■シャノワール
※『もしもダリウスルートに黒猫がいたら』なお話です。
Twitterネタ用アカウント連投作。
「──どうしたの、その子?」
ダリウスが大事そうに抱えてきた黒い物体が、にゃあ、と鳴いた。
「森で動けなくなっていたんだ。
可哀相に、親とはぐれたんだろう」
「── ダリウス様、こちらを」
姿が見えなくなっていたルードが厨房から木箱を抱えてきた。
中には新聞紙が敷かれ、ミルクの入った小皿まで入れられている。
子猫をそっと箱に入れてやると、よたよたと歩いてミルクを飲み始めた。
思ったより弱っていなくて、皆がほっと安堵の息を吐く。
「ねえねえ、名前どうするの?」
コハクが梓に期待の目を向ける。
「うーん……」
「── 『あずさ』はどうかな?」
にっこり笑って提案するダリウス。
「えっ、私と同じだと紛らわしいよ」
「君は漢字の『梓』、この子猫はひらがなで『あずさ』。
どう?」
「どう、って……呼んだら同じだよ」
「じゃあ、『梓2号』」
「えっと……それだと往年のヒット曲みたい」
「え?」
「あっ……ごめん、なんでもない」
「はいは〜い!
『あずさにゃんこ』、略して『あずにゃん』!」
「それだと某アニメキャラ……ううん、忘れて」
「……「ねこ」でいいだろ。猫なんだから」
最後にあくび混じりで虎が吐き捨てて、ひとまず議論は終了することになった。
* * * * *
「── あずさ、おいで」
「なに?」
振り向くと、ちょうどダリウスが黒い子猫を抱き上げるところだった。
「あ……ねえ、やっぱり紛らわしくない?」
彼の胸元の子猫の顔に人差し指を近づける。
指を動かすとクリクリした瞳で追いかけて、鼻先を近づけてきた。
「そう?
俺は気に入ってるけれど」
「でも、私と子猫、どっちが呼ばれたのかわからないよ。
ルードくんは、『梓さん』と『猫のあずささん』。
コハクくんは、『梓さん』と『あずにゃん』。
虎は、『おいお前』と『ねこ』。
呼び方違うから、わかりやすいんだけど」
「そうだね……けれど、この子を見つけた時、君に似ていると思ってしまったから、他の名は考えられないよ」
「そうなの?」
「そうだよ。
小さくて、淋しそうに震えて、怯えていて」
「あ……」
「愛らしい顔立ちに大きな瞳」
「っ…」
「慣れれば人懐っこくて」
「………」
「けれど少し甘え下手で、とてもお転婆で」
「ダリウス、ひどい!」
「ふふっ、子猫の話だよ。
それから──」
ダリウスは子猫ではなく、梓の頭をそっと撫でた。
「── とても撫で心地がいい」
「あっ、もうっ!」
ぱっと真っ赤になって、ひょいと後ろへ飛び逃げる。
驚いたのか、子猫がにゃっ、と鳴いた。
「あ、ごめんごめん。
ふふ、ダリウスに抱っこしてもらえてよかったね、あずさ」
梓は安心させるようにそっと子猫を撫でた。
「君もいつでも抱っこしてあげるよ、梓」
「!
