■翼をください
毒矢を受けた傷も癒え、再度攻め入った橿原宮は気が抜けるほどあっさりと奪還に成功した。
しかし、まだ戦は終わったわけではない。
一旦東へと退いた常世の国はいつ体制を整えて攻め込んでくるか分からないのだから。
防備を調える間の束の間の休息。
千尋はあまりはっきり記憶にはないが確実に幼い日々を過ごした橿原宮から、西の空をじっと見つめていた。
「── 今頃、どの辺りにいるのかな…」
ぽつりと呟いた言葉は清かなそよ風に流されていった。
彼女が思いを馳せるのは、橿原宮奪還に最も貢献した人物。
本来ならば褒美も地位も思いのままなのだろうが、まつろわぬ民── 背中に翼を持つ日向の一族であるがゆえに、彼らは故郷への帰途についている。
「さっさと帰っちゃって…………って、私が追い出したんだよね」
ふ、と自嘲の笑みを浮かべる千尋の目は、赤く腫れぼったい。
橿原宮を取り戻した直後から、近隣の村で日向の一族が盗みを働いているという噂が立ち始めた。
国をも揺るがしかねない事態に官人たちは『橿原にいるつもりなら翼を斬り落とせ』と理不尽なことを言い始めたのだ。
翼を誇りとしている人たちから翼を奪う権利は誰にもない── 千尋は苦渋の選択をし、彼らに橿原から立ち去るよう命令したのだった。
千尋はここ最近気を抜くと俯きがちになってしまう顔を上げ、空を見上げた。
「橿原の空、飛べなかったな」
抜けるように青い空。
彼らのテリトリー。
「私にも、翼があれば── そうしたら、サザキのところまで飛んでいけるのに」
そう呟いた瞬間、千尋の身体がまばゆい光に包まれた。
「なっ、何 !?」
驚愕の声を上げる千尋。
光が消えると同時に彼女の姿は跡形もなく消え、代わりに鮮やかな黄金色の美しい羽根を持つ小鳥が西の空へ向けて飛び去った。
* * * * *
橿原からさほど離れていない山中の開けた場所で、日向の一族たちはしばし翼を休めていた。
二度と橿原の地に足を踏み入れるな、と言い放った彼女。震える声と苦悶の表情は、すべてまつろわぬ民である自分たちを守るためだということを如実に顕していた。
だから、彼女のいる橿原から遠ざかるのが辛くて、飛んでは休み、を未練がましく繰り返している。
岩の上に腰を下ろしていたサザキは東の空を振り仰いだ。
「………………そろそろ行くぞ」
バサリ、とカリガネが翼を大きく広げた。
「………ああ、そうだな」
よっこらせ、とわざとおどけた掛け声をかけて立ち上がり、もう一度東の空へと目を向ける。
「ん…? あれは……」
雲ひとつない青空に何かが動いた。それは一直線にサザキに向かって飛んでくる。
「鳥……か」
小鳥はサザキの肩に着地すると、チチチと愛らしい声でさえずった。
手を差しのべると、ぴょんと飛び移って来る。
「なんだこいつ、やけに人なつっこいな」
小鳥の乗った手を顔の前に持ってきて、しげしげと眺めてみる。
全身を覆う鮮やかな黄色の羽根。見事な黄金色だ。
頭には蒼穹を切り取ったかのような青い飾り羽根が彩りを添えている。
黄金の髪に青い髪飾り── 愛しい人を思い出させる小鳥は真ん丸い目をぱちくりさせて、よく通る声でさえずりながらサザキの顔をじっと見つめていた。
ふわり。
一陣の風がサザキの焔色の髪をなびかせた。
小鳥は捕まえた、と言わんばかりにサザキの髪の一房をついばむと、くいっと引っ張る。
「はっは、わかったわかった。可愛い奴だな、お前」
小鳥の悪戯にサザキは声を上げて笑う。笑ったのなんて久しぶりだ。
「さ、お前と遊ぶのもここまでだ。オレはそろそろ行かなくちゃなんねぇからな」
じゃあな、と小鳥を乗せていた手を勢いよく振り上げる。
バサバサ、と軽い羽音を立てて小鳥は空へ舞い上がっていった。
「姫さん─── 千尋に、逢いてぇなぁ」
小さな黄金色が描く軌跡を目で追いながら、サザキは知らず呟いていた。
その時。
キラリ。
小鳥が星の瞬きのように光を放った。
眩しさに目を細める。
なぜか光の中に愛しい人の姿が見えたような気がした。
「……幻覚まで見えるようになっちゃあオシマイだな」
自嘲交じりの笑みを浮かべて目を瞑る。
