■Trial for marriage 【2】 龍馬

『── 神子の願い、叶えるよ』
「それは……私たちの結婚式に、都と瞬兄に来てもらえるということ?」
『そう── 力の満ちた今の私なら、造作もないこと』
「……嬉しい!  ありがとう、白龍!」
『礼など必要ないよ。 神子は世界を救った。 だから神子は幸せにならなくてはいけない』
 頭の中に直接響く声は慈愛に満ちていた。 姿が見えたなら、あの一見いかつい龍の顔に柔らかな笑みが浮かんでいるに違いない。
『だから──』
「……白龍?」
 なぜか不自然に龍の声が途切れ、ゆきは思わずその名を呼んだ。
 耳を澄ますように意識を集中させると、少し離れたところがなんとなくざわめいているような気がした。
 似たような状況をゆきは知っている。 そう、例えば電話で話している時に相手が誰かに呼ばれ、向こうで続いている会話が終わるのをじっと待っているような。
 しばらくすると、神子、と声が戻ってきた。 どこか疲れたような声音だった。
「どうかしたの、白龍?」
『── ごめんね、神子。 神子が幸せを掴むには── もうひとつ試練を乗り越えなければならない』
「えっ…?」
『南へ── 四神が神子たちを待っている──……』
 その後は、どんなに呼びかけようと、龍の声が響くことはなかった。

*  *  *  *  *

 翌日、ゆきは増上寺の境内にいた。
 この江戸で龍神に示された『南』と『四神』が結びつく場所は、四凶の一体・コントンと戦い、朱雀の札を手に入れたこの増上寺の他にはない。
 もちろん龍馬も伴っている。 『必ず結婚式を!』と息巻き、『四神に会わなければいけないんです!』と懇願するゆきに押し切られる形で、どうにか仕事に都合をつけざるを得なかったのである。
 とりあえず5日ほど、彼女に付き合うことにした。 共に暮らすようになって以降、こんなに長い時間ずっと一緒にいられるのは初めてのこと。 彼女へのちょっとした罪滅ぼしと、何より龍馬自身が楽しくなりつつあった。
「で、お嬢、俺たちはここで何をすりゃいいんだ?」
「それは──」
 ゆきには質問に答える術がなかった。 ここへ行くよう指示されただけ。 それも場所の解釈が間違っていなければ、の話である。
 しかし、ゆきの逡巡はすぐに解消されることになった。
「── ゆき?」
 聞き覚えのある声に名を呼ばれ振り返ると、この場所が間違いではなかったと確信できる顔ぶれが揃っていたのだ。
「お久しぶりです、ゆきさん、坂本さん」
 柔らかい笑みを浮かべる地の朱雀・沖田総司。
「チナミくん、総司さん……どうしてここに?」
「何を呑気なことを言っている !?  今度の敵は何者だっ !?  オレの力、今一度お前に貸してやる!」
 噛みつかんばかりの天の朱雀・チナミは何故か臨戦態勢で鉄扇を握り締めている。
「え?  敵なんていないけど……?」
「なんだと !?  じゃあこれは何だ!」
 チナミと総司、揃って懐から取り出した物を突き出してくる。 それは一枚の紙で、

