■【旅路番外編】スウィートお江戸ライフ♪【9:香り】
千葉家の縁側で庭を眺めながら、稽古後の喉の渇きをゆきが淹れてくれるお茶で潤す、というのが龍馬の日常になり始めた頃──
「── 今日もお疲れさまでした」
隣に腰を下ろした彼女が差し出した盆から湯飲みを取って、
「いつもありがとうな、お嬢」
「いいえ」
にっこり笑った彼女が身体を捩って盆を後ろに置く。
と、彼女の動きに合わせるかのように、ふわりといい香りが漂ってきた。
すんすんと鼻を鳴らして匂いの元を辿る。
感覚を研ぎ澄ませようと無意識に目を閉じた。
匂いが強くなったところで目を開けると、そこに見えたのは薄紅色。
「あっ、す、すまんっ!」
龍馬は慌てて薄紅色から顔を離した。
それは彼女が纏う着物の色で、匂いを辿るうちに彼女の肩まであと一寸、という距離にまで顔を近づけてしまっていたのだ。
急に動いた割にお茶をこぼさずに済んだのは幸いだった。
「あ、あの……どうかしたんですか?」
「いや、そのっ……お嬢から……なんかいい匂いがしてくるなぁ、と……」
火照った頬をぺちんと叩き、ガリガリと頭を掻く。
すると彼女は自分の袖を持ち上げ、鼻先に近づけた。
「そんなに匂いますか?」
「あっ、いや、臭いって言ってる訳じゃないんだ!
そのっ──」
龍馬の慌てっぷりを気にする風もなく、彼女は二コリと笑う。
「今日はお天気がいいから、着物を虫干ししたんです。
その時、虫よけに効くお香を焚いたから、たぶんその匂いだと思います」
「へ、へえ、そうなのかい?」
「本当はもっと好きな香りがあるんですけど……今は手元になくて」
彼女は鼻から下を袖に埋めたまま、なぜかふふっと嬉しそうに笑った。
「── ゆきさんのお着物にも、もっとお香を焚きしめたほうがいいかもしれないわね」
二人の背後、部屋の中から衣擦れの音と共に声が聞こえてきた。
千葉家の娘、さなである。
虫干しを終えて片づけるところなのか、綺麗に畳まれた着物を一抱え持っている。
「え?
どうしてですか?」
きょとんとして首を傾げるゆきに、さなはくすっと笑みを零し、それから龍馬に向かって意味ありげな視線を投げかけた。
「もちろん、ゆきさんに『悪い虫』がつかないように」
「えっ、俺のことですかっ !?」
「さあ、どうかしらね」
ふふふ、と笑うさなは龍馬をからかうのがよほど楽しいらしい。
「── だったら、龍馬さんは『悪い虫』なんかじゃありませんね」
「「えっ?」」
にっこり笑ったゆきの言葉に、龍馬とさなが同時に首を傾げた。
「だって、私から虫よけのお香の匂いがするのに、龍馬さんは近づいてくれましたから」
「お嬢……」
「あらあら……あのお香、既についてしまった『虫』には効き目がないのかしら」
呆れたように肩をすくめ、さなはすたすたと部屋の奥に引っ込んでしまった。
言葉や動作に反して、その顔にはやけに嬉しそうな笑みが浮かんでいたように見えたのは気のせいだろうか。
「── それに、龍馬さんは『虫』じゃなくて『人間』ですもの。
ね?」
くすくすと楽しそうに笑っていた彼女に同意を求められたが、咄嗟に返す言葉もなく。
「……え?」
「え?」
「あ……いや……ありがとな、お嬢」
ここは『人間に生まれてきてよかった』と喜んでおくべきか?
なんとなく、彼女のそばにいることを認められたような気がして、じんわりと嬉しくなってくる。
「えと……どういたしまして?」
どうやらきちんと意味を解していないらしい彼女の不思議そうな表情に、龍馬は思わず吹き出した。
「えっ、どうして笑うんですか?」
「いや、なんでもないんだ。
うん、お嬢はずっとそのまんまでいてくれよ」
「はぁ……」
持ったままになっていた湯飲みからお茶を一口啜った。
今日のお茶もいつも通り美味い。
そのうち彼女の好きな匂いがするものを贈ってみようか、と考えながら、龍馬は残りのお茶を飲み干した。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
今回のネタ提供は名もなき神子様。
『ゆきからいい匂いがすることに気付く龍馬』
もちろんゆきちゃんが言った「好きな香り」は配信ネタから。
さなさん大活躍(笑)
【2011/08/12 up/2011/09/14 拍手より移動】