そしてゆっくりと目を開けると──
「なっ !? ち、千尋っ !?」
スカイダイビングさながらに空から降ってくるのは、紛れもなく千尋本人だったのだ。
事態を理解する前にサザキは地を蹴って宙に身体を躍らせていた。
衝撃が少しでも和らぐように翼を操り、しっかりと受け止める。
それでも殺しきれなかった衝撃と、抱きしめる腕の中の温もりは決して幻覚などではなかった。
「い、一体何がどうなってんだ !?」
「わからない……サザキのところへ飛んでいきたいって思ったら、空にいたの」
「千尋……」
サザキが翼を羽ばたかせるたび、空中で抱き締め合ったままの二人の身体がふわりふわりと揺れていた。
「よっ…と」
「きゃっ!」
バランスを崩した千尋が悲鳴を上げる。
サザキが抱きしめていた片手を離し、千尋の足を掬い上げて横抱きに抱え直したのだ。
「び、びっくりした…」
「はっはー、悪ぃ悪ぃ。けどあのまんまじゃ姫さんの可愛い顔が見えねぇからな」
至近距離で顔を覗き込み、サザキはにやりと悪戯っぽく笑う。
途端に千尋の頬は薄紅に染まっていった。
「もう…サザキってば……」
口の中でもごもごと呟いていた千尋がふっと笑みを浮かべた。サザキの目をじっと見つめ、彼の首に回した両手にきゅっと力がこもる。
「サザキ、あ──」
「おーっと、そっから先はオレに言わせてくれ」
「え…?」
きょとんとした顔で小首を傾げ、目をぱちくりさせる千尋。
まるでさっきの黄金色の小鳥のようだ、とサザキは吹き出しそうになった。
すぅっと息を吸い込んで呼吸を整えてから──
「千尋── 逢いたかったぜ」
ふわりと花が開くように千尋は微笑んだ。
地上に降りた二人が一族の者たちに散々冷やかされ、からかわれた後。
「…………これからどうするんだ?」
冷静なカリガネの一言に、突如現実に引き戻される。
「……私、サザキたちと一緒に行く。連れてって」
千尋の声は揺ぎない決意を表すように凛と響く。
「そりゃマズイだろ。戦はまだ終わってねぇ。今ここで姫さんが抜けたとあっちゃ、中つ国は──」
「もういいの。私はサザキと一緒にいたい。だから連れてって」
「姫さん……」
目の前の少女は胸元で両手をしっかりと握り合わせ、必死に訴えていた。
彼女は自分の国も役目もすべて捨て、自分と共に行くと言ってくれている。
好きな女にここまで言わせるなんて男冥利に尽きるというものだ。
だが──
「── このままあんたを連れて行くわけにはいかねぇな」
「え?」
千尋の落胆の声と同時に、遠巻きに成り行きを見守っていた日向の一族たちからもどよめきが起きた。
「どうして……」
サザキは鷹揚に腕を組み、片手を顎に当てるとニヤリと笑う。
「強気で真っ直ぐ、少々のことじゃへこたれねぇ── オレが心底惚れた姫さんはそういう奴だ。
途中で投げ出して、尻尾巻いて逃げ出そうなんて言ってるあんたは一体、どこの誰なんだ? ん?」
ぐいっと顔を近づけて、口の端を上げるサザキ。千尋は思わず視線を落として下唇を噛んだ。
そっと彼女の肩に手を置いたサザキは急に笑みを消し、真顔になる。
「── 橿原宮の近くまで送ってやる」
「サザキっ !?」
「オレたちは表立って動けねぇ。だが、集められる限りの情報を集めてやる」
「それって……」
「だから絶対に常世に勝て。勝って中つ国を平和にしろ」
「── っ!」
「その後で── オレがあんたを攫いに行く」
ぱあっと顔を輝かせた千尋は、飛びつくようにしてサザキの首に抱きついた。
一族たちは拍手喝采、指笛口笛を吹き鳴らし。
そのまま千尋を抱え上げたサザキは彼らの方へと向き直り、
「聞いての通りだ! 行くぞ、野郎どもっ!」
おーっ!と威勢のいい鬨の声と共に彼らは一斉に地を蹴った。
そして、力強い羽ばたきの音は東へと戻っていくのだった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
サザキの書・八章、最後の選択肢で『きっと忘れてる』を選んだ時の
バッド(アナザー?)エンディングより。
ちょっとはかっこいいサザキが書けたかなー?
【2008/08/15 up】