『増上寺  神子を助けよ』

 とだけ書かれていた。
「それって……」
「今朝、目覚めたら枕元に置かれていたんです。 ゆきさんに危険が迫っているのかと思い、ここに来て──」
「── 沖田とばったり出会って、怪しい者が潜んでいないか見回ってきたところだ」
「そうなの?  ……ありがとう、二人とも」
 戦いが終わった今でも、こうして駆けつけてくれる仲間たち。 ありがたくて、嬉しくて、思わずゆきは顔を綻ばせた。
 その時、辺りの空気が一瞬にして変化を遂げた。 張り詰めたような清浄さに、身も心も引き締まる。 それでいて安らげる温かさも感じられた。
 この複雑な感覚は懐かしく記憶に残っている。
「あ……」
 空気の変化を敏感に感じ取った三人が身構えていた。 龍馬はすぐに銃を抜けるよう腰に手をやり、チナミがジャッと金属が擦れる音を立てて鉄扇を開き、総司が刀の鯉口を切るキンと澄んだ音が小さく響く。
「── 揃いましたか」
 どこからともなく声が響く。
 気づけばゆきのすぐ傍に、燃え上がる焔のような衣を纏った人物が立っていた。
「また会えましたね、神子」
「うん、元気そうでよかった」
「ええ、神子のおかげですよ。 今度(こたび)もよく頑張りましたね」
 その人物はあでやかな笑みを浮かべ、焔の衣を揺らしながらそっとゆきの頭を撫でた。
 その瞬間、ゆきの視界は猛スピードで真横に移動し、どすんと何かにぶつかった。 龍馬に腕を引っ張られ、彼の胸に抱き止められたのである。
「おいおいおい、俺のお嬢に気安く触らんでくれよ。 あんた一体、何者だ?」
「あ、あの、龍馬さんっ」
「よいのです、神子」
 龍馬の訝しげな視線に気分を害すこともなく、焔の人物の笑みは一層あでやかさを増した。
「私は朱雀── 南天を守りし神」
「「「なっ !?」」」
 身構えることをすっかり忘れた三人の素っ頓狂な声が見事にハモる。
「ももも申し訳ありませんっ!  いつも力をお貸しくださり、ありがとうございますっ!」
 鉄扇を慌ててしまい込んだチナミが、カチコチに緊張しながらガバッと頭を下げた。
 そういえば、現代で玄武の札を設置したところから歴史の流れが変わってしまったせいで、今の八葉たちは人の姿をした四神とは出会っていないのだ。 ゆきの中にある四神たちとの思い出を共有することができないのが淋しい。 ただ、どうやら朱雀は歴史が変わる前のことを覚えていてくれているらしいことが、唯一の救いに思えた。
「沖田!  お前も頭を下げろ!」
「はあ……」
「へぇ、戦いの時の鳥の姿だけじゃなく、人の形にもなれるのか。 さすが神様だな」
「坂本殿、失礼だぞ!  ご、ご無礼をお許しくださいっ!  共に戦ってくださっていた朱雀が、このように美しい女人とは露知らず──」
「チナミくん、ダメっ!」
 ゆきの悲痛な叫びとほぼ同時、朱雀の背後に巨大な火柱が上がったような気がした。 浮かべた笑みはそのままに、確実に朱雀は怒りの炎を燃やしている。
「チナミ……そこに直りなさい」
「は…?」
「他の三人もですっ!」
 慌てて地に正座した四人に浴びせられるのは朱雀の説教。
 けれど、前にもこんなことがあったな、とゆきはこっそり微笑むのだった。

*  *  *  *  *

「── こほん。 まあ、いいでしょう」
 おおよそ一刻ほどの後、朱雀の説教はようやく終わりを告げた。
 痺れて感覚のなくなった足をさすりながら、安堵の溜息が知らず漏れる。
「はぁ〜、そろそろ昼飯時じゃないのか?」
 朱雀は小声でぼやく龍馬をキッと睨み付け、
「案ずることはありません。 ここは私の作り出した結界の中。 本来、神子と私が守護を与えし天地の八葉のみが存在できる、時の流れぬ場所。 ですが今回に限り、あなたにも滞在を許しましょう、地の青龍」
「そりゃあどうも── あ、ありがとうゴザイマスっ」
 途中チナミに脇腹を小突かれて、慌てて言葉を付け足す龍馬。
 ひょいと立ち上がり、軽く袴の埃を払い落すと、ゆきに向かって手を差し伸べる。 ゆきが手を乗せると、しっかり握って引っ張り上げてくれた。
「あの、朱雀……私たちは何をしなければいけないの?」
 後ろで肩をそっと支えてくれる龍馬の手に励まされながら、ゆきは神に尋ねた。
「神子は── その地の青龍を伴侶に選んだと聞きました」
 ほぅ、と朱雀は憂いを含んだ溜息を吐く。
 ゆきは目の前の神の憂いの理由がわからないまま、こくりとひとつ頷いた。
「── 地の青龍、両の手を出しなさい」
「ん?  こうか?」
 龍馬はゆきの隣に進み出ると、手のひらを見せて両手を差し出した。
「神子、その手を取りなさい」
 促されて身体の向きを変えた龍馬の手の上に、そっと自分の手を乗せる。 彼の手にやんわりと包まれた。
「これでいいの?」
 朱雀は荘厳に頷くと、
「── 決して言の葉を紡いではいけません。 互いの目を見つめ、その奥にある心を感じ取るのです」
「心?」
 ゆきと龍馬は思わず顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
 そして朱雀は所在なさげな様子で成り行きを見守る二人に向け、
「チナミ、総司、あなた方二人は神子と地の青龍に与えられた試練の見届け人となってもらいます」
「は、はいっ!」
「……わかりました」
 己を守護する神に逆らえるはずもなく、二人はそう答えるより他なかった。