け、結構ですっ!」
さらに顔を赤くして、梓は慌てて逃げ去っていった。
「……ふふっ、本当に可愛いね、梓は」
自分が呼ばれたと勘違いしたのか、子猫が見上げて、にゃあ、と鳴いた。
* * * * *
扉の前の暗がりで、子猫が丸まっていた。
「……おや、あずさ、こんなところにいたのかい?」
子猫はだるそうに顔を上げ、なー、と少し掠れた声で鳴いた。
おそらく彼女に遊んでほしくて、長い時間扉の前で鳴き続けていたのだろう。
「……すまないね、その扉は開けてやれないんだ」
興味なさげに欠伸をして、子猫は再び丸まった。
ダリウスは、ふ、と苦笑する。
「── 俺の話を理解して、協力さえしてくれれば、すぐにでも開けてあげるのに。
でも……怖がらせてしまった俺の、自業自得……かもしれないね」
丸い毛玉を撫でようと、傍らにそっと膝を落とす。
指先が触れた途端、毛玉はほどけるように猫の形に戻り、するりとすり抜けていった。
「……っ」
月明かりが照らす廊下を、黒猫は音もなく走っていく。
ゆっくりと立ち上がり、その姿をただ見送って。
「逃げないでくれ、あずさ──
俺の元から、いなくならないで……梓」
ぎ、と奥歯を強く噛み締めて、ダリウスは自分の部屋へと戻っていった。
* * * * *
「── ダリウス様」
「……ん?
なんだい、ルード」
「あ……いえ」
返答があって初めて何も用がないことに気がついた。
ただ、主のあまりに憔悴しきった様子に、思わず呼びかけてしまったのだ。
「ふふっ……おかしな子だね」
笑う、というより、卑屈に口の端を上げただけに見えた。
先日、憂さ晴らしのつもりで提案した花火大会も逆効果になってしまっていた。
「心配してくれてありがとう、ルード。
けれど、大丈夫。すべきことはやり遂げるよ──
この命に代えてもね」
「ダリウス様…」
不意に近づいてきた足音と共に部屋の前を虎が横切っていった。
その肩に黒い毛玉を乗せて。
さらに慌ただしい足音が響いて、
「待ってよ政虎さん!
政虎さんばっかあずにゃんと遊んでずるいー!」
「知るか、こいつが勝手によじ登ってくんだよ」
「えー、そんなこと言って、懐かれて嬉しいくせにー」
「嬉しかねえよっ!」
賑やかな二人が去って、静けさが戻ってくる。
「……あずさは俺には全く近づかなくなってしまったよ」
「え……」
「考え事をしていたせいで、じゃれついてきたあの子を振り払ってしまってね」
「っ…」
主はふっと淋しげに苦笑して、
「いいんだよ、怖がらせてしまったのは俺だ。
その俺がどんなに罪悪感に苛まれようと、自業自得に過ぎない。
── またひとつ、俺の罪が増えただけだよ」
そう言って遠くを見つめる。
それは北の方角──
軍の施設がある方角だった。
* * * * *
書斎へお茶を届けたルードが見たのは、久しぶりの穏やかな笑みの主と、その膝の上で丸くなっている黒い子猫の姿だった。
「あ」
「ふふっ、仲直りしたんだよ──
ね、あずさ」
思わず漏れた驚きの声を理解してか、主は嬉しそうにそう言って子猫の背を撫でた。
「そ、それはよろしかったですね」
子猫と戯れることが主の癒しになるのなら、それは喜ばしいことだ。
一時のあの打ちひしがれた主の姿は、できるならもう見たくはない。
と、子猫が顔を上げ、きょろきょろと辺りを見回してから、主の胸元を熱心に嗅ぎ始めた。
「……おや?」
まるで抱っこをせがむかのように見える子猫の行動に、主は顔を綻ばせて子猫をふわりと抱き締める。
「── 梓の香りが残っていたのかもしれないね」
もしかして、と浮かんだ想像にルードは思わず顔を赤らめ、そっと書斎を後にした。
* * * * *
久しぶりに足を踏み入れたダリウスの邸、そして彼の部屋。
懐かしさと──
以前に感じた居心地の良さに取って代わった所在なさ。
ソファに並んで座る彼と二人きりだと思うと、胸がドキドキして落ち着かないのだ。
ふいに足元を何かがふわりとくすぐった。
「あっ……」
「ぅにゃ〜ん」
「えっ、もしかして、あずさ?
わっ、大きくなった!?」
抱き上げると、確かにずっしりと重い。
「……そう?
