■【旅路番外編】スウィートお江戸ライフ♪【8:手と手】 龍馬

「はあっ!」
「たあーっ!」
 気合いの声と同時に、カンッ!と硬い木を打ち鳴らす音が響く。
 今日、千葉道場では門弟たちによる試合形式の稽古が行われていた。 手にしているのは稽古用の木刀だが、身体に当たれば怪我をしかねない。 皆、文字通りの真剣勝負で挑んでいる。
「でやあぁぁっ!」
 鬼のような形相で打ち込まれた木刀を、龍馬は渾身の力を込めて薙ぎ払う。 ガンッと硬い音と同時にジンと手が痺れた。 痛みに木刀を取り落としそうになるのを必死に堪え、ぐっと握る手に力を込める。
 力で押し負けた相手の手から落ちた木刀が床にカランと落ちた。 しまった、という表情の喉元にすかさず木の剣先を突き付ける。
「── それまで!  勝者、坂本!」
 すっと上がった審判の手が、龍馬に向けられた。
 よし!と勝利の喜びにぐっと拳を握り締めるのは、もちろん心の中だけでのこと。 刀を鞘に収める代わりに、木刀を左手で腰の位置に持つ。
 ありがとうございました、と頭を下げてから、兄弟弟子たちがずらりと座っている壁際へ。 入れ替わりに中央に進み出た兄弟子たちの試合が始まった。

 すべての対戦が終われば、本日の稽古は終了となった。
 井戸を借りようと龍馬が道場を出ると、
「── お疲れさまです、龍馬さん」
 『鈴を転がすような声』というのは、まさにこんな声のことを言うのだろう── そこににっこり笑った彼女が立っていた。
「お嬢!」
「今日は試合だったんですね」
「ああ、そうなんだ。 たまにはこういう緊張感のある稽古もいいもんだぜ」
 戸を開け放っていたから、千葉家の母屋にいた彼女の耳にも届いていたのだろう。 普段の練習の時の掛け声とは違う、真剣みを帯びた気合いの声が。
「おめでとうございます」
「なっ……お、お嬢、見てたのかい…?」
「はい、今日はいつもの稽古とは雰囲気が違うなと思って。 龍馬さん、かっこよかったです」
 輝くような笑顔でそう言ってくれた彼女の言葉が嬉しくて。 兄弟子に勝てたことよりも、彼女にいいところを見せられたことの方が嬉しいなんて。 師匠に知られれば破門されてもおかしくない不謹慎な考えだろうと、嬉しいものは嬉しいのだから仕方ないのだ。
「かっこよかった、か……そうかそうか、ありがとうな、お嬢!」
 嬉しさのあまり、龍馬は彼女の手を両手で握り締め、ぶんぶんと大きく振り回した。 にこにこしている彼女以上に、満面の笑みを浮かべながら。
「……あ」
 ふと彼女が小さな声を上げた。 下を向いた彼女の視線を辿っていくと、彼女のほっそりした手を握り締める自分の手が見えた。
「あっ!」
 喜びに我を忘れていたとはいえ、あまりに不躾な態度に彼女は気分を害したのかもしれない。
 すまん、と詫びて手を引っ込めようとした龍馬だったが、それはできなかった。
 さっきとは逆に、彼女の手が龍馬の指先をやんわりと握ったのだ。
 そこから手を引き抜くのは容易いことだ。 だができなかった。 したくなかった、というほうが正しいのかもしれない。
 彼女は掴んだ龍馬の手を軽く捻った。 手のひらが上を向く。 そして彼女はもう片方の手の指先で龍馬の手のひらをそっとなぞり始めた。
「お、お嬢っ !?」
 まるで易者が手相を見ているような彼女の行動の意図がわからない。 ただ、手のひらのくすぐったい感覚が背中にまで伝わって、ぞわぞわと総毛立ってくるのは勘弁してほしい。
「── やっぱり、マメができてるんですね」
「え」
「ほら、ここ、固くなってる」
 指の付け根あたりをそっとなぞられて、またも全身が粟立った。
「す、すまん!  もしかして、さっきお嬢の手を握った時、痛かったのかい?」
 彼女はいいえ、と小さく首を振り、にこりと笑う。
「頑張ってる人の手だな、って思ったんです」
「お嬢……」
 彼女にそう評されるのはとても嬉しいことだ。 これからも頑張って── そう、何があっても彼女を守りきれるくらいに強くなりたい。
 と、再び彼女が、あ、と声を上げた。
 彼女は龍馬の手首を掴み、胸の前までぐいっと上げる。 手のひらは彼女の方へ向いていた。 まるでお釈迦様にでもなったような気分だ。
 なんだ?と龍馬がこっそり首を傾げていると、彼女がくすっと微笑んだ。 それから彼女は上げた龍馬の手に、ぴたりと自分の手のひらを重ねてきたのだ。
「── っ !?」
「わぁ……やっぱり龍馬さんの手って大きいんですね」
 大きな瞳をきらきらさせている彼女は、純粋に手の大きさ比べを楽しんでいるのだろう。
 だが、かあっと頭に血が上り、心臓が破裂しそうなほどにバクバクと脈打っている龍馬にとっては、彼女の無邪気さは厳しい拷問にも等しかった。
 このまま引き寄せて── いやいや、いかん。 それは自分の想いを告げて、彼女の想いを確かめてからのことだ。
 彼女の手の柔らかなぬくもりを感じながら、龍馬は頭の中でぐるぐると葛藤し続けたのだった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 今回のネタ投下はこまさま。
 『稽古後「かっこよかった」と誉められて、嬉しさのあまりゆきの手を握ってしまって焦る龍馬』
 悩む方向がちょっと変化してしまいました、すみません(汗)
 ゆきちゃんが天然すぎましたかねぇ?
 手フェチなゆきちゃん(笑)

【2011/08/05 up/2011/08/12 拍手より移動】