■気の毒な人
※小ネタツイート通常SS化リクエスト【#84「毒」+つづき】
そろそろ約束の刻限──
龍馬は仲間たちが束の間の休息を楽しんでいる宿の玄関へと向かっていた。
「── 龍馬さん?」
「ぬわっ !?」
後ろから声をかけられてドキリと心臓が跳ねる。
「お、お嬢!」
「驚かせてしまってごめんなさい。
あの、これからお出かけですか?」
「あ、ああ、ちと野暮用でな」
彼女が眉を曇らせているのは、外はもうとっぷりと日が暮れているからだろう。
決して疚しいことをしているわけではないのだが、かと言って大っぴらに告げることもできず。
それでもどこか疚しさを感じるのは、これから向かう場所が原因に違いない。
何かうまい言い訳はないものか、と考えていると、
「……あの……ゆきちゃん……ごめんね…?」
音もなく現れて、いきなり謝罪の言葉を述べたのは福地桜智。
少し顔を赤らめて、もじもじしながら彼女に話しかけているのは少々奇異ではあるが、まあいつものことだ。
「どうしたの、桜智さん?」
「その……話を遮って、ごめんね?
……龍馬さんに、用があるんだ……」
「俺か?」
珍しいこともあるもんだ。
一体何だ、と思っていると、
「……玄関に、お客さんだよ…」
「おっと、まずい!
知らせてくれて、ありがとな」
慌てて駆け出したが、どうやら二人も後ろをついてきているらしい。
「……ゆきちゃんも、一緒に行くのかい…?」
「ううん、お出かけするのは龍馬さんだけ。
せっかくだから、お見送りしようと思って」
なんて可愛いことを言ってくれるんだ。
このまま足を止めて、彼女との語らいを続けられたらどんなにいいか。
「── おせぇぞ、龍馬!」
駆け込んだ玄関に張りのある声が響いた。
龍馬の師・勝 海舟。
師がわざわざ迎えに来てくれるなど恐縮至極ではあるけれど、そういう指示だったのだから仕方ない。
「お待たせしてすみません、先生!」
「え……勝先生?」
「よぉ、嬢ちゃん、しばらくぶりだな。
元気そうで何よりだ」
「はい、先生も」
にっこり笑う彼女に、勝は満足そうに頷いた。
龍神の神子であることを除いても、彼女の人柄を買っているらしかった。
「ちと急ぐんでな、嬢ちゃん、ちょっくら龍馬を借りてくぜ」
「龍馬さんは先生とお出かけだったんですね。
あの、こんな時間に、どこへ行かれるんですか?」
ニヤリ、と笑う師の顔に、強烈に悪い予感がした。
「── 嶋原にな」
「のわっ !?
せ、先生っ!」
「嶋原……?」
きょとんとして首を傾げる彼女。
そんな彼女を気遣わしげに見た後で、すっと向けられた桜智の視線の中には間違いなく蔑みの色があった。
ほぅ、と意味ありげな溜息を漏らし、
「ゆきちゃん……嶋原は……男たちが『癒し』を金で買い求める場所、だよ……」
「違う違う違うっ!
おい夢の屋!
誤解を招く言い方するなって!」
「まあ、間違っちゃいねぇな」
「うわあああっ!
先生まで!」
桜智はともかく、師は完全に龍馬をからかって楽しんでいる。
「癒し……?
あの、龍馬さん、疲れてるんですか?」
「いやいやいや、俺は元気だぜ!
うぅ……お嬢、そんな気の毒そうな目で見んでくれよ……」
彼女の心配そうな視線が、今は胸に突き刺さる。
確かにこれから向かうのは嶋原だ。
花街である以上、『そういう』目的で行くのが最も一般的ではあるが──
今回は単に密談をするため。
客の情報を絶対に外に漏らさない花街は、密談にはうってつけの場所なのだ。
「じゃあな、嬢ちゃん。
ほれ、龍馬!
とっとと歩け!」
「……はい、先生」
どうにも晴れぬ気分で宿を出た。
* * * * *
── 翌日。
「おや、龍馬さん?
