■【旅路番外編】スウィートお江戸ライフ♪【10:鈴の音】 龍馬

 町で評判の甘味処へ行こう、とゆきと約束を取り付けていた龍馬は、迎えに来た千葉家の玄関先に彼女が出てくると同時にあることに気がついた。
 チリリン。
 小さいけれど、涼やかで可愛らしい音。
 それは彼女が動くたびに聞こえてくる。
「……ん?  何の音だ?」
「あ……これです」
 彼女はチリリンと音をさせながら、勢いよく首を捻った。 見えたのは彼女の後ろ頭。
 結った髪の結び目に、かんざしでも櫛でもない、これまで見たことのない飾りをつけているのは知っていたが、今そこを飾っているのは優しい海の色の組紐だった。 彼女がふるふると首を振って見せると、蝶結びにした組紐の先端に付けられた小さな鈴が揺れて、ちりんちりんと愛らしい音を立てた。
「へぇ、今日は可愛い飾りをつけてるんだな、お嬢」
「ふふっ、ありがとうございます。 昨日、お買い物に行った時に、さなさんに買っていただいたんですよ」
 余程嬉しいのか、彼女はまた頭を振ってみせる。 ちりちりと鳴る鈴の音までが楽しげに聞こえてきた。
「んじゃ、これでお嬢が迷子になっちまっても、音ですぐに見つけられるな」
「ひどい、龍馬さん……私、そんなにいつも迷子になんてなりませんよ?」
 ぷくっと頬を膨らませ、唇を尖らせて拗ねる彼女。 そんな顔もとても可愛らしい。
「すまんすまん。 まあ、もしも、って時の話だ」
「……でも、こんな小さな音だと、人混みに紛れてしまったら聞こえないんじゃありませんか?」
「大丈夫さ。 お嬢の鈴の音だ、俺の耳にはしっかりと聞こえるって」
「じゃあ……その時はお願いしますね」
「おう、任せとけって。 んじゃ、うまいもん食いに行こうぜ」
「はい!」
 大きくうなずいた彼女の元気な声と一緒に、鈴の音までが一緒にチリリンと返事をした。

*  *  *  *  *

 数日後、道場へ向かっていた龍馬の耳に、チリリン、と鈴の音が聞こえてきた。
「……お嬢?」
 まだこんな朝の早い時間にどうしたのだろう?
 だが、きょろきょろと辺りを見回してみても、彼女の姿はない。
「お嬢!」
 にゃー。
 呼び声に返ってきたのは、彼女の声ではなく。
 見れば道の端の日の当たるところで、一匹の猫が気持ちよさそうに寝そべっていた。 青い首輪が見えるから、どこかの飼い猫なのだろう。 全身真っ白で艶やかな毛並みを持つ猫は、うーん、と背伸びをしてから、大きな口を開けてあくびをする。 動くたびにチリリンと鈴の音がした。 よく見ると、首輪の喉元で鈴がひとつ揺れていた。
「……そうか、音の主はお前さんだな?」
 これも何かの縁、ちょいと撫でてやろうかと近づくと、白い猫は素早い動きで飛び起きて、身を翻して走って逃げていった。

 その後、千葉道場の近辺でよく見かけるようになった白い猫。 そのうち龍馬のことを『害のない人間』だと認識してくれたのか、近づいても逃げることはなくなった。
 ようやく頭を撫でさせてくれるようになり、喉を撫でてやればゴロゴロと喉を鳴らして気持ち良さそうに目を細めるようにもなった。
 抱き上げてもおとなしくしているようになると、龍馬は猫のことをこっそりと『ゆき』と呼ぶようになっていた。 真っ白い毛並みはまるで降り積もった雪のようだから、と一応理由をつけている。
 おそらく猫の中でも美人の部類に入るであろう『ゆき』を撫でながら『ゆき、お前は可愛いな』と、人間の『ゆき』には面と向かって言えないことを言って思わず顔を赤くしたりすることもしばしば。 彼女に触れるのは躊躇われるから、代わりに猫を思う存分撫でる。 『猫かわいがり』とはまさにこのことだ。
 そんなある日のこと、道場へ向かう龍馬は鈴の音を聞いた。
「お、『ゆき』、今日も出迎えてくれたのかい?」
「── ごめんなさい、ちょっと朝市に行くだけなんです」
「ぬわっ !?」
 にゃー、と返事があるものだとばかり思っていたら、きっちりと言葉が返ってきて龍馬は腰が抜けるほど驚いた。
「あっ、いやっ、す、すまんお嬢っ!」
「龍馬さん?  あの……おはようございます」
 彼女が不思議そうな顔で小首を傾げると、チリリン、と鈴の音が鳴った。
「おおおおおはようっ!  お、俺はこれから稽古なんだ!  それじゃあな!」
 脱兎の如く逃げ出す龍馬。 そのまま道場まで全速力で駆け抜けて、道場の入り口で力尽きてがっくりと膝をついた。
 どうやら『ゆき』と呼んだことを彼女が気づいてないらしいことだけが唯一の救いのような気がしていた。

