■がむばれ!コルダーズ! 【その2・いんびてーしょん in うぃーん 後編】 王崎

「……どうも」
「あ……うん…久しぶり…だね。土浦くんも、元気そうで…」
「ええ、まあ……」
 バツが悪そうに口元を歪めた土浦くんは、スーツケースを壁際に寄せ、日野さんが立つキッチンの流し台の上にドン、とボトルを置いた。
「何これ?」
「ワイン、マリアからの差し入れ。友達呼んでメシ食うって言ったら、持ってけ、だと」
「わぁ、後でお礼言っとかなきゃ。うふっ、これじゃ完全に酒盛りだね」
「酒盛りって……お前、あんまり飲むなよ」
「わかってるって── ってことで、後はよろしくぅ♪」
 日野さんは赤いエプロンを外すと、背伸びをして土浦くんの首にひょいと掛けた。
「こら待て」
 くるりと向きを変えて俺たちの方へ来ようとした日野さんの束ねた髪を、すかさずギュッと掴んで引き止める土浦くん。
「いたっ! もうっ、何するのよっ!」
「加地が持ってきたシャンパン、氷で冷やしとけよ」
「あ、そか。りょーかい♪」
 土浦くんが流し台の上の棚から大きめのボウルを取り出し、日野さんに渡す。日野さんはテーブルの上に置いたボウルの中にボトルを入れ、冷蔵庫から取り出した氷を隙間に埋めて、 お鍋に汲んできた水をたっぷりと注ぎ込んで。
 日野さんと入れ替わりにキッチンに立つ土浦くんは、エプロンの後ろのボタンを止めていた。日野さんがつけていた時にはずいぶん大きく見えたエプロンは、彼にはぴったりのサイズ。 不思議と似合う彼のエプロン姿は情感溢れるピアノ演奏とのギャップがありすぎて、おれは思わず吹き出しそうになった。
 おれを挟んで話していた加地くんと月森くんのところに日野さんが加わって、賑やかな会話が始まった。
 おれはなんとなくそこに入り込むことが出来なくて、聞き役に回ることしかできなかった。
 それにしても……まさか土浦くんまでウィーンにいるとは思わなかったな。
 面倒見のいい土浦くんは料理上手とも聞いているし、今日は日野さんに手助けを頼まれたのかな。
 よきライバルだった月森くんと土浦くん、そして日野さんの3人はとりわけ結びつきが強いんだろう。
 このウィーンに来てもこうして行き来して、お互いに高め合い、助け合って成長していくに違いない。
 やっぱり……うらやましいな。
 そんなことを考えていたら、結構な時間ぼんやりしていたらしい。
 気がつけば部屋にはいい匂いが漂っていた。
「── 香穂、皿並べて、冷蔵庫のもん出しとけよ」
「ja!」
「あ、僕も手伝うよ」
「じゃあ、これお願い」
 席を立った日野さんを追っておれの隣から立ち上がった加地くんは、冷蔵庫から出したお皿を彼女から受け取り、テーブルに並べていく。
「へぇ、これ、カルパッチョだね。もしかして今日のメニューはイタリアン、かな?」
「うん、ほんとは鍋パーティしたかったんだけど、さすがに今の季節に鍋は、ね。オーストリア料理もいいかなって思ったんだけど、結局イタリアンになっちゃった」
 キッチンでは、土浦くんがパスタを手際よく皿に盛り付けているところだった。
「いいんじゃない? 地元料理なら、ホイリゲにでも行けば食べられるし」
「まあね〜。でもまだ行ったことないんだよね、私」
「じゃあ明日、みんなで行ってみる?」
「あ、いいかも♪」
「おい加地、こいつに余計なこと吹き込むなよ」
「僕は純粋にこの国の家庭料理を楽しみたいだけなんだけど?」
「……どうせ明日は外で夕食を済ませることになるだろうから、それもいいんじゃないのか?」
「きゃあ♪ さっすが月森くん、話がわかるぅ!」
「おい……」
 楽しげに予定を立てる日野さんと加地くんを、両手にお皿を持った土浦くんが苦い顔で制し、意外なことに月森くんが苦笑しつつも日野さんたちの味方についた。
 おれの知らない彼らだけの時間がある、という当たり前のことを見せつけられたようで、なんだか胸が苦しい── この気持ちはきっと、『嫉妬』なんだと思う。

