■波乱の逢瀬
【ご来訪ありがとう2008 大リクエスト大会】
あきらさま からのリクエスト/千尋にライバル登場
畝傍山での妻問いから数ヶ月。
その日、千尋はあの忌まわしい禍日神との戦い以来初めて根宮を訪れていた。
もちろん、婚約中であるアシュヴィンとのひとときを過ごすためである。
かといって久しぶりに会うのか、と言えばそうでもなく。
機動性の高い移動手段を有するアシュヴィンが『国は大丈夫なのか?』と心配になるほど頻繁に橿原を訪れているのだが、
そこはやはり互いに国を率いる立場、共に過ごす時間は限られている。
そんな状況に不満を感じたのか── もちろん千尋も不満がないわけではなかったが── 『しばらく休暇を取って常世へ来い』と熱心に、半ば強引に誘うアシュヴィン。
という訳で、千尋は仕事を詰めに詰めてようやく数日間の休暇をもぎ取り、今日に至ったのである。
「── あっ、アシュ! もうっ、どこ行ってたのよっ!」
門で出迎えてくれたリブを加え、アシュヴィンの私室へ向かう三人が歩く廊下に大きな声が響き渡った。
と、奥の一室から少し癖のある栗色の豊かな髪を頭の高い位置でポニーテールにした美しい女性が飛び出してきて、いきなりアシュヴィンに抱きついたのである。
「なんだ来ていたのか、ラートリー」
「やぁね、その言い方。あなたと私の仲なのに♥」
うふっ、と笑うラートリーと呼ばれた女性。歳は千尋より少し上、といったところか。
色白でスレンダーな千尋とは対照的な、常世の人間の特徴である小麦色の肌にメリハリのあるグラマラスな体型。うっかり見とれてしまいそうなほどの美女である。
「悪いが今日はお前の相手をしている暇はないんだがな」
「あら、いいの?」
ラートリーはアシュヴィンの肩に凭れかかって背伸びしながら、片手で口元を隠しつつ彼の耳に何かを囁いた。
「── そうか」
ふ、と笑みを浮かべるアシュヴィン。
「千尋、部屋で待っていろ。リブ、俺が戻るまで千尋をもてなしてやってくれ」
「かしこまりました」
「じゃあ行きましょ♪」
やけに嬉しそうなアシュヴィンの腕に、ラートリーが豊満な胸を押し付けるようにして腕を絡ませ引っ張っていく。
ちらりと千尋の方を振り返った彼女の毒々しいほどの赤い唇に浮かんでいたのはゾクリとするような妖艶な笑み。
そして『こちらが陛下のお部屋です』とリブに通されたのは、紛れもなくさっき彼女が出てきた部屋。
完全なる敗北感に打ちひしがれる千尋の耳には、しきりと何かをしゃべっているリブの声は全く届くことはなかった。
気がつけば、千尋は広い部屋にぽつんと一人きりだった。
そういえば、リブがお茶を淹れてくると言って部屋を出て行ったような気がする。
我に返って最初にこみ上げてきたのは疑問だった。
── どうして私はここにいるのだろう?
親しげな様子の二人が脳裡に蘇ってくる。
凛々しくて整った顔立ちのアシュヴィンと、美しくナイスバディなラートリー。
並び立つ姿はまさしくお似合いの美男美女。
── あんな人がいるのに、どうして私に妻問いなんてしたのかしら…?
『常世の国の皇アシュヴィン、中つ国の女王豊葦原の千尋姫に妻問い申し上げる』
畝傍山で聞いた、彼からのプロポーズの言葉である。
── もしかしてあれは、アシュヴィンから私へ、ではなくて、常世の国の皇から中つ国の女王へ、ということ?
彼が皇で、私が女王だから? ……それじゃまるで政略結婚じゃない!