どうかしましたか?」
どんよりとした気分で肩を落としていたところに声をかけられた。
できれば今はそっとしておいてほしかったのだが。
「……ん、アーネストか……まあ、いろいろとな」
「何か良くないことでも?」
いつも腹に一物隠し持っているような彼ではあるが、同じ八葉として心配してくれているのだろう。
今の龍馬にとっては大きなお世話でしかないのだが、何としても聞き出すまでは引き下がらない、という雰囲気だ。
「いや……どうもお嬢に避けられてるみたいでな」
今朝のこと──
顔を合わせた彼女に、おはよう、と声をかけたら、おはようございます、と返ってはきたものの、明らかに顔を強張らせていた。
更にいつもなら挨拶の後は他愛ない一言二言を交わすのに、今日の彼女は逃げるようにいなくなってしまったのだ。
「……It will be natural.(当然でしょうね)」
少々顎を上げながら見下ろしてくるアーネストの視線が、ざまあみろ、とでも言っているように見えた。
「ん?
なんだ?」
「いえ、ゆきが『嶋原』のことを気にしていたので、少し説明して差し上げたのですよ。
私も話にしか聞いたことはありませんが……どこの国にも女性を物のように売り買いする文化があるとは、嘆かわしいことですね」
ああ、それが原因か。
龍馬は膝から崩れ落ちた。
「アーネストよ……余計なことをしてくれるなって……」
この誤解を解くには、どうすればいいのだろうか?
* * * * *
それから彼女はずっと都の陰に隠れるようにしているし、その都からは人を殺せそうな鋭い視線で睨まれっぱなしだし。
誤解を解こうにも、近づけないのだからどうしようもない。
そうこうしているうちに一日が終わろうとしている。
「はぁ……」
窓枠にぐったりと凭れて外をぼんやり眺めているうち、今日一日で何度目か数えるのも面倒臭くなった溜め息が知らず口から漏れ出てしまっていた。
「── 気の毒なことだったな、龍馬」
部屋に戻ってきた高杉晋作の声には、憐憫と噛み殺した笑みが含まれているのが明らかだった。
一連の事情を知ってのことだろう。
「……何のことだ?」
笑いたきゃ笑え、と半ば自棄になりながらも、一応とぼけておく。
ただし、龍馬には珍しく地を這うような低い声で。
「そう睨むな──
先日の島原での会合の件、さっき蓮水に話しておいた」
「……お?」
「あれが原因で、蓮水との間に齟齬を来たしたのだろう?」
そう、あの日嶋原での密談に集まったのは、ほとんどが長州藩士。
その藩士たちのまとめ役が高杉だった。
すでに終わった会合のことを、まとめた本人が話すのなら何も問題はないのだ。
「おおっ、晋作っ!
そりゃありがたい!」
高杉にがばっと飛びついた龍馬は、全身で喜びを表すようにぎゅうぎゅうと抱き締めながら、バシバシと彼の背中を叩く。
「抱きつくな、うっとうしい」
「いやぁ、本当に助かった!」
その時、カタン、と障子が音を立てた。
そこに佇む彼女の姿があった。
「── あ」
「お嬢!」
誤解も解けたことだし、彼女の顔も見ることができて、こんなに嬉しいことはない。
高杉を突き飛ばすようにして離れた龍馬が彼女の方へ向かおうとすると、
「あの……お邪魔してごめんなさい」
龍馬が進んだ分だけ、少し青ざめた顔の彼女が後退りした。
「いや、邪魔なんてことはないぜ。
一緒に茶でも飲んでくかい?」
彼女は少しずつ後ろに下がりながら、ふるふると頭を振る。
とん、と背中が壁に当たって、かくんと項垂れた。
「……龍馬さん、もしかして……」
「な、なんだ?」
「……男の人が好きなんですね……」
思わず顔を見合わせた龍馬と高杉。
ひくり、と口元を引きつらせ。
「いや、そりゃ違う!
誤解だ!」
顔を上げぬまま、だっと駆け出すゆき。
「ま、待ってくれ、お嬢!
俺が好きなのは、お嬢だけだって!」
慌てて部屋を飛び出し、彼女を追いかける龍馬。
そして、あらぬ疑いをかけられたまま後に残された高杉は、苦虫を噛み潰したような顔で深い溜め息を吐くのだった。
〜おしまい〜
というわけで、大誤解大会を書いてみましたー。
掲載当日現在、まだLog化しておりませんので、元の文章はツイッターのほうでどうぞ。
元が3ツイート分あるのですぐに書けるかと思いきや、ちと苦戦(汗)
さて、この後龍馬さんはどうやってゆきちゃんの誤解を解くんでしょうか?(笑)
まだまだリクエスト受け付けておりますので、お気軽にどうぞ♪
【2012/06/21 up】