■笹百合に寄せて

「── この時期にここに来て、何が面白いんだ…?」
 ぶっすりと吐き捨てるように呟くアシュヴィンに、千尋はくすりと笑みを漏らした。
 ここは出雲の地の山あい。 初夏にはこの谷を埋め尽くす愛らしい花も、甘く芳しい香りも、真冬の今はどこにもない。 わざわざ足を運んでまでして見るものはないし、ここに来るための休暇を取るためにしばらく目の回りそうな多忙が続いたのだから、彼がぼやくのも至極当然ではあった。
「でも、私はこの場所が好きよ?」
 敵としてではなく、人として初めて彼と語り合ったのがこの谷だった。 あの時彼がここに連れてきてくれていなければ、もしかすると今もまだ敵同士のままだったかもしれないのだ。
 目を瞑れば一面の笹百合の花が鮮やかにまぶたの裏に広がった。 思い切り息を吸い込んでみると、枯れた草の匂いしかしないのが残念だったけれど。
「あれから── いろんなことがあったね」
「── そうだな……色々なことが、ありすぎた」
 左右の山に切り取られた青い空を、どちらからともなく見上げて、想いを馳せる。
 あの戦いの中で命を落とした多くの人々への申し訳なさと、訪れた平和で平穏な今を誇りたい気持ちがない交ぜになった。
「ねえ、アシュヴィン」
「……なんだ?」
「今度は花の咲く頃に来ましょうね」
「ああ……」
 谷を吹き抜けた一陣の風の冷たさに、暖を取るように彼に抱きついてみた。
「どうした?  今日はやけに甘えてくるんだな」
 ふわりと身体を包むマントと抱き締める腕で、更に温かさが増した。
 グイッと首を逸らせば、呆れたように笑う顔があった。
「ふふっ……お誕生日、おめでとう」
 彼は一瞬大きく目を見開く。 直後、嬉しそうに目を細めた彼の顔が千尋の上にゆっくりと降りてきた。
 千尋もまた、踵を上げて自ら距離を縮める。
 軽く触れた唇が、ありがとう、と動いて、あとは溶け合うように重なった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 シチュ:思い出の場所
 表情:「目を見開く」
 ポイント:「振り向きざまに」、「お互いに同意の上でのキス」
 (ツイッター診断メーカー「キスお題ったー」より)
 「振り向きざまに」どこいった?
 リハビリ中につき、この長さが精一杯です、ごめんなさい。
 アシュヴィンさま、お誕生日おめでとうございます。

【2013/01/31 up】