■ほっぺ 龍馬

※初々しいキス10題 04:見られてた!? (お題提供:TOYさま)

 夕餉が済めば、皆、思い思いの場所へ散っていく。
 ゆきは広い宿の中を、龍馬の姿を探して走り回っていた。
 彼が食事を終えた時、すぐに追えたならよかったのだが── 食べるのがゆっくりな上に、出されたものはすべて平らげなければ席を立つのは許さない、という兄代わりの厳しい監視があったため、出遅れてしまったのだ。
 たぶん、宿の外には出ていないはず。 なのに、見つからない。
 小ざっぱりと整えられた庭の奥で、途方に暮れながら溜め息をついた。
 彼がずっと忘れられずにいたという『お嬢』が、過去に飛ばされてしまった自分自身であることがわかって。 ずっと想い続けてくれていた彼のことが、随分と前から一番大切な人になっていたことを改めて自覚して。
 それなのに── 最近、何故か彼との距離を感じていた。
 明るくて、朗らかで、いつも励ましてくれて。 そんな基本的なことが変わったわけではない。 ただ、どうも二人きりになるのを避けられているような気がするのだ。
 最後の戦いに赴く前に、心の中に立ち込める靄を晴らしておきたかった。
 なのに、彼の姿を見つけることができない。
 見上げた空は、赤い夕陽が淋しげに闇に紛れて消えかけていた。
「……私、欲張りになっちゃったのかな……」
「── 誰が欲張りだって?」
 思いがけず問い返されて、ドキリとして振り返る。
「あ……龍馬さん……」
 涙が滲みそうになって、慌てて俯いた。
「こんなとこで何してるんだ?  都は一緒じゃないのか?」
「……っ」
 そういえば、前にも『何かあったら都を呼べ』とか言っていたけれど── じわりと心に広がる醜い気持ちに、ゆきは唇を噛んだ。
「あの……都に用事なら、呼んできましょうか?」
「いやいや、そうじゃないんだ。 庭とはいえ安心はできんからな、早く部屋に戻ったほうがいいぜ。 んじゃ、また明日な、お嬢」
 口早に言って、ひらりと手を振って踵を返す。
「待って、龍馬さん!」
 振り返った彼は、少し困ったような顔をしていた。
「あの、私、龍馬さんを怒らせるようなこと、何かしましたか?  はっきり言ってください、謝りますから」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、お嬢!  俺は怒ってなんか──」
「だったらどうして私を避けてるんですか?」
「あー……そうだよなぁ、お嬢は聡い子だもんなぁ……やっぱわかっちまったか……」
 ぼりぼりと頭を掻きながら、ぶつぶつと呟いて、
「ああ、お嬢の言う通りだ。 お嬢と二人きりにならんようにしてた」
 改めてはっきり肯定されると、それはそれでショックなもので。 くらり、とめまいがした。
「……どうして…?」
「いいか?  俺たちには今、成し遂げなきゃならんことがある」
「……はい」
「だから、今はお嬢と二人きりになるのは非常にまずい」
「えっ?」
 彼が何を言いたいのかまったく理解できなくて、ゆきはきょとんとして首を傾げた。
 かくん、と項垂れた龍馬は大きな溜め息を吐く。 それから、つかつかと近づいてきたかと思えば、ばふっと抱き締められた。
 息ができなくて、ぐいっと顔を上げると、目の前に彼の苦い笑みがあった。
「な?」
「え……?」
 何が『な?』なのだろう?
「ハハッ、そこまではわからなかったか」
「あ、あの……っ」
「俺はな、お嬢のことが大好きだ」
「っ…、あ、ありがとう……ございます……」
 彼らしいあまりにもストレートな物言いに、恥ずかしくなって思わず彼の胸に額を押し付けた。 顔を隠すにはそれしか方法がなかったから。
「お嬢のことが好きで、好きで、好きすぎて、お嬢の嫌がることしちまいそうでさ。 今はそんな場合じゃないだろ?  だが、そのせいでお嬢を悩ませちまったんだな。 すまん、悪かった」
「そんな……私、龍馬さんから何をされても嫌だなんて思いません」
「おいおいおい、そんなこと軽々しく言っちゃあいかんて」
 ── じゃあ、どうすればいいの?
 必死に考えて、思いついたのは、
「あ、あのっ……わ、私も龍馬さんのこと、大好き、だから、もっと一緒にいたくて……」
「お嬢……っ」
 ちゃんと言葉にして返しておこう、と思ったら、ぱあっと顔を輝かせた龍馬に思い切り抱きすくめられた。
 その時触れた頬にちくりと痛みを感じて、思わず身を縮めてしまう。 それが伝わってしまったのだろう、彼が慌てて身体を離した。
「おっと……やっぱ嫌だったか?」
「いえ、そうじゃなくて……」
 ゆきは手を伸ばして、そっと龍馬の頬に触れた。
「ふふっ、やっぱり」
「な、な、何がやっぱりなんだ !?」
「おひげ……ちょっとチクチクしました」
 彼は自分の顎を撫でながら、
「あー、もう夜だしなぁ。 そりゃ生えてくるよなぁ」
「ふふっ、お父さんみたい」
 子供の頃、大好きな父に抱きついた時に触れた頬を懐かしく思い出す。
 すると、ぴくりと眉を上げた彼の顔がぐんと近づいてきた。
「んっ !?」
 何もかも吸い取られてしまいそうな口付けに、頭の中が真っ白になってきた。 ちゃんと自分の足で立っていられなくて、完全に彼の腕に支えられている。
「── お父上は、お嬢にこんなことはしないだろ?」
「……はい」
 ぽてん、と彼の胸元に頭を預けて。
 その時である。
「── あーっ!  こんなところにいた!」
 こちらを指差しつつ叫ぶ都だった。
 ── もしかして、今の見られちゃった !?
「ゆきから離れろ、坂本!」
 ダダダッと駆け寄ってきた都が龍馬の腕を引き剥がそうと引っ張ると、彼は解放したゆきの身体をくるりと回転させて、ぽん、と両肩に手を乗せてきた。
「あ、あのね、都っ、龍馬さんのおひげがお父さんみたいって話をしてたの!」
「だからってそんなにくっつく必要はないだろ!」
 どうやら、見られてはいなかったらしい。
「いや、お嬢の言ってることは本当だぜ。 なんなら都もほっぺたくっつけてみるかい?」
 ゆきの肩越しに、龍馬がぐっと頭を乗り出してくる。
「だめっ!」
 思わず叫んでしまっていた。
「お嬢?」
「ゆき?」
「── あ」
 都は大切ないとこだけれど、二人が頬をくっつけているのを想像すると、なんだかもやもやして──
「……あの、都は私のほっぺで我慢して…?」
「それは構わないけど…… そもそも坂本と頬を合わせるなんてまっぴらだし」
「ハハハ、言ってくれるぜ」
「ったく……ほら、部屋に戻ろう」
 都に手を引かれながら、肩から消えた温もりを追うように振り返る。 少し照れ臭そうに笑う彼が、大きく手を振っていた。
「おやすみ、お嬢!  また明日な!」
 さっきここに来るまでに心にかかっていた靄はすっかり消えていた。
「はい、おやすみなさい── また明日!」
 きっと明日の朝は晴れやかに迎えられるに違いない。

〜おしまい〜

 ゆきちゃんがことのほかやきもち焼きになってしまいましたが。
 龍馬さん、自制心と必死に戦っておいでのようです(笑)
 見られちゃってはいませんが、まあよしとしてください。

【2012/06/12 up】