 そして、それから龍馬の気の抜けない日々が始まった。
 稽古中、外からチリリンと鈴の音。 彼女が見ているなら、これは張り切らねば── そう思っていると、兄弟子たちが小声で話すのが耳に届いた。
「……あの猫、どこから入り込んできたんだ?」
 白い猫が千葉家の庭を優雅に横切っていく。
 脱力して項垂れているところに、再び鈴の音。
 ── 猫は猫らしく、どこかで昼寝でもしていてくれよ。
 心の中でぼやいた龍馬に、
「── あの、具合が悪いんですか、龍馬さん?」
 かけられた心配そうな声は、紛れもなく彼女のもので。
「い、いや、な、なんでもないんだ!」
 そんなことが繰り返されることになり。 鈴の音が異常なまでに気になって、稽古で疲れる前に精神的にぐったりと疲れるようになってしまっていた。

*  *  *  *  *

 数日後、稽古を終えて千葉家を訪ねた龍馬は、目の前の光景に瞠目した。
 濡れ縁に座る彼女の膝の上に、気持ちよさそうに丸くなっている白い猫がいたのだ。
「── お、お嬢、その猫……」
「あ、龍馬さん。 可愛いでしょ、この子。 少し前に道場の近くに捨てられてて…… 飼ってもいいってお許しをいただいたんです」
 彼女がそっと顎の下をくすぐると、もっと撫でてと言わんばかりに猫は喉をのけ反らせた。 その首に見えるのは、鈴のついた青い首輪。 こっそり『ゆき』と呼んでいた猫に間違いない。 彼女が猫の喉を撫でるたび、チリンチリンと鈴がなる。
「あれっ?  この子のこと、話してませんでしたっけ?」
「……まあ……いや、いいんだ」
 力が抜けそうな身体をどうにか支えながら、龍馬はこっそりと溜息を吐く。 猫が人の言葉を話せない動物でよかった── つくづくそう思いながら。 これまでのことをすべて彼女に暴露されてしまったら、恥ずかしすぎて合わせる顔がないというものだ。
「── 不思議なんですよ、この子。 最近、私が名前を呼ばれると、この子も返事するんです」
「いっ !?  そ、そうか、な、なかなか賢い猫だなあ、あははははは」
 もしかすると自分のせい、なんてことは口が裂けても言えるはずもなく。 龍馬はただ乾いた笑いで誤魔化す他にない。
 むくりと起き上がった猫が、甘えるように彼女の胸元に顔を擦り寄せた。
「ふふっ、可愛い」
 猫をそっと抱き締めて、白い毛並みを撫でる彼女の顔はにこにこと笑っていて。
 ── ああ、なるほど。 可愛いものはああして抱き締めたくなるものなんだな。
 なぜなら、龍馬も今── いや、今に限らずいつでも── 可愛らしい彼女を抱き締めたくて仕方ないのだから。
 妙に納得させられるほのぼのとした光景に、思わず龍馬の顔も緩んでいく。
 一人と一匹が戯れるたび、ちりんちりんと軽やかな鈴の音が楽しげに響いていた。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 今回のネタ提供は祀莉さま。
 『道場で飼っている(←ねつ造……)猫とお揃いの鈴付きリボン(あるいはバレッタに
  結び付けたリボン)をつけたゆきにわけのわからない萌を感じて悶える龍馬氏』
 いただいたのは7月だというのに……遅くなってスミマセン(汗)
 久しぶりに龍馬さんを書いたので、なんとなくぼんやりした話になったような。
 ……いや、ぼんやりはいつものことか(汗)
 若龍馬さんは純情だなー。
 そして十年後に香水を贈り、匂いを嗅ぐまでに成長する龍馬さん(笑)

【2011/09/14 up/2012/01/26 拍手より移動】