■アシュ千で五十音【な行/は行】

 ここからは、書けたものから載せていくってことに切り替えようかと。
 いくら短くても、1日5本はキツすぎるもんで。
 完走までは気の長い話になりそうだ……

 ★このページは【な行】【は行】です。

 【仲直り】
「アシュヴィンの馬鹿っ!」
 カッと頭に血が昇った勢いのまま、部屋を飛び出して。
 ダダダッと廊下を突っ切って、自室から一番遠い物置部屋に飛び込んだ。
 何が入っているのか知らないが、部屋中に積み上げられた木箱の陰にしゃがみこむ。
 ほんとにもうっ! いつもいつもいつもっ!
 私をからかって何がそんなに楽しいのっ!
 と、背後でカツンと踵のなる音。
 しまった、扉の前にバリケード作っとけばよかった。
 思ったのも束の間、ぐんっと引っ張られて一瞬辺りが明るくなったと思ったら、すぐにまた暗くなる。
 顔全体を塞がれて、息が苦しい。
 木箱の陰から引っ張り出されて抱き締められているのだと気づくのに時間はかからなかった。
「── ごめん」
 耳元で囁かれる魔法の言葉。
 悔しいけれど、これを聞かされると私の怒りはへなへなに弱って消え失せる。
 彼は私の首筋に顔を埋める。
 触れ合う髪がさわさわと音を立てた。
 ── ほんとにもう。
 仕方がないので彼の背中に回した手で服をきゅっと掴む。
 抱き締められた腕に力が込められるのがわかった。
 ……あれ? もしかして、今、笑わなかった?

(こっそりほくそ笑むアシュ/あんまり多用すると効力が薄れるぞ/【さ】の変形)

 【握る】
 誰かが隣を歩いている、というのは不思議な気分だった。
 皇子たる彼に付き従う者たちは文字通り後ろに控えているのが常だから。
 稀に並んで歩くことがあるのは兄弟として育ってきたわずか二人。他の者には並び立つことは許されない。
 だが、彼女はいとも簡単に自分の隣を定位置にしてしまった。
 その上、彼女はいつもそのたおやかな手に何かを握り込んでいる。
 それは彼の背にたなびくマントであったり、袖の肘の辺りだったり、手袋をはめた手の小指だったり。
 触れられることに慣れない頃は彼女のそのしぐさに怪訝な眼を向けてしまうことがあった。
 その度彼女は顔を赤らめ決まりが悪そうに俯いて、ごめんなさい、と小さく呟いた。
 きっと無意識の行為なのだろう。
 ふと自分の手を見つめた。漆黒の手袋に包まれた手を。
 次に彼女が触れてきた時にしっかりとその手を握り締めることができるように、この手袋を外しておこうか。
 そう考えた彼は、自分の心がしっかりと彼女に握られていることに気が付いて、彼女以外にはほとんど見せることのない柔らかな笑みを浮かべた。

(そんなクセがあったら可愛いと思う/千尋が何をしてもアシュはめろめろ(笑))

 【ぬくぬく】
 鳥のさえずりも虫の声すらも夜の闇に閉ざされて。わずかな星明かりも梢に遮られて届かない。
 その中にぽぅっと浮かび上がる暖かな光。
 揺らめく炎に影が揺れ、パチパチと薪が爆ぜる音だけが響き渡る。
 千尋は膝を抱え、ぼんやりと炎を見つめていた。
 他の仲間たちは思い思いの場所で束の間の休息を取っている。
 熱の揺らめきの向こう側には、夜の闇に紛れてしまいそうな黒づくめの衣装に身を包んだ男が胡坐をかいて彼女と同じように炎を見つめていた。
 彼は今、火の番をしているのだ。もうしばらくすれば他の誰かを起こして交代することになっている。
 千尋はただ眠れないだけ。燃え上がる炎を見ていると、心の奥底がざわざわと騒いで仕方がない。
 眩しさを感じる顔や手足はちりちりと熱いのに、夜の空気にさらされた背中はひんやりと冷たかった。
「── くしゅんっ」
 背中の寒さを意識した途端、鼻がむずむずした。
 向かい側から笑う気配がする。
「寒いのか?」
「……ううん、平気── くしゅっ」
 言ったそばから再びくしゃみ。
 ふっ、と笑ったアシュヴィンが立ち上がり、焚き火を回り込んでくる。
 バサリ。
 鳥の羽ばたくような音が耳を打つ。
 直後、背中がほんわりと暖かくなった。
「あ……」
 隣を見れば、千尋と同じような格好で座っているアシュヴィン。彼のマントが千尋の背中をすっぽりと覆っていた。
「……ありがとう」
 炎に照らされ陰影のくっきりとした横顔が揺らめきながら微笑んだ。

(野営中/皇子の体育座り(笑))

