレビで流されるってこと。
もちろん今さらなことなんだけど──、ちょっとだけ不安になってきたりして。
でも、私は心を込めてヴァイオリンを弾くだけなんだ。
それを見て音楽やヴァイオリンに興味を持ってもらえれば、それでいい。
── そう思っていたんだけど。
* * * * *
あっという間に木曜日になっていた。
コンクールの頃や、コンサート漬けの頃のように、期日を決められての練習をしていると本当にあっという間に日にちが経ってしまう。
松下さんにもらった曲は4日間でなんとか一通り弾けるようにはなった。
まあ、有名な曲だし、耳にしたこともあるし。
朝、迎えに来てくれた梁太郎が『そろそろ一度合わせてみるか』と言ってくれた。
土曜日にもらった曲はクライスラーの『愛の喜び』── ヴァイオリンとピアノのデュオ曲だったことに、私は内心飛び上がるほど喜んだ。
私がCMに出ることにあまりいい顔をしない梁太郎に、その場で楽譜を渡した。無理矢理笑顔を作って。
そりゃ録音の時はきっとプロのピアニストさんとの演奏になるんだろうけど。でも、楽譜を見た瞬間、私はこの曲を梁太郎と演奏したいって思ったんだ。
だって『愛の喜び』だよ? 梁太郎と演奏するだけで、いい音が鳴りそうじゃない? なーんて。
単なる練習だけど、演奏するからには手を抜かない、というのが彼の主義だから、きっとすごい演奏を披露してくれるに違いない。
なんだか楽しくなってきた私は、彼の申し出に二つ返事で頷いた。
そして放課後。
本日最後の授業が長引いて少し遅れた私は、急ぎ足で練習室へと向かっていた。
と、練習室棟の入口に見覚えのある人影。
「……松下…さん?」
「あ、香穂子ちゃん! よかった、ここにいれば会えると思ったんだ」
松下さんは持っていたシステム手帳を頭上で振って、私のところへ駆け寄ってきた。
「こんにちは。今日はどうされたんですか?」
「うん、ちょっと連絡したいことがあって」
「電話でよかったのにー。携帯の番号、教えましたよね?」
「そうなんだけどね、ちょっと様子見も兼ねて、ね」
「あはは…ちゃんと練習してますよぉ。信用ないんですか、私?」
「ごめんごめん、そういう意味じゃなくて。私が作るCMは私の可愛い子供たちみたいなものだから、いいもの作りたいじゃない? だから気になっちゃって」
肩をすくめて、ふふっと笑う松下さんは、なんだかとってもチャーミングで。
いい演奏をしたいと思う私と、いいCMを作りたいと思っている松下さん── きっと思いは同じなんだ。
これはしっかり練習しておかないと。
「あの、今から練習するんですけど」
身振りで練習室棟を指して『どうぞ』と促し、ふたり肩を並べて練習室へと歩く。
「── あ、連絡したいことって何ですか?」
「いけない! 忘れるところだった!」
意外とそそっかしい人なのか、松下さんは慌てて手帳を開く。そんな姿に私は思わず苦笑い。
「えーっと、明日なんだけど、夕方ちょっと時間取れないかな?」
「あ、はい、大丈夫ですけど…。何があるんですか?」
「共演者との顔合わせよ。まあ、食事しながらの親睦会みたいなものね」
「はあ…」
「じゃあ6時に門のところに迎えに来るわね」
6時なら下校時間ギリギリまで練習できるし── 私がわかりました、と頷いた時には目的の部屋の前に到着していた。
「遅かったな」
ノックして扉を開いた瞬間の第一声。
「ごめん、音楽史の授業が長引いちゃって」
部屋に入っていく私の後ろを見た梁太郎の眉がふっと曇った。
「あっれ〜、保護者クンがいる。キミも香穂子ちゃんの練習、聞きに来たんだ?」
私の後ろから入ってきた松下さんの言葉に梁太郎の曇った眉はぐいっと中央に寄り、眉間に深い皺が刻まれた。ああっ、梁太郎の機嫌、急降下っ!
「いえ、あの、練習に付き合ってもらってるんです!」
慌ててフォローすると、松下さんは、へー、と気のない返事をして練習室の中を興味津々でぐるりと見回し始めた。
恐る恐るピアノの方をちらりと見れば、険しい顔の梁太郎。指をくいくいっと曲げて私を呼んでいる。
はぁー。
大きな深呼吸をしてからピアノの傍へ。
「(なんであんなヤツ連れてきたんだよっ)」
「(そこで会ったんだもん、しょうがないでしょ)」
「(何しに来たんだよ、アイツ)」
「(様子見に来たんだって)」
顔を寄せ合っての密談の後、梁太郎は大きな溜息を吐いて頭を掻き毟った。
そんなに松下さんのこと毛嫌いすることないじゃないの!
あーんもう、怖い顔っ!
