■がむばれ!八葉! 【その7・最強神子の暴走】
春の京、六条櫛笥小路の梶原邸。
望美はウグイスの鳴くのどかな庭で、濡れ縁に座り、ぼんやりと外を眺めていた。
時々ため息をついては、空を見上げたり、地面を見つめたりしている。
何か気に病んでいることでもあるのか、と仲間たちは入れ替わり立ち替わり様子を見にやってきたが、望美はただ「なんでもない」と微笑むだけだった。
ふと、柔らかな春の日差しを遮る影に、望美は伸ばした足の爪先を眺めていた視線を上げた。
「どうしたんだ? んな辛気臭い顔して」
「あ… 将臣くん」
仲間たちが送り込んだ最終兵器だった。
付き合いの長い将臣ならば望美の落ち込みの原因もわかるのではないか、と。
「らしくねぇな。お前、いつからそんなにウジウジ悩むようになったんだ?」
「そ、そんなこと…… ない、こともないのかな」
望美は弱々しい笑みを浮かべると、再び足元に視線を落とした。
将臣は望美の隣にドサリと腰を下ろすと、足を組んでその上に頬杖をついて望美の顔を覗き込んだ。
「なんか悩んでるんなら、話してみろよ。解決してやるとは言わないが、少しは楽になるぜ?」
俯いていた望美の顔がハッと上げられ、将臣の視線とぶつかった。
まっすぐに自分の目を見つめる望美の眼差しの真っ直ぐさに、将臣は少したじろいだ。
そして、望美の顔がぱぁっと笑みに輝く。
ドキリと跳ねた心臓を気取られないように、将臣は思わず視線をそらせてしまった。
「将臣くんなら解決できる! 行こう!」
すっくと立ち上がった望美は、唐突に将臣の手首を掴んで走り出していた。
「うわっ、お、おいっ、行くってどこにっ !?」
「もちろん、── よっ!」
「── な……、なにぃぃぃぃっ !?」
そして二人は梶原家の馬を借り、制止する仲間たちの声に耳を貸すことなく邸を飛び出した。
もう目的地は目の前だった。
前を駆けていた望美が手綱を引いて馬を止め、鼻息の荒くなった馬を労うように首を撫でてやっていた。
少し距離を開けられていた将臣はそれに気づいて、馬の歩を緩めて望美に近づいていく。
横に並んで見た望美の横顔── 緊張を孕んだ真剣な眼差しで前を見据えていた。
ここまでの数日間、何も話そうとしない望美の考えていることが将臣にはまったく理解できず、ただ困惑するのみだった。
このまま進めば、自分の正体がバレしまう。それだけは避けなければ。
「望美、引き返すなら今だぜ」
望美はそれには答えず、代わりに馬の腹を蹴った。馬はゆっくりと足を動かし始めた。
「お、おいっ、マズいって…、ここは平家の本拠地だぜ、見つかったら──」
振り向いた望美はさっきまでと打って変わって満面の笑みを浮かべていた。
「だから将臣くんと来たんじゃない。よろしくね、還内府殿♪」
「え………… えええええええぇぇぇっ !?」
── ここは福原、目の前に雪見御所が迫っていた。
将臣の絶叫を聞きつけた雑兵が何事かと御所から駆け寄ってきた。
「何を騒いでいるっ! ── こ、これは還内府殿っ! お帰りなさいませ!」
「あ、ああ……」
深々と頭を下げる雑兵に軽く手を振ってから、将臣は望美の顔をちらりと盗み見た。
にっこりと満面の笑みを浮かべている望美の顔に、将臣は「何考えてやがる」と心の中で毒づいた。
「あ、あの…… こちらの女性は…?」
「あー、その…、なんだ……」
「春日望美でぇ〜す♪ よろしくね ♥」
訝しげに訊いてくる雑兵に何と答えたものかと将臣が言いよどんでいると、隣の望美が能天気に自己紹介した。
