■祭の夜

【ご来訪ありがとう2008 大リクエスト大会】
亜希さま からのリクエスト/アシュED後でお忍びデート

「── わぁっ、とっても賑やかっ!」
 無用な騒ぎにならないように少し離れた場所で黒麒麟を降り、楽しげな声が近づいてくるにつれ目の輝きを増す千尋は、 ついにたまりかねて村娘の衣装の裾を翻し、惜しみなく煌々と灯された明かりに浮かび上がる村に向けて駆け出した。
「……まるで子供だな」
 はしゃぐ千尋の後ろ姿に苦笑を浮かべるアシュヴィンもまた、村の若者風のいでたちだった。
 いつもマントで覆われているはずの背中がスースーして落ち着かないが、とりあえず妻を見失わないように後を追う。
 二人は豊葦原の北方に位置する、とある村の秋祭りに来ているのである。
 もちろん常世の国内でも季節柄いたるところで祭は行われているのだが、そこへ赴けば二人はあくまで皇と后妃。 ずっと皇子として育ってきたアシュヴィンはともかく、普通の女子高生を経験したことのある千尋にとって、そんな扱いでは祭を楽しむことができないだろう── そんなアシュヴィンからの提案により、顔を知られていない国外の村の祭にわざわざ変装までしてやってきたのである。

 村の広場に入ると、行商人たちが品物を広げていて、その賑わいはちょっとした市のようだった。
 奥のほうではいろいろな料理が振る舞われている。今年の豊作の感謝と、来年の実りの祈願だ。
 おいしそうな料理の数々に目を奪われていた千尋は、
「ね、これおいしそうだと思わない?」
 同意を得ようと隣を見るも、たった今までそこにいたはずの夫の姿はなく。
「……あれ?」
 ぐるりと周囲を見回してみれば、楽しげに行き交う人々の流れの向こうにその姿を見つけた。
「ねぇ、ア───」
 呼ぶ声はプツンと途切れ、開いていた口はぎゅっと閉じられた。
 千尋の視線の先には数人の若い女性に囲まれた、見慣れた長い三つ編みが揺れる背中があったのだ。
「……いやに熱心に『祭に行こう』って誘うと思ったら……自分が羽根を伸ばしたかったんじゃない…」
 本当に羽根を伸ばしたいなら妻を同伴するわけはないのだが、頭に血が昇ってしまった千尋にはそこへ考えが至らない。
 ふてくされたように唇を尖らせつつ、くるりと背を向け、忌々しい光景を視界から追い出した。
 そこから完全にヤケ食いモードに入ってしまった千尋は、勧められるままにあらゆるものを飲み食いするのだった。

