■True marriage

【ご来訪ありがとう2008 大リクエスト大会】
桜さま からのリクエスト/ED結婚式前の不安な千尋

 黒龍との激しい戦いから一夜明けて。
 根宮の門前は戦勝に沸く中つ国の兵たちの活気に溢れていた。
 長かった戦はやっと終わり、帰途に就けることが嬉しいのである。
「── 豊葦原にいる常世の兵にはゆうべのうちに帰還命令を出してある。直接橿原へ向かうなら、畝傍山への道を案内させるが?」
「いえ、兵の大部分は熊野の者ですから、来た時と同じ風伝峠へお願いします」
「それもそうだな」
 風早の返答に応え、アシュヴィンは傍に控えていた武官へ頷いてみせる。
「承知いたしました。それでは参りましょう」
 そんなやりとりを、千尋は複雑な気持ちで眺めていた。
 見送られる兵の一団に対して、見送るのはアシュヴィンと千尋の二人のみ。 常世の国の者たちは、戦いの場になってしまった根宮の片付けや補修、皇の葬儀の準備に走り回っている。
 この国は既に復興への第一歩を踏み出しているのだ。
 もちろん千尋はその復興に力を尽くしたいと思っている。
 だが、湧き上がってくるのは、戦が終わった今、この国に自分の存在価値はあるのだろうか、という疑問。
 アシュヴィンはよく千尋のことを『俺の妃』だの『俺の奥方』だのと呼んでいたが、戦の終結と共にその役目は終わったのかもしれない。
 元々が戦に勝つための政略結婚、彼の中では『妃』=『戦友』という意識だったとしたら──
 千尋はもしかすると自分も見送られる側になってしまうのではないかと不安になっていたのだ。
「── どうした?」
「……え?」
 かけられた声にはっと我に返る。
 隣を見上げると、口元に笑みを湛えたアシュヴィンの顔。
 すっと腰に手を回され、引き寄せられた。
「そんな顔をするなよ。名残惜しいだろうが、笑顔で見送ってやれ」
 アシュヴィンの笑みが深くなる。
「そうですよ千尋、会えなくなるわけじゃないんですから。俺たちも時間を作って千尋の顔を見に来ますし、千尋も国の復興が一段落したらいつでも遊びに来てください」
 苦笑交じりの風早へ、こくん、と頷いて、必死に微笑んで。
「みんなも……元気でね」
 隊列を組んで比良坂へ向かっていく仲間たちへ手を振り見送って。
 重い門が閉められると、さっきまでの賑わいが嘘のように静かになった。
「── やらねばならんことは山とある。寂しいのはわかるが、泣いている暇はないぞ?」
 頬を拭われて初めて、千尋は自分が涙を流していることに気が付いた。
 腰に回された彼の腕に力が込められ、さっきよりももっと強く引き寄せられ抱き込まれた。
 ずっと共に戦ってきた仲間たちとの別れは確かに寂しい。
 けれど、それよりもここにいられることの喜びが勝っていることを、心の中で詫びながら。
 自分を包むアシュヴィンの腕の中、千尋は彼の胸に額を擦り寄せ、そっと安堵の息を吐いた。

 それから一週間。
 彼が『泣いている暇はない』と言っていた通り、仕事に追われる日々はあっという間に過ぎていった。
 そんな中、千尋は別の不安に苛まれていた── アシュヴィンの『心』が見えないのだ。
 抱き締められることも、口付けされることもある。
 彼の腕の中で朝を迎えたこともないわけではない。
 だが、肝心の彼の気持ちがわからなかった。
 なぜなら、彼が自分のことをどう思っているのか、はっきりと言葉として耳にしたことがないのである。
 もちろん嫌われているわけではない、とは思う。気に入らないのならば見向きすらもされないだろう。
 それでも彼の妃だと胸を張っていられる自信は日々揺らいでいく。
 やっと一日の仕事を終えてふらふらになりながら部屋に戻ると、そこには千尋付きの女官が待ち構えていた。やけに楽しそうに近づいてきて、
「お疲れのところ申し訳ございませんが、しばしお時間をいただけますか?」
「え……いいけど……何かしら?」
「そのまま立っていていただければよろしいですわ」
「うん……わかった」
 ぼんやりとしたまま答え、千尋は再び思考の海へ潜る。
 そこでふと気がついた── よく考えてみれば、はっきりと気持ちを伝えていないのは自分も同じ。
 紐のようなものを身体に当てられたり、巻きつけられたり。
 女官のなすがままになりながら、千尋はある決心に拳をぎゅっと握り締めた。