小首を傾げてにっこり笑う望美は確かに可愛い、と将臣は思う。
おまけに馬にまたがる望美の戦装束はミニスカートだった。すらりと伸びた足が馬の栗毛に映えている。
そして、凶悪なまでのハートマークの効果は抜群だった。
その証拠に、雑兵はぽぉっと顔を赤らめ、目のやり場に困っているのか視線が泳いでいる。
「と… とにかく、俺の客だ、丁重に扱ってくれよ」
「はっ!」
雑兵は頭を下げて短く返事をすると、赤くなった顔を上げることなく逃げるようにして御所へと駆け込んでいった。
「さて、と── 行きますか」
雑兵の姿が見えなくなった頃、望美が口を開いた。
「行くって……どこへ?」
「もちろん、怨霊がいっぱいいるところ ♥」
もう将臣に叫ぶ気力は残っていなかった。
雪見御所を通り過ぎ、しばらく馬を走らせたところに、巨大な木の壁が現れた。
高さは5、6メートルはあるだろうか、見上げれば隙間なくずらりと並んだ丸太の先端は鋭く尖らせてある。その物々しさは刑務所を彷彿とさせた。
「へぇ〜、すごいね〜」
「……… 中、見るか?」
自分の正体がバレてしまったからには、今さら取り繕ってもしかたがなく、望美のするがままにしておくことしかできなかったのだ。
「うん♪」
なんとも機嫌のよさそうな返事に、将臣は深いため息を吐く。
丸太の壁沿いに歩き、角を曲がったところで大きな物見櫓が目に入った。上には兵士が二人立っていて、壁の中を監視しているらしかった。
将臣は無言で物見台への梯子を登っていく。それに倣って望美も将臣の後ろに続いた。
「ちょっと見せてもらうぜ」
「か、還内府殿っ !?」
兵士たちは将臣に一礼すると後ろに下がって場所を空けてくれた。
物見台に立つと、重々しい丸太の壁の内部が一望できた。
野球の試合が2つ同時にできるほどの空間にうじゃうじゃと蠢くモノ── 鎧をガチャガチャいわせながら耳障りな奇声を発している怨霊武者がひしめいていた。
この丸太の壁の中は、次の戦のために清盛が作り出した怨霊をストックしておく檻だったのだ。
眼前に広がる光景は、普通の人なら卒倒してしまうことだろう。
将臣は、ここに来て黙りこくってしまった望美のことが心配になった。
白龍の神子として、日々怨霊と戦い、封印しているとはいえ、一度にこれほどの数の怨霊を目にしたことはないだろう。
見やれば、手すりの丸太を手の甲が白く色が変わるほど強く握り、その細い肩が小さく震えていた。
そこで将臣ははたと気づいた。
もしや望美は戦を回避するために自分ひとりで怨霊をどうにかしようとここへ乗り込んだのではないだろうか。責任感の強い望美のことだから、ありえない話ではない。
とは言え眼前の光景にさすがにビビッたか── 将臣は苦笑しながら望美の肩にそっと手を置いた。
「お前が白龍の神子でも、一人で背負い込むことはないんだぜ?」
望美の肩はまだ震えている。
「…………んっふっふっふ……」
「望美…?」
「……ふふふっ…… ふはははははっ!」
悪役のような高笑いを上げると、望美は手すりをひらりと飛び越え、宙に身を躍らせた。
「んなっ !?」
将臣が慌てて下を覗き込むと、数メートル下の地面に望美が綺麗に着地したところだった。
「望美っ! バカなことはよせっ!」
「還内府殿っ! いけませんっ! あなたに何かあったら、我々は── 平家はどうなるのですっ!」
望美を追って飛び降りようとした将臣を、兵士が二人がかりで羽交い絞めにしていた。
将臣がどんなに足掻いても、兵士たちはがっしり掴んで放してはくれなかった。
