■トラウマ

「── そろそろお茶になさいませんか?」
 ティーセットを乗せたトレイを手に、ルードは邸の庭で揃って花の手入れに勤しむ二人に声をかけた。
「いいね。 今日のデザートはなんだい?」
 整えられた花壇に咲き誇る花々よりも華やかな笑顔で主・ダリウスが答え、その隣で先日彼の妻となった元黒龍の神子・梓が愛らしく顔を綻ばせる。
 様々な辛いこと、悲しいことを乗り越えた二人は今、傍にいる者が思わず微笑んでしまうほど、とても幸せそうだった。
「── シュークリームですが」
 少年がそう答えると、漂っていた幸福感はあっという間に霧散し、二人はひくりと音が聞こえそうなほどあからさまに頬を引きつらせた。
「あの……お嫌いでしたか?」
 二人は少し青ざめた顔をゆっくりと見合わせると、何故か互いに相手が自分を見ていることに驚いたように身を震わせて。 そして、ははは、と乾いた声で力なく笑う。
 それはまるで練習でもしていたかのように、息の合った行動だった。
「……申し訳ありません。 すぐに他のものをご用意いたします」
「あ、あの、ルードくん、ごめんね。 今、私たち、お腹いっぱいだから」
「そ……そうだね、今日は君が淹れてくれるおいしいお茶だけいただくことにするよ」
「……?  ……かしこまりました」
 明らかに挙動不審な二人に首を傾げつつ、ルードはガーデンテーブルにそっとトレイを置いた。

「── ルード」
 厨房で片づけものをしていると、背後から声がかけられた。 おそらく空間移動してきたのであろう主の声だ。
 カチャリ、と陶器の鳴る音がした。 テーブルにはポットと空になったカップの乗ったトレイが置かれていた。
「あ……そのままにしておいてくださってよろしかったのに。 ですが……ありがとうございます、ダリウス様」
「いや、これくらい大したことではないよ。 ご馳走様」
 ダリウスは幸せが溢れるような笑みを浮かべた。
「それよりルード、さっきはすまなかったね」
「いえ……」
 主の謝罪は先程のシュークリームの件だろう。 それくらいのことで謝られると、逆に恐縮してしまう。
「それから── すまないついでに、頼みがあるんだ」
 ルードは主の好みは熟知していると自負していたが、いろいろあったせいで好みが変わってしまったのなら、一度詳しく聞いておこうと考えた。
「はい、なんなりと──」

*  *  *  *  *

 ── そして後日。
 午後のティータイムの席にルードが用意したのは── シュークリーム。
 前と違うのは、一口で食べられるよう小さく作ってあるプチシューであること。 それが主からの『頼み』だったからだ。 大皿に敷いたレースペーパーの上に、チョコをかけたもの、粉砂糖をかけたもの、そのままのものの3種類がモザイク模様のように並べてある。
 ちらりと様子を窺うと、梓はやはり前と同じく蒼褪めた顔に恐怖のような表情を浮かべていた。
「……では、いただこうか」
 そう言ってプチシューに手を伸ばすダリウスは、明らかな緊張の上にぎこちなく笑みを張り付けている。 まもなくシューに届く指先がわずかに震えていた。
 そして彼はつまんだ何もかかっていないシューを口元へ。 しばしの逡巡の後、覚悟を決めたように口の中に放り込んだ。
 ルードは固唾を飲んで主の反応を見守っていた。
 すると不意にダリウスの顔から緊張が抜けたように見えた。
「── これはチョコクリームだね。 うん、おいしいよ、ルード」
「あ、ありがとうございます」
 そしてダリウスはまた手を伸ばし、粉砂糖のかかったシューを摘み上げる。 その手は、隣で彼の動きをじっと見つめていた梓へと向けられ、彼女は息を飲んで身を固くした。
「── 梓」
 優しい声が彼女の名を紡ぐ。
 けれど彼女は座ったまま後退るように身を引いて、ふるふると小さく頭を振った。
 ── 何をそんなに怯えているのだろう?  たかが菓子一つに。
「まだ……俺が怖い?」
 梓は今度は思い切り頭を横に振った。
「そんなことないっ!」
「じゃあ……どうぞ?」
 彼女は目の前に差し出されたシューをじっと睨みつけ、それから目を閉じて大きく深呼吸すると、ゆっくりと目を開けてもう一度深呼吸。 そしてぱくりとシューに食らいついた。
「──── あ……おいしい。 もしかして……レモンの風味?」
 さっきまでの怯えはどこへやら、口の中の甘みを味わいながらふわりと笑う。
「え、ええ……レモンの果汁とすりおろした皮を混ぜてあります」
 3種類のシューはそれぞれ、チョコクリーム入り、レモンクリーム入り粉砂糖かけ、そして普通のカスタード入りチョコかけ、となっている。
「へぇ、そんなに気に入った?」
 指先についた砂糖をそっと舐め取りながら、ダリウスはほっと安堵したように優しく笑いかけていた。
「うん、とっても爽やかで、上にかかったお砂糖の甘さとちょうどいい感じだよ」
「じゃあ、俺ももらおうかな」
「うん」
 しかしダリウスは動かなかった。 テーブルに肘を置き、彼女の顔を覗き込むようにして笑っている。 そして、梓、と囁くように名を呼んだ。
「え……?  あ……食べさせて、ほしいの…?」
「お願いできるかい?」
「…………もう」
 呆れたように溜息を吐きつつも頬を赤く染め、彼女は粉砂糖かけのシューをつまんでダリウスの口へと運ぶ。
「── ああ、本当だ。 爽やかでおいしいね。 君が気に入るのもわかるよ」
「でしょう?  じゃあ……今度はチョコがかかったのにする?」
「待って。 次は君が食べる番だよ、梓」
「……う、うん……ありがと」

 仲良くプチシューを食べさせ合う二人を見ていられなくなって、ルードは逃げるように厨房へと戻ってきた。
 何か見てはいけないものを目撃したような── 気恥かしくて暴れ回る心臓を鎮めようと胸を押さえる。
 はあ、と大きく息を吐いた。
 しかし、あの二人は恐怖を覚えるほどシュークリームが嫌いになったわけではなかったらしい。
 今になって思い出した心当たりといえば、彼女が監禁状態にあった時に出したのがシュークリームだったことくらいだが── ともあれ、彼らがこの邸で、ああして笑い合って過ごしていればそれでいいのだ。
 ルードはふっと笑みを零し、おかわりの紅茶を用意し始めた。

〜おしまい〜

初遙か6。初ダリ梓。

【2015/04/08 up】