*  *  *  *  *

 テーブルの上にはいい匂いの料理がたくさん並べられた。
 土浦くんの料理の腕前はたいしたものだと感心する。
 支度を終えた日野さんと土浦くんが、おれたち3人の向かいに腰を下ろした。
「すごいね、これ全部ふたりで作ったの?」
「俺ひとりに決まってるだろ」
「えーっ、カルパッチョのお肉、私が切ったじゃない!」
「…確かに、厚さがバラバラだな」
「あーっ、ひどい月森くんっ!」
 頬を膨らませる日野さん。それ見て3人が声を立てて笑う。
 加地くんが馴れた手つきでシャンパンの栓を抜き、グラスに注ぎ分けた。洒落たシャンパングラスではなく、ごく普通の実用的なグラス。
「それでは、僕たちの再会を祝して、カンパーイ!」
「「「カンパーイ!」」」
 合わせたグラスがが澄んだ音を立てた。
 センスのいい加地くんのお気に入りのシャンパンはきっとおいしいのだろうけど、おれの口にはやけに炭酸がキツくて、なぜかあまり味も感じず、アルコール分だけが胃に沁みた。
 食事が始まってからも賑やかな会話は続いた。そのほとんどが音楽に関することなのが彼ららしい。
 時々まったく関係ない話にもなるけれど。
 テーブルの上に手をついて身体を乗り出した加地くんが、あれ?と不思議そうな声を上げた。
「このテーブル……」
 加地くんがグッと力を込めると、彼の手を中心にテーブルの天板が僅かに沈んだ。
「あ、やっぱりわかっちゃった? これ、土浦梁太郎・渾身の作、なんだよ」
「この部屋、あの小さいテーブルしかないだろ。だから木材買ってきて作ったんだ」
 加地くんが捲り上げたテーブルクロスの下は、確かに何の加工もされていない木材を組み合わせただけの素朴なものだった。
「配達なんかの交渉は月森くん任せだったけどね〜」
「うるせぇ、実際作ったのは俺だろうが」
「はいはい、ご苦労さま♪」
「お前なぁ……」
 脱線からまた音楽の話に戻ってくると、ウィーンの観光地ともなっている作曲家の生家の話題になった。
「そうだ、私たち明日はみんなでウィーン観光するんですけど、よかったら先輩も一緒に行きませんか?」
 シャンパンのボトルも空になり、手元のグラスがの中身が淡い金色に光る白ワインに変わった頃、ほろ酔いの日野さんがにこりと笑ってそう言った。
 観光と言っても音楽家を目指す彼らのことだから、ただの観光地巡りではなく音楽に関わる場所を訪れるのだろう。
 おれもこちらに来て1年経つけど、観光らしい観光なんてしていない。興味はあるけれど──
「── ごめんね、明日からまた仕事なんだ」
 今日から1週間のオフだというのに、おれの口からは咄嗟にそんな言葉が出ていた。
 おれと彼らとの間には壁があって、おれがいないほうが彼らは楽しめるんじゃないか── そんな卑屈なことを考えている自分がつくづく嫌になってくる。
「そっか……残念」
 頬を桜色に染めた日野さんは、伏し目がちにぽつりと呟いて、持っていたグラスをそっとテーブルに置いた。
 悲しげな表情におれの胸はズキリと痛む。同時にその表情と仕草にはやけに『女らしさ』が感じられて、おれの心臓はドキリと跳ねた。
「あ、でも、そのうちスケジュールにも余裕ができるだろうから、その時は是非」
「そう…ですね……先輩、忙しいし……じゃあ、またの機会に♪」
 慌てて取り繕ったおれの言葉に、日野さんはニコリと笑う。その笑顔におれの胸はまた痛んだ。
 その後は 4人から一斉におれの演奏活動のことを質問された。
 興味津々でおれの話を聞く彼らの目は、きらきらと光っている。本当に音楽が好きだ、とその目が語っているようだった。