 始めなさい── 儀式の開始を告げるような重々しい神の声に、ゆきは龍馬の顔を見上げた。
 顔を見合わせるというのは、今ではそう珍しい行為ではない。 もっと近い距離で見つめ合うことも多くなったのだから。
 けれど明らかに自分たちに注目している人が周囲にいる中で、となるとどうにも照れ臭い。
 だがこれは神に与えられた試練── 役目を終えたとはいえ、龍神に選ばれた神子たるもの、人の心に敏感であることが必要なのに違いない。
 恥ずかしくて逸らしたくなるのを必死に堪え、視線を彼へと向ける。
 いつもと変わらない人好きのする笑顔は、今の状況を楽しんでいるようにも見えた。
 彼の笑みがふっと濃くなる。 釣られるようにゆきも微笑んだ。
 ── なんかよくわからんが、ちっとばかし楽しくなってきたぜ。
 ── ふふっ、そうですね。
 そんな会話をしたような気分。
 ふいに彼の表情から笑みが消えて、真剣な凛々しい顔つきになった。
 ── これまでだって一緒に苦難を乗り越えてきたんだ。 この試練も二人でなら必ず乗り越えられるさ。
 そう言ってくれているような気がする。
 いつも気遣ってくれて、いつも励ましてくれて、いつも守ってくれた、大切な人。
 誰よりも、何よりも大好きな人── 改めて実感すれば、ゆきの鼓動がとくんと跳ねた。
 その途端、龍馬の目が笑みに細められた。 微笑みの中には、眩しいものを見るような、何かをうっとりと見つめるような表情。
 ── お嬢……愛してるぜ。
 本当に声が聞こえたような気がして、思わず目を見開いた。
 この瞬間にも湧き上がり、とめどなく溢れるこの想いを伝えたい── 彼の目をじっと見つめていると、自分の顔に笑みが広がっていくのがわかった。
 ── 愛しています、龍馬さん。
 ゆきの手を包む彼の手に、ぎゅっと力が込められた。

*  *  *  *  *

「── チナミ?  どうかしましたか?」
 隣に届くギリギリの小声で総司が訊いた。
「あ、あれを見て何とも思わないのかっ !?」
 同じくごく小さな声で答えたチナミは真っ赤になった顔で挙動不審に視線を泳がせている。
「そうですね……二人とも、幸せそうです」
「そんなことはわかっているっ!  何故オレたちがそれを見せつけられねばならないんだっ !?」
 すると総司はいつもの曖昧な笑みでなく、楽しそうに微笑んで、
「ゆきさんはあんなに必死に救おうとした自分の世界よりも、坂本さんを選んだんです。 だから、あれでいいんだと思いますよ」
 何か言い返そうとしたチナミは、諦めたように開けた口をそのまま閉じた。

 己が力を与えた天地の八葉の微笑ましいやり取りと、いまだ手を取り合い見つめ合う二人の姿を交互に見やり、朱雀はにっこりと母のような優しい笑みを浮かべていた。

〜つづく〜

さて、第2話でござる。
何やってるんでしょう、この人たち(笑)
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが……
遙か祭2012のパラレルドラマの影響を多分に受けていると思われます。
朱雀が……朱雀が……うん。
こんな調子で続きます。

【2012/07/05 up】