■がむばれ!コルダーズ! 【その3・いざ、ウィーンへ】 月森

 春もまだ浅いある日の屋上。
 日差しは暖かくても、まだ吹く風は冷たさを帯びていて。
 ベンチに座る月森は、自分に背を向け、フェンスを強く握り締めて眼下に広がる景色を見つめている香穂子の、風に舞い乱れる長い髪を見つめていた。
「……もうすぐ、ウィーンだね」
 ぽつり、香穂子が呟く。
「……ああ」
 自分の音楽を究めるために決めたこととはいえ、彼女を残し旅立つのがこれほどまでに辛いとは。
 月森は、ぎり、と奥歯を噛み締める。
「……ウィーンって、どんなとこなんだろ…?」
「……とても……いいところだ……だから──」
 ── 留学を決意した時には、君も。
 言葉に乗せることが憚られて、ぐっと喉の奥で飲み込んだ。
「……ねえ──」
 す、と顔を空に向けて。まるで零れ落ちる涙を堪えるかのように。
「── 私のこと、忘れないで」
「!」
 今生の別れのような香穂子の言葉。月森の胸に心臓を鋭い刃物で一突きにされたような痛みが走る。
 思わず立ち上がると、膝の上においていた文庫本がバサリと音を立てて落ちた。
「── 君と俺とは音楽でつながっている。だから俺は信じている── 君が音楽を続けていく限り、その道はいつか交わると」
 一際強く吹いた風が香穂子の髪を舞い上げた。
 乱れた髪をすっと手で押さえ、ゆっくりと振り返った彼女の顔には淡い笑みが浮かんでいた。
「……やっぱり、ウィーンって、遠いよね…」
「香穂子……」
 必死に作ったようなか細い笑みを浮かべる香穂子が切なくて。
 彼女をそっと抱きしめれば、少しはその寂しさも和らげてやることができるのだろうか。
 ぎこちなく手を伸ばす。
 と。
 突然、月森が差しのべた手を香穂子が両手でがしりと掴んだ。
「ね、ね、ウィーンで一番おいしいものってなに?」
「……は?」
「だーかーらー、ウィーン名物だってば。甘いもの系だと何が一番有名?」
 掴んだ手も力強く、目をキラキラと輝かせる香穂子。
「向こうに着いたら忘れずに送ってよ、ウィーン名物のお菓子! ウィーンからだと距離もあるし届くのにも時間かかっちゃうから、日持ちがするものをお願いね♥」
「……………」
「あ、別に高級品じゃなくていいの。ごくふつーの土産物でいいから♪」

 だばだばと涙を流す彼は、心に固く誓う。
 彼の地へと旅立った暁には、二度とこの日本に足を踏み入れまいと。
 願わくば、彼女が留学を決意することがあったとしても、ウィーンだけは選んでくれるなと。
 そして、伝説の『ヴァイオリン・ロマンス』は今回も伝説に終わることとなった── らしい。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 ありがち(笑)
 今日、買い物行く時に車を運転してて、ふと浮かんだもので。

【2008/04/14 up】