■アシュ千で五十音【あ行/か行】
土日でやったならアシュ千も、というわけで(笑)
コルダに比べるとネタの絶対量が少ないので厳しいかもしれないですが。
完走できるかは不明…
連載ほったらかして何やってんだ、あたし……
★このページは【あ行】【か行】です。
あ 【赤い月】
「── 風早っ!」
剣を合わせていた男の名前だろう。
呼びながら、躊躇いもなく剣戟の間に割り込んできた若い娘。
戸惑いを隠せない表情。
震える膝。
だが、整った愛らしい顔立ちに、凛々しく涼やかな瞳。
こんな鬱蒼とした森の中、人知れず散らすのはもったいない。
どうせなら花開き、咲き誇るところを見てみたい。
明らかに敵のはずなのに、どうしてこんな思いが湧いてくるのだろう。
ふと見上げた空には、血の色に染め抜いた月が皓々と辺りを照らしていた。
(一目惚れの瞬間)
い 【命を預ける】
目の前に迫っているのは根宮。
あの奥に、この世界の禍をもたらした元凶がある。
こくり。
乾ききっている口から無理矢理唾を飲み込むと、思った以上に喉が鳴った。
「── さすがのお前も臆したか?」
隣に立つアシュヴィンが揶揄するように口の端を上げる。
「怖くないと言えば、嘘になるわね」
「ならば──」
半歩身体を寄せたアシュヴィンが、そっと千尋の腰に手を回す。
「── 俺の命はお前に預ける。だから── 生き残れ」
千尋ははっとして彼を振り仰ぐ。彼の目は眼前の石の要塞を真っ直ぐに見つめていた。
「……だったら、私の命はあなたに預ける。だから、あなたも」
「ああ」
降りてきた視線には、力強い光が満ちている。
「── 行くぞ」
「ええ」
陰の気が渦巻く中心へと一歩を踏み出した。
平和を取り戻し、共に生きていくために。
(信じ合うことがすべて)
う 【嘘をつく】
堅庭を吹き抜ける夜の風が、短くなった髪を揺らして首筋をくすぐっていく。
仮初めの夫となった男の羽織るマントがバサリと音を立て、胸のうちのもやもやはますます大きくなった。
「── 兵を集めるための結婚だなんて……みんなに嘘をついているみたいで、私は嫌だわ」
「過ぎてしまったことを悔いても仕方あるまい?」
「でも……」
俯いた千尋の耳に、男が小さく息を吐くのが聞こえた。笑ったのだ。
「── 嘘が嫌なら、真実(まこと)にしてしまえばいい」
「えっ、それって──」
踵を返して船内へ戻っていく男の表情は窺えず、答えも返っては来なかった。
(政略結婚に戸惑う姫と内心嬉しい皇子)
え 【絵を描く】
春の碧の斎庭は一面に色とりどりの花が咲く。
「わぁっ、綺麗っ! この景色はやっぱり絵に残しておかなきゃね!」
義弟はさっそく東屋にしつらえられた卓に画材を広げ始めた。
「そうね、私も描いてもいい?」
「うん、どれでも好きなの使って」
練り固めた染料を水を含ませた筆で溶いて、紙の上に色を置いていく。
繊維の荒い紙にじわりと滲んで、なかなか風情があるかもしれない。
「ねぇ、アシュヴィンも一緒に描かない?」
「いや、俺はいい」
「あー、もしかして描けないんだ?」
「そんなことはないっ!」
「じゃあ一緒に、ね?」
紙と筆を押し付けて。
そしてしばしの後──
彼の作品を見た千尋は、
「……もうシャニのこと『絵が下手』なんて言っちゃダメだからね?」
にっこり笑って、ガクリと落ちた彼の肩にポンッと手を乗せた。
(そんなイメージがあるんだよね)
お 【大きくなる】
「あのね、らくすね、おおきくなったら、とぉさまのおよめさんになる!」
転がるように駆け寄ってきた愛娘の第一声に、彼女を抱き上げながらアシュヴィンは頬を緩ませた。
「そうかそうか、ラクスは俺がそんなに好きか」
「うんっ、だいすきっ!」
にぱっと笑って答える娘に、彼はぐりぐりと頬ずりをする。
「だがそれは難しいな」