そんなに変わってないと思うけど」
答える彼の声がどことなく不機嫌なのはなぜだろう。
訝りつつも、柔らかな毛並みの手触りが心地良くて。
「子猫の成長って早いものだよ──
もう1ヵ月経ったんだもの」
「…………」
「ほんと、大きくなったね〜。
ふふっ、元気だった?」
わしゃわしゃと撫で回しても、子猫は膝の上で大人しくしていてくれる。
すると突然、ぐいっと後ろに引き倒された。
「きゃっ!?」
伸びてきた腕にぎゅっと締め付けられて。
「あ、あのっ、ダリウス…?」
「そんなにあずさと遊びたい?
俺は梓とこうしていたいんだけど」
「…………ぷっ」
「……どうして笑うの?」
「だって……やっぱり紛らわしいよ」
それだけではなく、彼が拗ねた子どものようで。
胸元で交差する彼の腕をそっと掴んで、すっと体の力を抜いてみた。
体を締め付ける力が少し強くなった。
子猫は膝の上で丸くなって眠っていた。
* * * * *
ゆるゆると上がる瞼、曖昧に彷徨う視線が目の前の黒い物体の上で止まる。
それは胸の上で香箱座りしている黒猫だった。
「……おや、あずさ…?
……大きくなったね」
力の入らない腕をようやく持ち上げ、顎の下を撫でてやる。
黒猫は目を細めてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「── もうっ、ひと言めがそれ!?」
頭を動かし視線を巡らせると、袖口で乱暴に目元を拭った梓の顔が見えた。
「一年経ったんだもの、あずさはとっくに大人の猫だよ」
「そう……だね」
黒猫の顎から彼女の頬へと手を移動させる。
拗ねたように膨らませた頬はしっとりと湿っていた。
「梓は……綺麗になったね」
その顔はみるみる赤く染まっていき、触れている頬の温度が急上昇したのが伝わってきた。
「あ……ありがとう…」
「どういたしまして……ふふっ」
ふと、みーみーとか細い声が聞こえるのに気がついた。
疑問が顔に出ていたのか、梓は思い出したように横に置いてあった大きめのバスケットを膝の上に置いた。
「── 見て見て、あずさの子どもたち。可愛いでしょ?」
そう言ってそっと抱え上げたのは、以前拾った子猫とそっくりな、けれど一回り小さな黒い子猫。
「あとの2匹はサバトラでね、そろそろ離乳すると思うんだけど──」
「梓」
「え、なに?」
「……そろそろあずさを降ろしてくれる?」
「あっ、ごめん、気がつかなくて! 重かったよね」
梓は子猫をそっとバスケットに戻し、胸の上の黒猫を抱え上げてバスケットの傍へと降ろす。
黒猫は子猫を踏まないように器用にバスケットの中に身を横たえた。
子猫たちが一斉に親猫の体によじ登っていくのが微笑ましい。
そして軽くなった上体をゆるりと起こして、倒れ込むように梓に抱きついた。
驚いただろうに、そのままにさせてくれる彼女の優しさがありがたい。
ふう、とひとつ大きな息を吐いて、
「── で、子猫の父親は?」
「あ、うん、時々遊びに来るサバトラの子がそうだと思う」
「そう……」
「……もしかしてダリウスって、お父さんになったら「うちの娘は嫁にはやらん!」って怒っちゃうタイプだったりする?」
「どうして?」
「だって、お父さん猫のこと聞くダリウス、ちょっと不機嫌みたいだから」
「……かもしれないね」
くすくすと笑う彼女。抱きしめた体から伝わってきて、少しくすぐったい。
「── 早く見てみたいね、梓の娘」
「あ、抱っこしてみる?」
「子猫じゃなくて」
名残を惜しみつつ体を離し、代わりに顔を寄せて口づける。
背中に回された彼女の手が返事だと、都合よく解釈して。
一層深い口づけと、二度と離れたくないという想いを込めた抱擁を贈った。
〜おしまい〜
ダリウスさんが梓ちゃんを「お転婆な猫」と言ってたので。
【2015/04/21 up】