 気がつけば、千尋は完全にアシュヴィンの姿を見失っていた。
 お腹は苦しいくらいにいっぱいだし、あまりの人出の多さに酔ってしまったのか少し気分が悪い。
 酔ったのは人出にだけではない。
 『一夜酒』と言って出されたものは出雲郷で出された冷たい甘酒ではなくにごり酒に近いものだったらしく、アルコールは彼女の思考能力と運動能力に影響を及ぼしていた。
 ヤケ食いなんてするんじゃなかった、と後悔しながらあまり人のいない静かな場所を探す。
 彼を探す前に座って少し休もうと思ったのだ。
「……アシュヴィン…」
 自分が弱っている時にはいつも支えてくれる存在の名を口に出してみると、ますます心細くなってきた。
 だが、同時にヤケ食いの原因となった光景── 彼の後ろ姿が脳裡に蘇ってくる。
「……どうせ女の子に囲まれて、鼻の下を長〜く伸ばしてたに違いないわ」
 再び湧き起こってくる怒りに、フン、と鼻息も荒く顎を上げる。
 と、頭を振ったのが悪かったのか、ぐるんと揺らぐ視界によろめいた。
 ── 酔っ払って倒れるなんて、アシュヴィンに笑われちゃう……ううん、怒られちゃうかな?
 そんなことを考えているうち、強い力で肩を掴まれた。
「── 大丈夫?」
「え…?」
 目の前に男が二人、そしてもう一人に肩を抱くようにして支えられていた。
 おそらく村の若者たちだろう。祭の高揚感にアルコールが加わり、下心丸出しの笑みを浮かべている。
 千尋はゾクリと背中を走る嫌悪感に身体をすくませた。酔っていなければ振り切って逃げ出せるのに。
「もしかして酔っ払っちゃった? よかったら、向こうで休む?」
「あ…いえ、大丈夫ですから…」
「そんなこと言って、足ふらふらだよ?」
「ほ、本当に大丈夫ですっ、連れもいますし」
「えーっ、君、さっきからずっと一人だったじゃない」
「それは……」
 徐々に迫ってくる男たち。酒臭い息が気持ち悪い。
 と、肩にずっしりと圧し掛かっていた男の腕がすっと消えた。
 代わりに後ろから別の腕が伸びてきて、ほんわりと背中が温かくなる。
「……何をやってるんだ、お前は」
「あ……」
 耳元で囁かれた柔らかな声に思わず泣きそうになって、千尋は胸元で交差された腕にきゅっとしがみついた。
「な、なんだてめぇっ!」
 獲物を横取りされたとばかりに憤る男たち。
 だがアシュヴィンはニヤリと不敵な笑みを口元に浮かべ、
「我が妻が迷惑をかけたようですまなかったな」
「は……つ、妻…?」
 男たちは急に千尋への興味を失ったらしく、ちっ、と大きな舌打ちを鳴らしてあっさり散っていった。
 おそらく別の獲物を探しに行ったのだろう。
 アシュヴィンは、はぁ、と大きな溜息を吐き、
「── まったく…お前のような美しい郎女が酒に頬を染めて、ひとりふらふら歩いていれば、あんなろくでもない輩に目をつけられることくらいわからんわけでもあるまい?」
「──っ! ……アシュヴィンだって、綺麗な女の人たちと楽しそうにしてたじゃないっ!」
 苛立ちを含んだ彼の声に千尋は声を荒げた。身の危険を救われての苦言に逆ギレ、である。
 アシュヴィンは呆れたような溜息を漏らし、千尋を抱き締める腕を外した。
 彼の怒りを買ってしまったと感じた千尋は、次に来るであろう怒声にぎゅっと目を瞑って身構える。
 だが、やって来たのは胸元に何かが落ちる小さな衝撃だった。
 ゆっくり目を開けると、そこにあったのは首にかけられた丈夫そうな革の紐の先で揺れるコーラルピンクの可愛らしい勾玉だった。
「……これは…?」
「行商の娘たちが、何か買え、としつこくてな」
 そっと手に取ってみると勾玉は熱を発しているかのように温かかった。
 きっと彼は、自分を探しながらずっとこの勾玉を握り締めていたのだろう。
 そう思った瞬間、千尋はくるりと身体の向きを変えて、アシュヴィンの胸に顔を埋めていた。
「……ごめんなさいっ」
 ただそれだけしか言えなかったけれど。あらぬ疑いをかけてしまったことも、酔っ払って男にからまれる羽目になったことも、ひっくるめての謝罪の言葉。
 背中を優しく撫でられていると、さっきまで悪かった気分がすぅっと楽になっていくようだった。
「── さて、そろそろ帰るか」
「うん……」
 アシュヴィンは千尋の背中に回していた手で彼女の手を取り歩き始めた。
「あ……」
「どうした?」
 数歩歩いてから千尋が上げた小さな声に、アシュヴィンが不思議そうに訊いてくる。
「ううん……私たち、こうして手を繋いで歩いたことってなかったな、と思って」
「そういえばそうだな」
 共に戦う戦友から政略結婚で偽りの夫婦となり、その後本物の夫婦になったものの、恋人としての時間を過ごしたことのない彼ら。
 手を繋ぐ、という初歩的な愛情表現がやけにくすぐったい。
「……今度またお祭りに来ることがあったら、こうしていようね」
「そうだな、そうすればお前が妙な誤解をしてヤケ食いすることも、男に絡まれることもないな」
「もうっ! それはさっき謝ったでしょっ!」
 そしていつもの調子に戻った二人は賑やかな祭の声を背後に聞きながら、黒麒麟を呼び出せる村外れまでお互いの手の温もりを感じながらゆっくりと歩いていった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 ようやくリクエストのラストでございますっ!
 行き先をどこにしようかと迷った挙句、ゲーム中には出てこない場所に。
 高千穂はちょっと遠いし、多数の人死にが出た出雲へは鎮魂のためならともかく
 遊びではまだ足が向かないだろうと。
 熊野、橿原辺りじゃ顔バレする可能性が高いだろうし。
 超ありがち展開になってしまいましたが、あたしの力ではこれが限界でし(汗)
 亜希さま、リクエストありがとうございました。

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【2009/01/26 up】