■Confidential Message【1】 土浦

【Side K】
 うだるような暑さの続いた夏が終わり、ようやく風が爽やかな秋を運んできた今日この頃。
 1年前のちょうど今頃はアンサンブルコンサートでてんてこまいだったっけ。
 春には音楽科へ転科して、夏休みに催された某音大との合同音楽祭に強制参加させられて。
 その音楽祭では辛い思いもしたし、みっともない姿もさらしたりしたけれど、いろんな人たちに出会い、彼にも支えられて、見失っていたものも取り戻すことができて。
 今ではいい思い出だし、いい教訓になっていると思う。
 その後しばらくして発売された音楽誌に載った音楽祭の記事に、私が有名指揮者の振るオケでソリストをやったことや、有名な音楽家とアンサンブルを披露したことが触れられていたことで ちょっとした騒ぎにはなったけれど、それもすっかり落ち着いた。
 そして私は今、穏やかな気持ちで音楽に取り組んでいる。

*  *  *  *  *

 放課後、練習室でヴァイオリンを弾いていた私は、突然スピーカーから聞こえた下校時間を知らせる放送に慌てて楽器を仕舞い始めた。
 今日も結構集中して練習してたな、なんて自己満足に浸りながら。
 と、コンコンと扉がノックされ、ひょっこり顔を出したのは隣の部屋で練習していた土浦梁太郎。
 何を隠そう、私、日野香穂子のカレシである。
 街を歩けば女の子たちが振り返るほどのルックスと、私よりも20センチも高い背にがっちりした身体の元サッカー部のスポーツマン。 音楽科への転科と同時に退部したものの、今でも昼休みにはサッカーやバスケに汗を流している。
 そんな彼の大きな手が生み出すピアノの音色は、情熱的かつ繊細で、聞く者をとりこにする。
 そして今の私があるのは、この学校に棲む音楽の妖精によってもたらされたヴァイオリンと、彼の存在なくしては語れないのだ。
「どうした? 手、止まってるぜ?」
「え…?」
 戸口に凭れて梁太郎がニヤリと笑っている。
 ……しまった、思わず見惚れてちゃってた。
「ご、ごめん、すぐ片付けるっ」
「そんな焦らなくていいぜ。置いて帰りゃしねえから」
 ははは、と笑う梁太郎。そんなこと言われたら、余計焦るってば。

 忘れ物がないか、部屋をぐるりと見回してから練習室を後にする。
 クラスの違う梁太郎と今日あった出来事やら他愛ない話やらをしながら練習室棟を出ると、そこには見慣れぬ2人の女性が立っていた。
 1人は日本人形のようなストレートの黒髪。
 もう1人は茶髪のショートヘア。
 どちらもがキャリアウーマンっぽいスーツをびしっと着こなしている。
 新しく来た先生かな? それとも誰かのお母さんなのかな?
 ちょっと頭を下げて2人の横を通り過ぎようとすると、女性のどちらかが「あ!」と声を上げた。
 その声に驚いて一瞬足が止まった。すると、私の腕は黒髪の女性にがしりと掴まれていた。
「ね、あなた、日野さんよね? 日野香穂子さん!」
「え……はい、そうですけど…」
 ぐいっと迫ってくる女性に、私は思わず後ずさる。腕を掴まれているのでほんの半歩だけだったけれど。
「よかった〜、やっと会えた!」
 いきなりごめんなさいね、と女性はぱっと手を離すと、ジャケットの内ポケットから取り出したカードケースから1枚の名刺を抜き出して、私へと差し出した。 ほぼ同時に差し出されるショートヘアの女性の名刺。
 受け取った名刺には、
 『月刊クラシック・ライフ編集部 河野けえ子』
 『シューティングスター・プランニング ディレクター 松下紗希』
 と印刷されていた。
 そういえば、音楽祭の記事が載ってたのは確かクラシック・ライフだったっけ。でも、『シューティングスター・プランニング』って何の会社だろう?
 横から私の手元を覗き込んでいた梁太郎を見ると、やはり心当たりがないのか、首を傾げていた。
「あ、あの……私に何か……?」
 そして、2人の女性の口から発せられた言葉に、私は腰を抜かすほど驚いたのだった。

