■ふいうち

【お題】キスの詰め合わせ(by 恋したくなるお題さま)/05 君からのキス

 サザキが橿原宮から千尋を『盗み出し』、生まれ故郷に帰ってから早数ヶ月。
 苦労してようやく手に入れた船を停泊させた入り江の程近くに家を建て、いざ出航ともなれば故郷に散らばっていた海賊たちが集合し、さして大きくもない家は大賑わいとなる。
 先日、仲間のひとりがどこからか手に入れてきた古びた地図。どうやら宝のありかを示したものらしいとわかると、各地の地形に詳しい者たちが即座に頭を寄せ合い、 熟考した結果四国のとある場所の地形と符合することが判明した。
 今はその地へ向けての出航の準備中。
 元々賑やかしいのが好きな連中が集まれば、前祝いとばかりに連日連夜の宴会の日々だった。

 そんな中、千尋は不満を抱きつつも表面上はにこやかに、彼らの輪に入って強い酒を舐めるようにして飲んでいた。
 目の前にはカリガネをリーダーとする本日の料理当番によるおいしいご馳走が並び、気のいい海の男たちが無邪気にはしゃぎながらの会話は聞いている方まで楽しくなってくる。 次第に回ってくるアルコールで身体はふわふわとし始めた。
 なのに、何が不満なのか。
 それは、彼女がいる輪から少し離れたところで例の地図を広げ、仲間数人と何やら楽しそうに談義しているサザキとの関係である。
 今は人で溢れかえっているこの家も、普段はたった二人で使っている。
 二人、とは、もちろんサザキと千尋のこと。
 傍から見れば幸せいっぱいの新婚夫婦のようなのだが、実際はいまだに『夫婦』はおろか『恋人』とも呼べないような“清らか”な関係だったのである。
 もちろん、空中散歩を楽しむときは落とされないように思いっきり抱きつく形になるし、普通に手を繋いで浜辺を歩くこともある。
 しかし、それ以外彼は千尋に指一本触れることはなかった。
 夜休むのも、当然のように別々の部屋なのだ。
 彼はとても優しい。一緒にいるのは楽しいし、この上もなく大切にしてくれる。
 だが、眠りに落ちる前、微かな波の音を聞きながら闇の中にいると、つい考えてしまうのだ。
 もしかして私って女の魅力ゼロ?、と落ち込んでみたり、じゃあなぜ彼は私をここに連れてきたのだろう?、と疑心暗鬼になってみたり。
 さりとて彼と『大人の関係』になったとして何が変わるわけでもないだろうし、千尋とて四六時中『そんなこと』ばかり考えているわけでもないが、 機械文明が進み否応なしに情報が流れ込んでくる世界で5年間を過ごした彼女に蓄えられた知識が、時折彼女のやるせなさを駆り立てるのだ。
 男たちの会話に適当に相槌を打ちつつ、うっかりネガティブ思考に囚われてしまった彼女は注がれるままに酒をあおり、彼女の意識はいつしか完全にブラックアウトしてしまっていた。

*  *  *  *  *

「大将ぉ〜」
「なんだー?」
 情けない声で呼ばれ、そちらに目をやって視界に入ってきたのは、なんとも情けない顔をした部下の一人だった。
「……すんません」
 心底申し訳なさそうに詫びてくる彼の傍らにうずくまる小さな背中。
 何事かと地図の前から腰を上げ、数歩移動して彼女の側に膝をつく。
 下から覗き込むと、背中を丸めて隣の男にもたれかかっている彼女は、すぅすぅと寝息を立てていた。
「っかーっ! お前ら、姫さん酔いつぶしちまったのか !?」
「うわっ、大将、ほんとすんませんっ! そんなに飲ませたつもりはなかったんですけど…」
「出航までまだ日があるからいいようなもんだが、こんな調子で船に乗って辛い思いすんのは姫さんなんだぞ」
「うぅ…すんません」
 謝り倒す部下たちを一瞥、サザキは依然寝息を立てている千尋の身体をひょいと抱え上げた。
 無意識だろう、千尋は身じろぎすると腕を伸ばし、ふわりと彼の首に抱きついた。
 おまけに首筋に埋めた顔をすりすりと擦り付けて。
 ドキンッ。
 サザキの心拍数は一気に急上昇。
「おっ、大将、顔赤くなってますぜ!」
「ごゆっくり〜」
 部下たちのからかいに、彼の顔はますます赤くなる。
「ばっ、バカ言ってねぇで、いい加減切り上げてとっとと寝ちまえっ!」
 どっと湧き起こった爆笑に送られ、サザキは賑やかな部屋を後にした。