 【狙う】
 思いがけずチャンスが巡ってきた。
 天翔ける船の堅庭で、彼女はひとり夜の風に吹かれている。
「── 考え事、か?」
「えっ?」
 ぴくりと身体を震わせ振り返る彼女は驚きに目を見開いていた。夜の闇の中にあってなお澄み渡る空のような蒼い目を。
 足音を殺して近付いたわけではないのに。それほどまでに深く思考の中に埋もれていたのだろうか。
 と、彼女の整った柳眉が奇妙に歪んだ。
「── くしゅんっ」
 続けて、すん、と鼻をすする。
「寒いのか?」
 聞けば彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返してから、くすりと笑みをこぼした。
「……どうした?」
「ううん、前にも同じこと聞かれたな、と思って」
「……ああ」
 さもたった今思い出したかのように言ってみるが、実のところずっとアシュヴィンの心の中に残っていた。
 以前野営をした時、膝を抱えて炎を見つめる彼女が今と同じようにくしゃみをした。そんな彼女の隣に座り、マントを背にかけてやったのだ。
 いつしか彼女はアシュヴィンの肩に凭れ、安らかな寝息を立てていた。
 その時のぬくもりと重みが忘れられない、なんて、これまでの彼の人生にはなかったこと。
 あれ以来、彼女が自分に向ける視線にどことなく熱を帯びた何かが混じっているような気もする。
 今回は肩でも抱いてみるか、とアシュヴィンはマントの端を掴んでバサリと広げてみせた。
「入るか?」
「えっ、いいの !?」
 嬉しそうに目を輝かせる千尋。なかなかの好感触だ。
 だがしかし。
 彼女はキラキラした目はそのままに、両手を差し出したのである。
「……なんだ、その手は」
「えっ? マント貸してくれるんじゃないの?」
 ── どうやら彼女の狙いはアシュヴィン自身ではなく、彼の羽織るマントの方だったらしい。
 アシュヴィンは落胆の気持ちを表に出さないよう努力しつつ、襟元から外したマントを彼女の手の上に無造作に放り、無言で踵を返す。
 後ろでバサッと布を捌く音がして、
「うわぁ、やっぱりあったかい」
 その声があまりに幸せそうで、彼の不機嫌も一瞬にしてどこかに吹き飛んだ。

(乙女だな、アシュ(笑))

 【望む】
 小雪ちらつく中でも自らの足を頼りに目的地へ向かわねばならないこともある。
 吹きすさぶ風をなるべく避けるために分け入った森の中。それでも足元からの冷えは容赦ない。
 小さく足踏みをする千尋は革の外套を羽織ってはいるが、見るからに寒そうだ。
 ふと、彼女と目が合った。
 ぱぁっと顔を輝かせ、ちょこちょこと近づいてくる。
 手を伸ばす彼女は外套代わりに身体を包んでいたマントの縁をきゅっと掴んで引っ張ったかと思うと、くるんと向きを変えて自分の前でマントを掻き合わせる。
 彼女の背中が、とん、と胸にぶつかった。
「なっ !?」
「あー、やっぱりアシュヴィンがいたからあったかかったんだ」
 納得したように呟く千尋。
「ふふっ、頭がふたつあるてるてる坊主みたい」
 望んでいた存在があっさりと、それも向こうから腕の中に転がり込んできた。
 顎の下にある金糸に彩られた小さな頭に頬を寄せ、外部から遮断されたマントの中で華奢な身体を抱きしめた。

(湯たんぽにされてるだけ?/マント三部作・完)

 【晴れ】
 肌に感じる暖かさに空を振り仰げば、蒼穹に金色の太陽が輝いていた。
 ほんの少し前までは、こうして仰ぎ見た空は乾きかけた血の色をしていて、浮かぶ太陽は禍々しい闇を振り撒いていたというのに。
 光の眩しさに目を細める。
「── アシュヴィン」
 柔らかな声に振り返る。そこにも蒼穹と金の光があった。
「太陽の光を直接見たら、目を傷めるんですって」
 くすくす笑いながら隣に並ぶ、彼の妻。見上げてくる彼女の頬を両手でそっと包み込む。
「── ならば見るのはこちらにしておこうか」
「え」
 何かを察知して蒼い目を泳がせる彼女の額を隠す金の髪にゆっくりと唇を寄せた。

(ちょっとおセンチな皇子/でも千尋ラブ(笑))

 【秘密】
「── ねぇ、いつから私のこと、好きだったの?」
 何気なく口から零れ出した言葉に、アシュヴィンは目をぱちくりさせた。
「いつ、って……そんなの決まっているだろう」
「へ?」
「高千穂の山中で相まみえた時、だな」
「ええっ !? それって一目惚れだったってこと !?」
「おかしいか? 人の心というものは理屈で計れるものでもあるまい?」
「そ、それはそうだけど……」
 ニヤリと笑いながら臆面もなくそう言ってのける彼の目を正視できなくなって、ふいと視線を逸らす。
 すっ、と頬に手が添えられた。ほんわりと温かい。
「お前はどうなんだ?」
「え」
 ちらりと窺うと、彼はまさに興味津々な顔で。
 考えてみれば、あの高千穂の邂逅以来、敵であるはずの彼のことが気にかかって仕方がなかった。
 それはすなわち──
 千尋の顔がぽんっと弾けるように真っ赤になった。
「ひ………秘密!」
 クツクツと喉の奥で笑うアシュヴィン。
 その笑い声が「すべてお見通し」と言っているように聞こえて、千尋はさらに顔を赤く染めた。