*  *  *  *  *

「し…CM出演ーっ !?」
 思わず叫んだ私の口は松下さんにガバッと押さえられ、引きずられるようにして移った場所は理事長室。
 人目を── ではなく、人の耳を憚ることゆえ、ということらしい。
 ソファにちんまりと座る私の前には河野さんと松下さん。
 私の隣にはなぜか、というより場所的に当然というべきか、吉羅理事長が座っている。
 そして、不本意ながら部外者扱いされた梁太郎は外の廊下で待ってくれていた。
「── でね、たまたま行ってた音楽祭であなたの演奏を聞いて、これだ!って思ったのよ」
「……はあ…」
 そんなぁ…、CMに出るなんて、そんなこと私にできるわけないじゃないっ!
 私は冷や汗をたらたら流しながら、隣に座る吉羅理事長に救いを求めた。
「あの……理事長さん…?」
 そういう活動は勉学の妨げになるから許可できません、とかなんとか言っちゃってください!
 すると理事長は私の方を鋭い眼差しでちらりと見て、
「私の方は既に了承している。後は君次第だ」
 ええええぇぇぇぇっ !? ウソでしょーっ !?
 ……はっ! そうだった、この人は端(はな)から私のことを『学院の広告塔』扱いしてた人なんだった!
 助けを求めた私が間違ってる !?
 君次第、とか言いながら、『出演決定!』みたいな顔で睨んでるしっ!
 それからは河野さんと松下さんの口からとめどなく流れる説明をぼんやりと聞いて、解放された時には3キロほど減量したかのようにげっそりしていたのだった。

 CMは某お菓子メーカーの冬に新発売されるチョコレートのものらしい。
 ちょっと大人向けのビターで、口溶けの良さがウリだとか。
 それを『しっとりとクラシカルなイメージで』表現するためにクラシック音楽の演奏者を探していた松下さんが河野さんに相談を持ちかけ、あの音楽祭へ行ったのだそうだ。
 まずは私の演奏を気に入ってくれたらしく(それはとても嬉しいことだけれど)、単にBGMの演奏での起用の予定が、 いっそ演奏姿をそのままCMにしてしまおうという方向になったそうで。
 出演OKならば、もちろん学業を最優先するし、プロフィールも一切公開しない、と力説された。これは理事長からの要求でもあるそうだ。
 それに、録音に1日、撮影に1日、計2日の拘束だけだから、と。
 パニックで真っ白になっていた頭が覚えている限りのことを梁太郎に聞かせながら、家への帰り道をとぼとぼと歩く。
 『家の人以外にはこの話はしないでね』とクギを刺されてるけど、梁太郎にだけは話してもいいよね。
「── で、お前はどうしたいんだ?」
「え…?」
 硬い声に思わず私は隣を歩く梁太郎を見上げた。
 彼はまっすぐ前を向いたままだった。
「どうしたい…って……、どうしよう」
 梁太郎は、はぁ、と溜息を吐き、
「『断る』じゃなくて『どうしよう』っていうことは、『やってもいい』って気持ちが少しはあるんだろ?」
「それは…」
 確かに、2日間だけなら、と思わなかったわけではない。でも──。
「いつまでに返事するんだ?」
「あ、えっと、金曜日の夜、家に来るって」
「へえ」
 気のない返事。
 と、ぽすっと頭にいつもの大きな手の感触が乗せられ、すぐにそれは消えた。
「じゃ、また明日な」
「え」
 いつの間にか私の家に着いていた。
「あ、うん、おやすみ」
 梁太郎は振り向くことなく肩の上で軽く手を振り、そのまま帰っていった。
 もしかして、機嫌悪い…?
 ── CMのことを話し始めてから、一度も梁太郎と目が合わなかったことに、ふと気がついた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 えー、長編『Ecdysis』の設定を引き継いでますが、別物と思ってもらってかまいません(笑)
 ふふっ、またも火原ネタを拝借♪
 さーて、再び大風呂敷を広げてしまいましたが、一体どうなることやら…。
 あ、タイトルは今のとこそんなに意味ありません。単に『CM』とかけただけなので。
 しばしおつきあいくださいませ〜。

【2007/10/25 up】