私はピアノから離れ、楽譜の準備をすると壁際の机の上に置いたケースからヴァイオリンを取り出した。
ざっと糸巻きを締めて、音ちょうだい、と声をかける。
ポーン、と響くAの音。
手早く調弦を済ませてピアノの横に立つ。
「あ、今日初めて合わせるんで、あんまり期待しないでくださいね」
苦笑混じりに松下さんにそう断ると、彼女はなぜか少し驚いた顔をして小首を傾げた。
私は梁太郎に視線を戻し、これぐらいのテンポで、と弓をタクト代わりに振って少しゆっくりめのテンポを指定すると、梁太郎は、了解、とニヤリと笑う。
そして、呼吸と構えたヴァイオリンの動きで演奏スタート!
ヴァイオリンとピアノの華やかな和音が部屋に広がって。
交互に奏でるメロディはいつもの小気味いい会話のようで。
メロウな旋律は甘える私で、それに軽やかに音を添えるピアノは『しょうがねぇな』といいながらも笑顔で付き合ってくれる梁太郎みたいで。
きゃーっ、私ってば何考えてんのっ!
その瞬間、ヴァイオリンの音が一瞬よれる。
まずいっ、と思った瞬間、怪訝な顔の梁太郎と目が合った。
……慌てて立て直したけど。
今のを除けば、テンポはゆっくりめなものの、お互いの演奏の呼吸を知り尽くしている私たちの音は気持ちがいいほどに重なった。
一通り弾き終えて、ふぅーと息を吐きながら、ゆっくりと弓を下ろす。
梁太郎もゆっくりと鍵盤から手を下ろした。
「……お前、」
あ、何か言われるっ! そう思った時、梁太郎の言葉を遮って盛大な拍手が鳴り響いた。
もちろん、拍手の主は松下さん。
「すごいじゃない! 私、感動しちゃったわよ!」
「え、あ、あの……ありがとうございます…」
…そこまで誉められる演奏じゃなかったんだけどな…。
とりあえず私はヴァイオリンを抱えて松下さんにお辞儀する。
「── この程度で満足されちゃ、困るんだがな」
腕を組み、険しい表情でギロリと松下さんを睨みつける梁太郎。
「あー、確かに詳しいことはよくわからないけど……でも、素敵な演奏だと思ったわよ」
「そりゃどうも」
敵意丸出しの梁太郎に、松下さんは困ったように苦笑してる。あー、もうっ!
「それに、保護者クンがピアノ弾けるってのにもびっくり」
「── 俺には『土浦梁太郎』って名前があるんすけど。それに、制服見りゃ俺が音楽科だってこともわかりそうなもんだろ」
私も梁太郎も白いブレザーにモスグリーンのボトム。転科を決めた頃、梁太郎は音楽科の制服を『似合わないから』と嫌がっていたけれど、今の彼はちゃんと規定通りに着用している。
もちろんアスコットタイも。コンクールやコンサートのステージ衣装で彼のアスコットタイ姿を見慣れてたせいか、意外に違和感がなかったのよね。
「そうだわね、重ね重ねごめんなさい。この学校には普通科と音楽科があって、制服も違うっていうのは知ってたんだけど、土浦くんってスポーツマンなイメージがあったものだから」
ニコリと笑う松下さんに、梁太郎は憮然とした顔をしたまま何も答えなかった。
愛想のない梁太郎も梁太郎だけど、松下さんもそれ以上梁太郎を挑発しないでよぉ!
「あ、あのっ! 彼、去年までサッカー部だったんですっ! 春に一緒に普通科から転科して」
「へぇ〜」
松下さんの顔に納得っていう表情が浮かぶ。
「あの、もう一回演奏するんで、聴いててもらえます?」
「ええ、もちろん」
ニコリと笑みを浮かべる松下さん。
もうこれ以上このふたりに会話させちゃだめだ! 次の演奏が終わったらお引き取り願わなきゃ。
「梁、もう一回お願い。今度は普通のテンポで」
梁太郎は、わかった、と険しい顔で言って、気持ちを落ち着けるためか目を閉じて大きな深呼吸をする。
しばらくの後、開いた目をちらりと私に向けて、
「……演奏中に余所事考えんなよ」
と、険しさの消えた口の端に僅かな笑みを浮かべた。
「し、失礼ねっ! 余所事じゃないわよ、曲のことを考えすぎたのっ!」
そうよ、まるっきり違うこと考えてたわけじゃないもの。曲の中に入りすぎたっていうか、妄想してたっていうか………そういうのも『余所事』ってことになるのかな?
あー、だめだだめだっ! 集中しなきゃっ!
「ま、そういうことにしといてやるよ」
「もう、ほんとだってば……」
ふっと笑った梁太郎が長い指でピアノの上を叩き、テンポを取る。
小さく頷いた私は、再びヴァイオリンを構えた。
【プチあとがき】
むはー、やっと書けた。
書きながら『愛の喜び』ヘビロテでございました。
あんまり話は動いてないけど、ちょっとした伏線…になるのかな?
この調子で書けますように…。
【2007/12/03 up】