怒りと悲しみがない交ぜになった感情はついに爆発し、千尋は部屋を飛び出したのだった。
緑豊かな草原の中の一本道をただひたすらに歩く。
以前仲間たちと共に戦いに臨んで歩いた時は、一面枯れ果てた荒野だった。
ずいぶん風景は違うけれど、一本しかない道は間違いようがない。
根宮の門衛には、門の外で待っている仲間に用があるの、と嘘をついた。
ついさっき皇と共にやってきた中つ国の女王が悲痛な顔で姿を現したことに門衛は怪訝な表情をしていたが、彼女の言葉を疑うわけにもいかず、あっさり通してくれた。
申し訳なさを振り切るように、千尋はほとんど駆け足に近い速さで歩き続けていた。
そんな彼女の行く手を阻むように、黒い影がふわりと舞い降りた。
「── どこへ行くつもりだ?」
黒麒麟に騎乗したままのアシュヴィン。無表情だがその声は完全に怒っている。
千尋は零れそうになる涙を必死に堪え、ぎ、と奥歯を噛み締めた。
「……そこをどいて……私は橿原へ帰る」
「なぜだ?」
「……なぜ、ですって? それは自分の胸に手を当てて聞いてみればわかることだわ」
「そんなことをせずとも、一向に心当たりがないんだが」
アシュヴィンはひらりと麒麟の背から降り、ゆっくりと近づいてくる。
千尋はじりじりと後ろへ下がるしかなかった。
「こ、来ないでっ! 私のことなんて放っといて、さっきの人と仲良くしてればいいでしょ!」
言葉が溢れると同時に涙腺が決壊、ぽろぽろと涙が零れ出した。
慌てたアシュヴィンが千尋の腕を掴み、千尋はそれを振り払うため必死に腕を振り回す。
「何を訳のわからんことを──」
「訳わかんないのはそっちじゃない! 放して、放してってばっ!」
アシュヴィンは暴れまくる千尋をぐいっと引き寄せ、すかさずきつく抱き締めた。
逃れるべくもがいても、彼は腕の力を弱めることはない。
「まさかラートリーのことを言っているんじゃないだろうな」
「そうよ! あの人がいるのにどうして私に妻問いなんかしたの !?」
「千尋……」
「妻問いされて嬉しかったのに…すごく嬉しかったのに……これ以上私を翻弄しないでっ!」
千尋の悲痛な叫び。
けれどそれすらも愛おしいとでも言いたげに、彼女を包むアシュヴィン腕の力は強くなり。
「馬鹿か、お前は─── 翻弄されっ放しなのは俺の方だというのに」
「……え…?」
ようやくおとなしくなった千尋の頭に頬を擦り寄せ、
「── あれは俺の母方の従妹だ」
「へ? い、いとこ…?」
「ああ、遅くに生まれた末っ子で甘やかされて育ったせいか目に余る我侭でな、歳の離れた兄姉よりも歳の近い俺に懐いて、幼い頃からずっとあの調子だ──
リブがそう説明したと言っていたんだが」
部屋に通された時にリブがなにやらしゃべっていたのは、その説明だったようである。
「ご…ごめん、聞いてなかった……」
「まったくお前は……根宮へ戻るぞ」
最後にもう一度強く彼女を抱き締めてから解放し、黒麒麟の背に乗せてやる。
「── ラートリーに俺の肖像画を描かせたんだ。あれはシャニとは違って絵心があってな、完成したのを今日持ってきてくれた」
「肖像…画?」
アシュヴィンは彼女の背を包むようにして黒麒麟に跨る。麒麟はふわりと空へと舞い上がった。
「── 俺たちはまだしばらくは離れ離れのままでいなければならないだろう?」
「……そう…ね…」
「だから、その絵をお前に託す。離れている間の慰み、というわけだ」
「私に、あなたの絵を…?」
「ああ……代わりにお前がここにいる間にラートリーにお前の絵を描かせたい。ここでお前に帰られては、せっかくの計画が水の泡だ」
くつくつと笑うアシュヴィン。
耳にかかる笑い声にくすぐったそうに首をすくめ、真っ赤になって俯いた千尋が小さく頷いた。
【おまけ】
「本当にお前という奴は俺を翻弄してくれる── 俺を追いかけさせ、弁解までさせた女はお前が初めてだ」
笑いながら言うアシュヴィンの言葉に、千尋がぴくりと反応した。
「……『初めて』…?」
「ああ、そうだ」
「……じゃあ、『弁解しない女』はこれまでにいたわけね?」
「え? いや、それは……」
「── 降ろして! 私、帰る! 中つ国に帰るーっ!」
「うわっ、暴れるなっ! 落ちるだろっ!」
黒麒麟の背中で暴れ始めた千尋をなだめるのに一苦労するアシュヴィンであった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
大団円後、です。
本当のライバル出現だと千尋さんが不憫なので、早とちり、ということにしました。
まあ、いとこ同士は婚姻可能ではありますが。
え、おまけは余計でした?
いやまあ、なんかオチが欲しいなー、なんて(汗)
ちなみに『ラートリー』はインド神話の夜の女神の名前です。
こんな感じでいかがでしょうか?
あきらさま、リクエストありがとうございました。
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【2009/01/09 up】