(きっとお互い一目惚れ)

 【風船】
 ふと気付いたのは、外からの風に乗って聞こえてくる楽しげな笑い声。
 合間に何やら軽い破裂音のようなものまで聞こえてくる。
 書きかけの竹簡をついと脇に除け、肘をついて耳を傾ける。
 声と音は中庭から聞こえてくるらしい。
 ふ、と口元を緩ませて席を立った。

「ほらラクス、行くわよ!」
 ぱんっ!
「きゃー、かぁさまっ!」
 ぱんっ!
「はい、今度はそっち!」
 ぱんっ!
「姫様、いきますよっ!」
 ぱんっ!

 輪になった数人の女たちの頭上を何かがふわふわと飛び交っていた。
「ぅきゃっ!」
 見るからに軽そうな物体を追う小さな姫が転んでしまった。
 きゅっと唇を引き結んで身体を起こした彼女は、今にも泣きそうな顔になる。
 物体は彼女の身体の下敷きになってつぶれていた。
「あ…………かぁさまぁ…」
「ふふっ、大丈夫よ。こうすれば──」
 彼女の母は物体を拾い上げ、少し形を整えてから、ふぅ、と息を吹きこんだ。つぶれたそれは、元のふっくらとした形に戻っていた。
 姫の顔がみるみる明るく輝いた。
「── 千尋、あれは何だ?」
 彼の妻が輪から離れて近づいてくる。
「え? ああ、あれ? 紙風船よ。昔、風早に作り方を教えてもらったの。結構覚えてるものねー」
「……ふぅん」
「あ、もしかしてうるさくて仕事にならなかった?」
「……いや」
「あっ! じゃあ、仲間に入りたくなったとか?」
「そんなわけあるか」
 くすくすと笑いながら、彼の妻は輪に戻っていく。
 一段と楽しそうな笑い声が大きくなった。
 ── 仕事が終わったら、作り方を教えてもらおうか。部屋でも十分遊んでやれそうだし。
 そんなことを思いながら、彼は仕事を片づけるべく執務室へ戻っていった。

(ほのぼの〜(笑))

 【返事】
「── ねえ、アシュヴィン」
「………」
「アシュヴィン?」
「………」
「アシュヴィンってば! 忙しいのは分かるけど、返事くらいしてよっ!」
「………」
「……もういいよ、私だって返事なんてしてやらないんだからっ!」

「── 千尋」
「………」
「千尋?」
「………」
「ふっ、愛しい我が妃はご機嫌斜めらしいな」
「っ………」
「── 千尋」
「っ── !?」
(----- 数十秒後 -----)
「── お前だって返事しないじゃないか」
「だっ、だって! いきなりキ、キスされたら返事したくてもできないでしょっ !!」

(勝手にやってろ/あえてセリフのみで)

 【報告】
 目が回るほどの忙しさから解放され自室に戻ったアシュヴィンの元に、彼の妻がおずおずと近づいてきた。
「あ、あのねアシュヴィン……その、大事な話があるの」
 何やら頬を上気させ、耳まで真っ赤に染めてもじもじと指先を弄んでいる。
「……なんだ…?」
 少々気がかりなことがあったせいで、まだ頭の中が仕事モードの彼の返答はいささかそっけない。
「あの、ね……んと…ね……」
 煮え切らない彼女の態度に、アシュヴィンの眉間に皺が寄る。
「だからなんだ。早く言え」
「あ、うん……あのね」
 促してもなかなか話を始めない彼女は内緒話でもするかのように両手を口元に当てていた。
 自分たち以外に誰もいないこの部屋の中で、内緒話も何もないのだが── 一応アシュヴィンは身体を傾け、彼女の口元に耳を近づける。
「─────── だって」
 耳元で吐息混じりに囁かれた言葉に、彼の心臓はドクンと大きく跳ね上がった。
「……それは本当か、千尋?」
「うん……間違いないって」
 えへへ、とはにかむ彼女を思わず抱きしめた。
 そのままズルズルと滑り落ちるようにして跪き、改めて彼女の腰を抱きしめ直し、腹に頬を寄せる。
 まだ何の兆候も見えないそこには、新たな命が宿っているという。
 その報告はどんな高級な酒よりも甘美で心地よい酔いを彼にもたらした。

(ご懐妊の報告/いやぁめでたい)