*  *  *  *  *

 しばらく経つと、テーブルの上の食べ物はすっかり片付き、ヨッパライが5人できあがっていた。
 ここが日本ではないとはいえ、未成年の彼らと酒の席を共にしているなんて、悪いことをしているようで居心地が悪い。けれど、おれも十分酔っているから共犯だ。
 よく考えれば、この国では18歳から飲酒できるのだから、誰にも咎められることはないのだろうけど。
 窓の外を見ると、夕日に空が赤く染まっていた。
「あーあ、日野さん寝ちゃってるし」
 くすくすと笑う加地くん。
 確かに、日野さんはテーブルに突っ伏して、すやすやと寝息を立てていた。
「ったく、飲むなっつったのに……おい、起きろ。寝るんならベッド行け」
 土浦くんは日野さんの肩を掴んで、そっと揺すった。
「土浦、それちょっと矛盾してない? そのまま横にして寝かせといてあげればいいのに」
「……こいつ、寝相が悪いんだよ」
「あー、今日の日野さん、ミニスカートだもんね。心配なんだ?」
「う、うるせぇっ」
 加地くんの執拗なツッコミに、土浦くんの顔がアルコールのせいだけではない赤味に染まっていく。
「運んであげれば?」
 不機嫌そうなしかめっ面の土浦くんは日野さんの身体をぐいっと起こすと、自分の胸に凭れさせた。
 すると日野さんは安心したような笑みを浮かべて、彼の肩にぽすんと顎を乗せる。
 彼女のぐったりした身体を支えながら立ち上がった土浦くんは、大人が小さな子どもを抱っこするような形で抱き上げて、隣の部屋へと入っていった。
 しばらくして土浦くんが戻ってきたところで、加地くんがすっと立ち上がる。
「じゃ、そろそろお開きにしようか。面白いものも見られたし♪」
「お前な……っ」
「ざっと片付けて──」
「ああ、そのままでいいって。後でぼちぼち片付ける」
「そう? じゃあまた明日ね、土浦」
「ああ」
 ご機嫌な加地くん、苦笑に口元を歪めている月森くん、そして苦虫を噛み潰したような顔をしている土浦くん── その対比はまるでコメディドラマを見ているようだった。

*  *  *  *  *

 アパートを出て、おれは月森くんたちと別れ、自宅へと戻る。
 見上げた空には星が瞬き始め、昼間の暑さを忘れさせるような涼やかな風が頬をくすぐった。
 ふぅ。
 溜息をひとつ吐き出して、止まってしまっていた足を再び動かし始める。
 出された料理もお酒もおいしかったに違いないけれど、まったく記憶になかった。
 ── おれが彼女とこの街を並んで歩く日は、これから先も来ることはない。
 1人住まいには広すぎる部屋。
 部屋に置かれていたピアノ。
 2つのヴァイオリンケース── ひとつには、弦楽器の勉強のためヴァイオリンを始めた土浦くんに譲った、おれが昔使っていたヴァイオリンが入っているはずだ。
 土浦くんが部屋に入ってきた時に言った『ただいま』。
 キッチンでのふたりのやり取り。
 彼女を『香穂』と呼んだ土浦くん。
 彼女の寝相が悪いという発言。
 酔いつぶれた彼女を運んでいく彼と、安心した笑みを浮かべて彼に身体を預ける彼女。
 ── 恋愛のことについては疎いという自覚はあったけれど、そこまで揃えばさすがに気づく。
 そして、通り過ぎざまに目にした、エントランスのメールボックス。

   303  R.Tsuchiura & K.Hino

 …ふぅ。
 またも零れた溜息が、ウィーンの街並みに溶けていく。
 歩いて10分の距離は、日本とオーストリアの間の距離よりも遥かに遠かった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 王日かと思いきや!
 まさか悠那ちゃん初の月日 !?
 と思わせといて、まさかまさかの初地日 !?
 ところがどっこい、やっぱり土日だった!── なお話(笑)
 いやあ、土日のコーナーに載せてもよかったんだけど、
 そうすると最初から土日話だってわかっちゃうでしょ?
 どんどんテンション落ちてく先輩(笑)
 あまりにも王崎先輩の扱いがヒドいから、ギャグ的カテゴリってことで。
 あああっ、王崎ファンの人、石投げないでっ!
 先日ちょっとコルダ2を再プレイしてみたのよ。
 で、ほぼメールだけで恋愛が進んでいく王崎先輩ルートって、簡単二股プレイじゃない?
 文字だけだと、結構お互いの温度差があったりしないかなー、なんて思って生まれたお話。
 意気込んで書き始めたものの、途中からグダグダになっちゃったけど。
 ていうか、こいつら、何しにウィーン行ってんだ(笑)
 土浦家はともかく、日野家の皆さんはすんなりお許しになったんでしょうか?
 「梁太郎くんと一緒なら香穂子も安心ね♥」と日野母は言いそうな気がしたもので(笑)
 土日短編の『聞かぬが仏』の続編だと思ってくださいまし。

 ※前編、ちょっと修正しました(08/04/07)
  月森さん、下宿じゃなくてアパートだったんだよね。
  金やんとの会話で確か『どこかにお世話になるにしろ』とか言ってたから
  てっきり母親の伝でウィーン在住の知り合いの家に転がり込んだと思い込んじゃってて(汗)
  一応、ゲームに忠実に、ということで書き直しました。

【2008/02/29 up】