■がむばれ!八葉! 【その8・ちもりんの入水失敗 〜名探偵ノゾミ〜】 知盛

「そうか…… わかったわ──── 謎はすべて解けた!」
 船の舳先で一人、思考の中に浸っていた望美の眉間の皺は消え、晴れやかな笑みがその顔には浮かんでいる。
 望美はくるりと踵を返すと、横たわる知盛のところへつかつかと歩み寄った。
「知盛…… あなた、今流行りの潜水競技に出たら、いい記録を叩き出せるでしょうね」
「……?」
 望美の言う意味が理解できず、知盛は眉をひそめる。
「訓練したんでしょ? 水中で息を止める訓練を── お風呂か池か…… 場所まではわからないけど」
 知盛はふん、と鼻を鳴らすと、望美から視線を外した。
「先輩、一体どういうことなんですか?」
 たまらず聞いてきた譲に、望美は微笑を返す。
「簡単なことよ── 知盛は私たちとの戦いの後、派手に海に飛び込んで見せた── そして私たちは知盛の身体を引き揚げようと海の中を探したわ── でも見つからなかった」
「え… でも、知盛は今ここに……」
 譲の疑問は、この場にいた全員の疑問でもあった。
 その問いに、望美はふっと溜息を零し、
「この時空では、ね── けれど、別の時空ではいつもそうだった。だからこそ、私は網を仕掛けておいた…」
 『この時空』『別の時空』と言われて理解できるものはこの場には誰もいない(先生&白龍を除く)。
 諦めたように皆は口をつぐむしかなかった。
 望美は自分の身体を抱きしめるように腕を組むと片手を顎に当て、横たわる知盛の横をゆっくりと行ったり来たりし始めた。
「潜水の訓練をした知盛は水に落ちた後、腰に付けた石のおもりで深いところまで身体を沈ませ、そのまま船の底をくぐった── 見つからないはずよね、私たちが知盛が落ちた辺りを探している頃には、知盛はもう船の反対側に辿り着いていたのだから」
 周囲がざわめく── 意味はよくわかってないくせに。
「私たちの目を逃れた知盛は、適当な場所で肩当てを外すと足に付けた── 足ひれ代わりにするためにね」
 知盛がふっと鼻で笑った。
 望美はかまわず、歩きながら先を続ける。
「木の板の裏打ちは肩当てがひらひらしないため── 取っ手のように見えたところに爪先を入れ、端に付けた長い縄で足首に固定する──。 おそらく将臣くん── 還内府からダイビングのことを聞いていたんでしょうね」
 再び空気が動いた。
 こともなげに望美が口にした『将臣=還内府』に驚いた仲間たちが上げた、声にならない声だった。
 知盛はうっすらと笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。
 望美は歩みを止めると知盛の横に跪き、顔を覗き込んだ。
「ねえ知盛…… あなたはそこまでして、どこに辿り着きたかったの?」
 悲しげな色さえ浮かぶ望美の瞳を一瞥すると、知盛はゆっくりと身体を起こし、船縁にもたれかかった。
 傷の痛みに耐えるように顔をしかめたまま黙りこくっていた知盛の表情がふっと緩む。
「クッ…… さすがだな、源氏の神子…… その予言も神子の力、か…」
 なんだかよくわからない望美の推理に陥落してしまった知盛。
 遠巻きに見ていた仲間たちの肩がカクンと落ちた。
「だが… ひとつだけ間違ってるぜ…… 俺が訓練したのは風呂でも池でもない……手水鉢さ」
「ちょうず… ばち…?」
「ああ…… 俺が手水鉢を独占していたから… 『手が洗えん』と一門の者からは不評だったがな……」
 ギャラリーの数人が脱力のあまりその場に崩れ落ちた。
「── で、あなたが目指したのはどこ?」
「……安芸国へ、行こうと思ったのさ……」
「なぜ安芸へ……? もしかして厳島にまだ何かあるの !?」
 知盛は船縁に頭を預けると、茜色のグラデーションがかかり始めた空を見上げ、うっとりとしたように目を閉じる。
「そろそろ…… 牡蠣の美味い季節だからな……」
 さらに数人が崩れ落ちた。
「あんたってば、ほんとバカっ! 大切なことを忘れてる!」
 望美はすっくと立ち上がる。握り締めた拳がふるふると震えていた。
 知盛は怪訝な顔で望美を見上げた。
「…… あんたの領地には『フグ』っていう名物があるじゃないの!」
 知盛がはっと目を見開いた。
 ドサドサドサッ!(さらに数人倒れた音)
「確かに牡蠣がおいしいのは認めるわ… 『海のミルク』っていうくらい栄養も豊富だし、これからの季節『牡蠣の土手鍋』は最高だと思う。でも……」
 望美は再び知盛の横に跪くと、そっとその肩に手を乗せた。
「あなたには『フグちり』があるじゃないの。とろとろふわりの白子は牡蠣にも負けないくらいおいしいわ。それに、鍋が終わった後の雑炊、たまらないじゃない」
 知盛はうっと呻いて目を伏せた。その目にはうっすらと涙が滲んでいるようにも見えた。
「ククッ…… 本当に俺は馬鹿だったな…… そんなことも忘れているとは……。この場で首を落とすなり、鎌倉に送るなり、好きにしろ」
 自嘲と諦観の入り混じった笑みを浮かべる知盛を、望美は優しい目で見つめた。
「もう、戦は終わったわ…… 陸に上がったら、みんなでフグちりを囲んで、ヒレ酒で乾杯しましょう?」
「…… それは、いい考えだな……」
 望美と知盛は穏やかに笑みを交わした。

 二人の乗る船の上にはしっかりした意識で立っている者は誰もおらず、すっかり濃くなった茜色を映す水面には一艘の船も浮かんではいなかった。

〜 おしまい 〜

【プチあとがき】
 いやぁ、そろそろ鍋がおいしい季節が来るな〜と思って。
 最後あたりは、コ○ンの事件解決の時のBGMを脳内再生してお楽しみください(笑)

【2006/10/06 up】