「えーっ、どうしてー?」
「お前の母様と結婚しているからな。そうだな、お前にはいずれ良い縁が──」
とアシュヴィンはふと言葉を切って考え込んだ。
眉間に皺が寄り、徐々に険しい顔つきになっていく。
ゆっくりと娘を床に降ろし、最後には彼女を抱き締めたままの格好でしゃがみこんでしまった。
「── やっと追いついた〜。もうラクスってば足速いんだから〜……って、アシュヴィン?」
「千尋ぉ……」
ぎぎぎ、と音がしそうな様子で顔を上げたアシュヴィンの情けない顔に、思わず千尋は吹き出した。
まさか彼が娘の嫁入りを想像して半べそになっているなんて、思いもよらなかったけれど。
(超親バカなアシュさま)
か 【髪を切る】
「── まさか、自ら切り落とすとは思わなかった」
唐突にそう言われて、初めは何のことを言っているのかわからなかったが、髪の毛のことだと気がついて千尋は自分の頭に手を当てた。
三つ編みにして纏めていた髪を、得体の知れない黒い手に掴まれた。
まるで綱引きのようだ、などと暢気な考えが頭の片隅に浮かぶものの、そのままにしておいていいとは決して言えない状況だった。
髪どころか、命まで引きずられていきそうな恐怖。
咄嗟に胸元に忍ばせてあった懐刀で髪を断ったのだ。
「あの時は仕方なかったもの」
とはいえ物心ついた頃からずっと長い髪だったから、いまだに頭の軽さがなんとなく落ち着かない。
千尋は頬にかかる髪の毛先を摘んでみた。
ふいに近づいたアシュヴィンが彼女の髪にそっと触れた。
ひと撫でしてから、指先を髪に差し入れる。
彼が手を浮かすと、短い髪は彼の指から零れ落ちていった。
誰かに髪を触られるのは初めてではない。
幼い頃は櫛で梳いてもらっていたし、美容院にだって何度も行っているし。
だが、こんな風に触れられたのは初めてかもしれない。
ピリピリと背中に電流が走ったような気がした。
「少し……残念だ」
「え…?」
アシュヴィンは飽きもせず千尋の髪をすくっては落とす動きを繰り返しながら、
「お前が髪を下ろした姿を、まだ一度も目にしていない」
「え」
口元に淡い笑みを浮かべている男の顔を思わずじっと見つめる。思っていたより距離が近かった。
「……じゃあ……これからまた伸ばそうかな……」
特に深い意味で口にしたわけではなかったけれど。
そうしてくれ、と言った彼の顔はこれまで見たことのない、子供のような無垢な笑顔。
身体中の血液が一気に沸騰したように熱くなって、ただ顔を逸らすことしかできなかった。
(落ち着かないのは髪のせいだけじゃない/捏造も甚だしいなー)
き 【きりんさん】
「あーっ、かざはやだぁー!」
根宮の長い廊下の奥からツインテールに結ったストロベリーブロンドを揺らして少女が突進してくる。
「こんにちは、姫。お元気そうで何よりです」
風早は床に片膝をつき、転がり込んでくる姫の小さな身体を受け止めた。
「かざはやは、きょうもおしごと?」
「ええ、そうです。無事お役目を果たして、これから中つ国へ戻るところなんです」
「えーっ、あそんでくれないのー?」
「ははっ……すみません、姫」
むぅ、と頬を膨らませた小さな姫が、ふと小首を傾げた。
ぺたぺたと風早の腕やら肩やら頭やらに触れたと思ったら、ひょいと彼の後ろに回り込む。
彼が不思議に思っていると、背中にずしんと重みがかかった。姫が彼の背中に飛びついたのだ。
「ねーねーかざはや、おそらにいこ?」
「は、はい?」
「だって、きりんさんはおそらをとべるでしょ?」
さも当然のことのように言う姫に、風早はギクリとして言葉を失うほかなかったのである。
(ラクス姫にはそんな特殊能力がありそうな)
く 【暗闇】
八方塞がりだった。
まるで漆黒の闇の中で、見えない何かを必死に手繰り寄せようとしているような。
