■龍ゆきで五十音【ら行】
【Update】「ろ」(12/01/19)
ら 【】
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り 【リボン】
「やあお嬢!
約束の勉強の時間だぜ!」
彼女の部屋を訪れた龍馬が携えてきたのは一冊の書物。
勉強熱心な彼女のために知り合いから譲ってもらった、初歩の兵法を説いたものである。
行灯の明かりが優しく揺らめく部屋の中、二人きりで肩を寄せ合い眺めるには色気のないことこの上ない内容の書なのはわかっている。
しかし彼女も戦いの中に身を置く以上、兵法は知っておいて損はない知識なのだ。
文机に広げた書を並んで覗き込みながら、龍馬は持ち合わせる知識をできるだけ易しい言葉で彼女に伝えていく。
そのうち、
「……あの、龍馬さん…?」
「ん?
ああ、すまん、ちと難しかったかい?」
「いえ、そうじゃなくて──」
すっと近づいてきた彼女の細い指が、龍馬の前髪に触れる。
その瞬間、ぴりりと何かが全身を駆け抜け、心臓がどくりと跳ね上がった。
「お、お嬢っ !?」
「もしかして、前髪、邪魔ですか?
さっきからずっと気にしてるみたい」
「あ……」
そういえば、視界に入る前髪をうるさく感じて、無意識に指で払っていたような気がする。
先日彼女の部屋の掃除を手伝った時に髪を結ってもらって以降、すっかり癖になってしまったらしい。
「結びますか?」
問われてしばし考えて、
「── んじゃ頼む」
はい、と気持ちのいい返事をして、彼女は部屋の隅に置かれた鏡台へ。
引き出しから櫛と布の帯を持ち出してくる。
背後に膝立ちした彼女が櫛で前髪を梳き上げると、部屋の中がぱっと明るくなったような気がした。
ゆっくりと櫛が通る感触が心地よくて、このまま続けられたら眠ってしまいそうだ。
きゅっと髪を引っ張られ、一瞬にして眠気が覚める。
「── はい、できました」
「ありがとな」
そっと触ってみると、額から拳ひとつ上あたりで結われた毛束が天井に向かってふわりと立っていた。
勉強を再開してしばらくして、
「── ゆきー、果物食べないか?」
廊下から聞こえたのは都の声。
「あ、うん、食べる」
「今、宿のおかみさんにもら──」
引き戸を開けた都が、器を手にしたまま見事に固まった。
その直後。
「ぷーっ!
なにそのリボン!
マルチーズみたい!」
「なっ !?
何か変なのか !?
ま、まるちーずって何だ !?」
指差し笑う都の言葉が理解できず、龍馬はゆきに答えを求めるが、彼女もまた口元を押さえて笑い始めていた。
「そういえば、確かにマルチーズみたい……龍馬さん、可愛い」
男として『可愛い』と言われて喜ぶような年でもなく。
以降、龍馬はどんなに前髪が鬱陶しくても髪を結んでもらうことを固辞するようになったという。
(あのスチルは反則だと思う)
る 【】
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れ 【】
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ろ 【蝋梅】
「──
お嬢、いるかい?」
ゆきがだるさの抜けない身体を休めていた宿の一室に、声がかけられた。
「……龍馬さん?
はい、いますよ。
どうぞ」
障子が開いて顔を見せたのは、用を済ませてくると朝早くに出かけていった龍馬。
機嫌が良さそうなところを見ると、彼の思うとおりに事が運んだのだろう。
廊下から春にはまだまだ遠いひんやりした空気がすぅっと入ってきて、ゆきは僅かに身を震わせた。
「……?」
不自然に両手を後ろに隠した龍馬が満面の笑みで部屋に入ってくると、ゆきは不思議そうに首を傾げる。
なぜかふわりと甘い香りが漂ってきたのだ。
──
もしかして、龍馬さんも香水をつけてるのかな?
スズランの香水をプレゼントしてくれたことがある彼のことだ、自分自身で使っていてもおかしくはない。
ただ、この香りは男性が好むには甘すぎる気がした。
「お嬢に土産を持ってきたぜ」
へへっ、と少年っぽい得意げな笑みで龍馬は隠していた手をすっと前に出した。
「これは……?」
彼が差し出したのは一本の枝。
ところどころに可愛らしい黄色い花が咲いている。
「これはな、『蝋梅』って花だ」
「ろうばい?」
「ああ、「ろうばい」の「ろう」は「ろうそく」の「ろう」だ。
見てみな、この花。
蝋細工みたいだろ?」
手渡された枝に目を近づけてよく見てみると、確かに彼の言うとおりだった。
半透明の黄色い花びらが重なり合った小さな花は、どこかで見たアロマキャンドルに似ている。
火が灯っているわけでもないのに強く甘い香りが鼻をくすぐった。
さっき香水かと思った香りは、この花が放つ香りだったのだ。
「……いい香り」
「気に入ってくれたかい?」
「はい、とっても。
ありがとうございます、龍馬さん」
ゆきの顔に蝋梅の花にも負けないくらい可愛らしい笑みの花が咲く。
「喜んでもらえたなら何よりだ」
彼もまた嬉しそうに笑みを浮かべる。
ほんのりと頬を赤く染めて。
「──
蝋梅の花は、まるでお嬢みたいだよなぁ」
しみじみと呟く龍馬は、ゆきの顔と蝋梅の枝とを眩しそうに細めた目で交互に見比べていた。
「え?
蝋梅が、私、ですか?」
「ああ、儚そうに見えて、実は強い。
まだまだ寒い冬だってのに、こんな綺麗な花をつけてる──
な?」
「え、えっと……」
ゆきは照れくささに赤らめた顔を俯けた。
彼が誉めているのは蝋梅の花なのに、まるで自分が誉められているようだ──
花に例えた時点で彼はそのつもりなのだが。
ちらり、と視線を上げてみると穏やかに微笑む龍馬の顔が見えて、ゆきは再び慌てて目を伏せた。
二人のもとに暖かな春が訪れるまで、あと少し──
(花言葉「慈愛」/蝋梅に狼狽、なんちて(笑))