地面に着地した望美は、舞い上がった土煙の中をゆうらりと立ち上がった。
異変に気づいた怨霊たちが、侵入者を排除しようとわらわらと近づいてくる。
望美は頬にかかった髪をふぁさりと後ろに掻き上げると、腰に帯びた白龍の剣をゆっくり抜き、前に構えた。口元にニヤリと笑みが浮かび、目は爛々と輝いていた。
そう、望美は欲求不満だったのだ。
時空を何度も行き来するうちに、望美は強くなっていた── 彼女の師が「お前は強くなりすぎた」と苦悩するほどに。
京に出没する怨霊では相手にならず、また倒しまくったおかげで出没すらしなくなっていたのだ。
この世界の生活にもそろそろ飽きてきたことだし、ひと暴れしてからさっさとこの世界からオサラバしよう── それが望美の結論だった。
「まとめてかかってらっしゃいっ!」
望美の声を合図に、怨霊たちが鎧を軋ませながら襲い掛かっていく。
それを望美は軽々と斬り伏せ、合間に封印の言葉を紡ぎ、怨霊たちは光の粒へ還っていく。
みるみるうちに怨霊の数は減っていった。
「重盛っ、お前がいながら女一人に思うままにさせるなどっ!」
少年の甲高い怒声が響く。少年に従ってきた兵士の一団はその場の光景に声を失っていた。
「き、清盛……」
見張りの兵士から知らせを受けて慌ててやってきた少年── 怨霊と化した清盛が、両手をぶんぶん振りながら怒鳴り散らしていた。
「なんだこのザマはっ !!」
「そ… それは……」
清盛が指差した先には、肩幅に足を開き、腰に手を当て、抜き身の剣を肩に担いだ望美が立っている。
そしてその後ろには、半分ほどに数を減らした怨霊たちが、きちんと整列して体育座りをしていた。
望美の破竹の攻撃に、怨霊たちはすっかり降参してしまったようだった。
「ふふん♪」
「小娘が… 馬鹿にしおって…っ! 我が手ずから葬ってやろうぞっ!」
襲い掛かった清盛に望美の剣が閃いた。
時が止まったかのような一瞬の後、望美が剣を鞘に収め、乱れた髪を掻き上げた。
「── ふっ…、峰打ちよ、死にはしないわ」
ばったりと倒れ伏した清盛の肩がぱっくりと割れていた。怨霊なのだから元々死んでいるし、出血もないが。
「お前の両刃の剣に峰なんかあるかあぁぁぁっ!」
将臣の絶叫に、望美はぷぅっと頬を膨らませた。
「いやん、ちょっと言ってみただけじゃない、もう。…… しょうがないから、封印してア・ゲ・ル ♥」
「うわぁぁぁっ! やめろぉぉぉぉっ!」
清盛の拒絶の叫びが光と共に消え去ると、望美はくるりと後ろを振り返った。
望美がにこりと笑うと、大人しく座っている怨霊たちの表情のないはずの顔に戦慄が走ったように見えた。
「じゃ、みんなも消えちゃおうね♪ めぐれ、天の声──」
そして怨霊たちは一斉に光と化した。
今の望美にとって、戦意喪失した怨霊など、弱らせずとも封印することくらい朝飯前なのだった。
「さ、帰るわよ、将臣くん」
「えっ、お、おいっ…」
戸惑う将臣の腕をがしっと掴むと、ずんずんと馬のほうへ歩いていく望美。
「あ」
何かを思いついたように望美が足を止めて振り返ると、遠巻きに見ていた兵士たちがビクリと震え上がった。
望美が片手をしゅたっと上げると、兵士たちは一斉に数歩後ずさる。
「じゃ、皆さんお元気で〜♪」
にこやかに言うと、晴れ晴れした表情で再び将臣を引っ張って歩き始めた。
この時空に、源平の戦いは起こらなかった── らしい。
〜 おしまい 〜
【プチあとがき】
やっぱり思考が止まってる時って、こんな話しか書けないよなぁ…。
ま、そういうことで(謎)
【2006/07/03 up】