 機会を窺いながら数日が経ち。
 蜀台に灯された頼りない炎の薄明かりの中、千尋は寝台の上で膝を抱え、真夜中を過ぎても部屋に戻ってこないアシュヴィンを待っていた。
 きぃ……
 扉の蝶番が微かな軋みを上げる。
 千尋は寝台を飛び降り、裸足のまま駆け出して。
「アシュヴィン!」
 名を呼んで、驚いて目を丸くしている彼の胸に勢いよく飛び込んだ。
「……まだ休んでなかったのか」
 そっと抱き締め、いたわるように頭を撫でてくれる彼の胸から直接身体に響いてくる柔らかな声。
 そのまま身を委ねたくなるのをぐっと堪え、千尋は顔を上げた。
「私……」
「ん?」
 首を少し傾げ、千尋の次の言葉を待っているアシュヴィン。
 千尋はしぼみそうになる気持ちを奮い立たせ、彼の目をひたと見つめる。
「私はアシュヴィンが好き── あなたは? あなたは私のことをどう思ってるの?」
「── っ !?」
 心底驚いたように目を見開いた後、アシュヴィンはすっと目を細め、たまりかねたように吹き出した。
「今さらそんなことを考えていたのか?」
「『そんなこと』ですってっ!? 大事なことでしょう !?」
 千尋は可笑しそうにくっくっと笑っているアシュヴィンを睨み上げる。
 と、ふっと彼の口元が歪んだ。
 頭の後ろに添えられたままだった手が、千尋の顔をぐいっと彼の胸に押し付けた。
 息苦しさにもがく身体は押さえ込まれ、骨がぎちぎちと軋むほど強く抱きすくめられる。
 上の方で深く息を吐く音が聞こえた。
 頭の天辺に柔らかいものが押し付けられた── たぶん、彼の頬だ。
「…………よかった」
「え…?」
「そのうちお前が『中つ国へ帰りたい』と言い出すんじゃないかと……気が気じゃなかった」
「そ、そんなこと…っ!」
「そうか? それにしてはずっと憂い顔だったようだが?」
「だってっ! ……アシュヴィン、何にも言ってくれないんだもの……不安になるわ」
 ふ、とアシュヴィンが苦笑を漏らす。
「俺の気持ちなど、言の葉になどせずとも伝わっているものだと思っていた」
「── っ !?」
 抗議しようと身じろぎするも、ぐっとさらに強く抱きこまれ。
「だが、口に出さねば伝わらないこともあるんだな── 不安にさせて悪かった……ごめん」
 素直に謝られ、逆に千尋の方が罪悪感を感じ始めた。
 わたわたと慌てながら、
「で、でも、私もちゃんと言ってなかったし、アシュヴィンのこと不安にさせてた……ごめんなさい」
 語尾が小さくなっていくのと同時に、千尋も彼の胸元を握り締めたまましょんぼりと小さくなっていく。
 その様子にアシュヴィンは可笑しそうにくつくつと笑い、少し腕の力を緩めて彼女の顔を覗き込んだ。
「今回のことはお互い様ということで手を打とうぜ?」
「うん……」
 不意にアシュヴィンの顔から笑みは消え、真面目な眼差しに変わる。
 いつも自信たっぷりな彼にしては、僅かに緊張しているようにも見えた。
「そこでひとつ提案がある── いや、決定事項だな」
「何……?」
 きょとんとして目をぱちくりさせている千尋に、アシュヴィンはニヤリと笑い、
「三日後── もう一度結婚式をやらないか」
「えっ !? でも、結婚式はもう──」
「あれは戦力を集めるための見世物、お前の意に沿うものでもなかっただろう? ……俺は存外楽しんだがな」
 アシュヴィンが口元に浮かべた意味ありげな笑みに、ぽんっ、と弾けるように真っ赤に染まる千尋。
「そろそろ衣装も縫い上がる頃合いなんだが……ふむ、少し急かすか」
「い、衣装 !?」
「数日前、女官が採寸に行っただろう? お前のことだから、てっきり女官から何のための採寸かを聞き出したと思っていたが── まったく……お前を驚かせようと秘密裏に事を進めたお陰でこのザマだ
「え…?」
 聞き取れなくて小首を傾げた千尋にアシュヴィンは苦笑して。
「最後の戦いに臨む前から決めていたんだ。全てが終わったら、二人きりで結婚式をやり直そう、とな」
 ゆっくりと近づいてくる彼の顔。
 そして唇を塞がれながらのふわふわする頭の片隅で『なんだかごまかされたような気がするな』と思っていたのだが──

 三日後、純白のウェディングドレスに身を包んだ千尋は甘い愛の囁きを連発され、あまりの照れ臭さに激しい眩暈に襲われる羽目に陥ることになる。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 さて、最終戦とエンディングの狭間の妄想でございます。
 抱き締め魔降臨(笑)
 どうもあたしの中で、アシュは暇さえあれば千尋を抱き締めてて、
 彼女の頭に頬をすりすりしてるイメージがありまして(汗)
 あーもうこいつら、ずっといちゃついてればいいよ(笑)
 桜さま、リクエストありがとうございました。

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【2009/01/19 up】