■【旅路番外編】スウィートお江戸ライフ♪【2:ショッピング】 龍馬

 その日、『お嬢』のご機嫌伺いに千葉邸を訪れた龍馬の耳に飛び込んできたのは諍いの声。 諍いと言うには緊迫感のない可愛らしいものではあったけれど。
「── でも、困ります……」
「そんなことを言わないで。 お父さまが是非にとおっしゃってるんだから、遠慮することないのよ」
「おじさまが……今でもこんなによくしてくださってるのに……」
 取り込み中ならば後にしようか、と引き返しかけたところで、
「あら、坂本さん!」
 玄関先で言い合っていた二人の女性のうちの一人に見つかってしまった。
「あ、す、すみません。 その、急ぎの用ではありませんので──」
 軽く頭を下げて退散しようとしたのだが、坂本さん、と改めて名前を呼ばれ、龍馬は足を止めざるを得なかった。 鋭く響いたその声は、逃げることは許さない、という裏の意味を含んでいるように感じたのだ。
「急ぎの用がないのなら、尚のこと丁度よかったわ。 坂本さん、この子をお願いしますね」
「えっ、あ、あのっ !?」
 にっこりと笑ったさなが龍馬に押し付けたのは、彼がここにいる理由、『お嬢』その人だった。

*  *  *  *  *

「すみません、龍馬さん……ご迷惑をおかけして」
「そんな何度も謝らないでくれよ、お嬢」
 しょんぼりと俯きがちに歩く彼女とは対照的に、龍馬は意気揚々である。
「俺は嬉しいぜ、こうしてお嬢と出かけられるんだからな」
 にぱっと笑って見せると、彼女の沈んでいた表情が緩んで、微かな笑みが浮かんできた。 ああよかった、と安堵の息を吐いたのも束の間、ふと恥ずかしげに頬を染めた彼女の口から『私も嬉しいです』と小さな声が聞こえた瞬間、 龍馬の心臓は身体を突き破って出てきそうなほどに跳ね上がる。
 少々ぎこちなさが生まれた二人が向かっているのは、千葉道場に程近い呉服屋。 ずっとさなから借りた着物を着ている彼女を不憫に思ったのか、千葉が着物を作るよう勧めてくれたらしい。 呉服屋には話がついていて、後は店に行って反物を選ぶだけになっているのだが、何度言っても彼女は呉服屋に出向くことに首を縦に振らず。 結局、行く行かないでさなと言い合いになってしまったらしい。 そこに龍馬が出くわした、という訳だ。
「これ以上甘えてしまうのが申し訳なくて……」
 よほど気が進まないのか、彼女の足は鈍りがち。 再びしょんぼりと俯いて、しまいには完全に足が止まってしまった。
「なあ、お嬢」
 龍馬は彼女の前に回り込み、少し腰を落として顔を覗き込んだ。
「人に甘えるのは、そう悪いことじゃないと思うぜ?」
「でも……私、ずっと周りの人に甘やかされてきたから……甘えないようにしないと」
 きゅ、と愛らしい唇を噛みしめるのが見えた。 彼女が何をそれほど気に病んでいるのかはわからないが、なんだか切ない気分になってきて、どうにかして励ましてやりたいと思った。
「── 甘えるのと甘やかされるのは、全然違うと俺は思う」
「……?」
「い、いや、何がどう違うとかは聞かんでくれよ。 俺にもよくわかってないんだが──」
 きょとんとした顔でじっと見つめてくる彼女の視線に耐えられなくなって、龍馬は慌てて目を逸らした。
「── そうだな、己の志を無にするような甘えは良くないと思う。 だが、それ以外はいいんじゃないか?  現に俺だって、お嬢にはもっと甘えて欲しいと思って──」
「え?」
 彼女の声にはたと我に返る。 見れば彼女の大きな瞳はいまだ自分に向けられていた。 同時に自分の口から零れ出た言葉が頭の中に蘇ってきて、火の中に突っ込んだように顔が熱くなった。
「や、あ、そのっ、い、行こうぜ!」
 振り返った龍馬の視線のすぐ先に、呉服屋ののれんが風にはためいていた。

 呉服屋に入って『千葉』の名前を出した途端、愛想よく店の奥から出てきた主人が直々にたくさんの反物を抱えてきて、これはいかがですか、こっちは、ととっかえひっかえ彼女に布を当ててみている。
 布を当てられながら困り顔の彼女以上に、龍馬は困り果てていた。
 時折『どうですか、龍馬さん?』と尋ねられるのだが、『似合う』としか答えられない。 元々店の主人が彼女の容姿に似合いそうな柄を選んでいるのだろうが、どの布地を当てても実に彼女にしっくりくるのだから仕方ない。
「もう……真面目に答えてください」
「いや、俺は大真面目だ!  本当にどれもお嬢に似合ってて、俺には決められん!」
「あ……ありがとうございます」
 頬を染めて視線を逸らす彼女の肩には空があった。 鮮やかな明るい青に小さな花が舞い、その間を縫うように二羽の燕が飛び交っている柄の布地だ。 なんとなく、ああ、いいな、と龍馬は思った。
「あの……この空色、とても綺麗ですね」
 肩の布にそっと手を当て、彼女が言う。 たった今同じようなことを考えたばかりだったから、龍馬も少し嬉しくなった。
「ええ、その色を出すのに苦労した、と染め師も申しておりましたよ」
 布を誉められた店主が我がことのように嬉しそうにそう答える。
 ふいに彼女と目が合った。 何か物問いたげだった顔に、笑みが浮かぶ。
「……じゃあ、これに決めます」
「かしこまりました。 仕立て上がりましたら、お宅までお持ちしますので」
「はい、よろしくお願いします」

*  *  *  *  *

「── なあ、どうしてあの反物を選んだんだい?」
 呉服屋を辞しての帰り道、ずっと気になっていた龍馬は率直に聞いてみることにした。 すると彼女はくすりと笑って、
「なんだか龍馬さんの顔が『それがいい』って言ってるように見えましたから」
「えっ !?  そ、そんなに顔に出てたか !?」
 慌てて自分の顔をゴシゴシとこすってみる。
「えっ、本当にそう思ってたんですか?」
「ぅえっ、いや、それはっ」
 ひたすら焦る龍馬の口からはまともな言葉が出てこない。
「本当は── 青い空を自由に飛ぶ燕って、龍馬さんみたいだなって思ったの」
 そう言った彼女はニコリと笑うと、カラコロと下駄の音も軽やかに、千葉道場へ戻る道を先に歩き始めた。
「………それって……」
 その場に立ち尽くしていた龍馬の顔に、じわじわとだらしない笑みが広がっていく。 ずいぶんと先まで行ってしまった彼女の姿は、往来の人の波に隠れてしまいそうになっていた。
「── ま、待ってくれ、お嬢!」
 駆け出した龍馬の心の中は幸せな気持ちでいっぱいで、本当にこのまま燕のように空を飛んで行けそうな気さえした。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 番外編第二弾。
 今回のネタ提供神子様はおおぞらさま。
 いつもお世話になっております。
 買い物デート編ということでしたが、少々意図したものと違う出来になってしまったかも。
 空色に花に燕っていう柄がセンス的にどうかということは置いといて(汗)
 龍馬さんのイメージカラー・露草色に近い色と、二羽の燕がポイント。
 銃を手に入れた時、「海燕」と名付けるきっかけがゆきちゃんだったらいいな、と。

【2011/05/24 up/2011/05/31 拍手より移動】