せめて彼女だけでも生き延びさせてやりたいと思っていたのに。
頑として首を縦には振らず、一緒にいたいと言う。
馬鹿としか言いようがない── 愛してやまないこの女は。
だが、そんな彼女がこの暗闇を打ち払う一筋の光明となる。
腕の中の温もりは、そう信じるには十分すぎた。
(共に在れば必ず道は拓ける)
け 【軽率】
世界が平和になれば、辛かった戦いの頃のことも思い出に変わっていく。
もちろん笑って話せることばかりではないけれど、戦いの狭間の日常には楽しいことも可笑しい失敗談もたくさんあったのだ。
「── でね、のんびり水に浸かってたら人が来ちゃって。慌てて隠れるところを探したけど、どこにもなくて。そしたら後ろから声をかけられたの。
『軽率だ』って怒られちゃった。それが忍人さんとの出会いだったんだ」
「……ほぅ」
今の今まで笑っていたはずのアシュヴィンの周りに不穏な空気が流れ始めた。
すぅっと寒くなった気がして、千尋は彼の顔を窺った。
「アシュヴィン?」
「── 見られたのか?」
「へ?」
「肌を」
「ま、まあ、背中くらいは……」
すっくと椅子から立ち上がった彼は、武器を収めた棚から最近は滅多に抜くことのなくなった愛用の剣を取り出し腰に佩(は)く。
と、彼はすたすたと部屋を横切り、テラスに出て黒麒麟を召喚した。
「ちょ、ちょっとアシュヴィンっ! どこ行く気っ !?」
千尋は慌てて駆け寄って、彼のマントをはっしと掴む。
「決まっているだろう? ── 忍人を斬る」
「なっ、何物騒なこと言ってるのっ!」
「ふん、俺に無断でお前の玉の肌を拝んだ罪、償ってもらわねばな」
「だめだめだめーっ! その頃の私たち、まだ夫婦じゃないしっ!」
無理矢理黒麒麟に乗ろうとするアシュヴィンにずるずる引きずられながら、彼にこの話をするのは軽率だった、と後悔しきり。
『忍人さん逃げてーっ!』と心の中で叫びつつ、掴んだマントを必死に握り締めた。
(独占欲丸出し)
こ 【恋人】
近隣の村への視察の帰り、ずっと賑やかにしゃべっていた千尋がふいに静かになった。
女の身で徒歩での道中はさすがに疲れたのかもしれない。
「大丈夫か? 辛ければ黒麒麟を呼ぶが?」
彼女は俯いたまま小さく首を横に振る。
「あ……あの、ね…」
「ん?」
「……手、つないでもいい?」
「はあ?」
「い、嫌ならいいのっ!」
ほんのり赤く染まった顔の前で両手をせわしなくパタパタと振っていたかと思えば再びしょんぼり項垂れて、ごめんなさい、と小さな声で呟いた。
「ほ、ほら、私たちって『好き』とか思う前に結婚しちゃったでしょ…?」
「俺は初めて出会った時からお前のことが好きだったぞ?」
面白いくらい見事に千尋の顔が真っ赤に茹で上がった。
「だっ、だからっ……こ、恋人同士の時期っていうのがなかったからっ」
皇族として生まれた彼は感情抜きでの結婚は当然のこととして育ってきた。惚れた女を妻にできたことは幸運なことなのだ。
だがもちろん、そうではない結婚があるのも知っている。
知り合って、お互い好きになって、思いを告げて、それから夫婦となる結婚。
彼女が言いたいのはそういうことなのだろう。
ほら、と手を出した。
「い、いいの…?」
「愛する我が妻のご所望には応えてやらねばな」
さらに顔を赤くしながら、ちょこんと手を乗せる。
指先をそっと握ると、千尋は嬉しそうにふわりと微笑んだ。
その瞬間こみ上げてきたのは狂おしいほどの激情ではなく、どことなく甘酸っぱいようなくすぐったいような不思議な感情だった。
「……こういうのも悪くない、か」
「え?」
「いや……なんでもない」
彼女を抱き締めたい衝動を必死に堪え、後ろから聞こえる臣下たちのくすくす笑う声を振り払うように、繋いだ手にほんの少し力を込めて歩き出した。
(愛し合ってる夫婦でも、たまには恋してみればいい)