 ── 実はサザキも悩んでいた。
 腕の中で眠る少女はこの細くて羽根のように軽い身体で豊葦原と常世の国に平和をもたらした。
 一国の姫として凛々しくも武器を手にする彼女。
 戦による悲劇に心を痛め、涙する彼女。
 誰も相手にしてくれなかった大陸の話を目を輝かせて聞いてくれた彼女。
 行動を共にしているうちにいろいろな表情を見せてくれた彼女にどうしようもなく惹かれ、お尋ね者になるのを覚悟で橿原の王宮から掻っ攫ってきたというのに。
 彼女がここにいて、笑ってくれているだけで幸せで、至極満足だった。
 とはいえ彼も男である。
 彼女の頭のてっぺんから足の先まで、髪の一筋さえ残さず自分のものにしてしまいたいという欲望ももちろんある。
 だが、彼女の血筋が醸し出す神聖さからなのか、純真無垢な彼女の持つ気高さからなのか、『そういう』意味で彼女に触れるのが躊躇われた。
 けれどここ最近彼女が垣間見せる表情がやけに艶めいて見えて、日一日と膨れ上がっていく後ろ暗い欲望を冗談に紛れさせて押し込めるのに必死になっていたのである。
 彼女の部屋に入り、寝台の上にそっと下ろす。
 首に回されていた腕が緩んだ。
「……ん………」
 起こさないようにそっと横たえてやろうと背中に手を添えたところで、千尋がうっすらと目を開けた。
「あ、悪ぃ、起こしちまったか?」
「………サザ…キ…?」
「気分はどうだ? ちーっとばかり酒が過ぎたみたいだな、姫さん」
 すると、千尋は思いだしたように、ん、と唸って眉を僅かにしかめた後、ふわりと微笑んだ。
 まるで砂糖菓子のように甘い笑み。
「サザキ……」
 彼女は再び彼の首に抱きついて、
「── だぁいすき」
 彼の耳に甘く囁いて、その上、ちゅっ、と可愛らしい音を立てて彼の頬にキスしたのである。
「っ !?」
 サザキは一瞬にして固まってしまった。
 と、千尋の身体からすぅっと力が抜け、背中に添えられていたサザキの手をすり抜けるようにしてどさりと寝台に倒れこむ。 綿をたっぷり詰め込んだふかふかの枕がぼふっと彼女の小さな頭を受け止めた。
 ふんわりと柔らかな感触の残る頬にゆっくりとぎこちない動きで手を当てて、これまたぎこちない動きで首を動かし下を見下ろせば、なんとも満足げな微笑みを浮かべた彼女の寝顔。
「………や………やられた…」
 しばしの放心の後、苦しげに呟くと、サザキはがばっと立ち上がる。
 彼女の寝顔にびしっと指を突きつけて、
「ひ、人がせっかく我慢してやってたのに、もう許さねぇ! 目が覚めたら覚悟しろよっ!」
 宣戦布告か、はたまた精一杯の負け惜しみか。
 どかどかと足音高く部屋を出て、ぴしゃりと戸を閉める。
 むにゃむにゃと幸せそうな顔で眠り続ける彼女は果たしてどんな夢を見ているのだろうか。
 今夜、焔色の野獣が檻から解き放たれたことを、彼女はまだ知らない──

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 時々かっこいいサザキは恋愛面は超ヘタレだといい。
 つか、サザキが真面目な顔してキスしてるとこがなぜか妄想できないんだよぉ。
 その場で襲ってしまわないとこがサザキのいいところ(笑)

【2008/08/22 up】