■ふぉ〜りんらぶ番外編 【18:お父さんは心配性?】

※愛蔵版おまけの多少のネタバレがあります。

 根宮は新年を祝う宮廷舞踏会の準備で慌ただしさを増していた。
 毎年華々しく行われていた舞踏会。 齢十五を迎えた皇子の社交界デビューの場を兼ねた行事であり、ある日現れた禍日神の放つ陰の気により常世の国が荒廃してからは久しく途絶えていたのだが──
「ねえ兄様、舞踏会やらないの?  僕もうとっくに15歳過ぎちゃったんだけど」
 根宮の書庫で昔の記録を見つけた弟に詰め寄られ、国力が随分回復した今なら再開してもいい頃合いか、と皇・アシュヴィンの一声により舞踏会開催が決定したのである。
 国内の貴族、周辺国の要人── もちろん中つ国にも── への招待状も送り終え、舞踏会のための新しい衣装もまもなく出来上がる。 妻と娘の衣装は淡い蒼の同じ生地を使ったお揃いのもの。 どんなに美しく、どんなに愛らしいだろう── かけがえのない愛する二人の晴れ姿を想像してアシュヴィンはほくそ笑む。
 兄に15に満たない娘の年齢を指摘されたが、『姫だからいいんだよ』と一蹴した。 舞踏会は15歳になった『皇子』のお披露目の場であり、それまでは会場に足を踏み入れることすら許されなかった。 だが『姫』なら構わない、というのはもちろんアシュヴィンのマイルール。
 はて、将来皇子誕生の暁にはどうしよう?
 その時は『いつまでも古い慣習を引きずる必要はない』と宣言するつもりだ。 宴を楽しむのに年齢制限があるなんて馬鹿馬鹿しい。
 久々の大きな行事に向け慌ただしくも華やいだ空気の漂う根宮だったが、アシュヴィンにはひとつ心配事があった。 ここのところ、最愛の妻・千尋の体調が思わしくなかったのである。

 夜遅く、執務を終えたアシュヴィンが自室に戻ると、扉の前に蹲る小さな姿があった。
「……ラクス?」
 膝を抱えたままうとうとしていたのか愛娘ははっと眠そうな顔を上げ、とぉさま、と泣きそうな声を出した。
「どうした、お前はもう寝る時間だろう?  母様の言うことを聞かずに叱られでもしたのか?」
 アシュヴィンはくつくつと笑いながら小さな身体を抱き上げる。
 ぐしぐしと目をこすったラクシュミは、勢いよく首を横に振った。
「あのね、かぁさま、おねんねしてるの。 だからおこしちゃだめよってとぉさまにおしえてあげようとおもって、ここでまってたの」
「そうか……」
 幼いながらも辛そうな母のことを気遣い、胸を痛めているのだろう。 今にも泣きそうに歪んだ顔をそっと撫でてやり、少しでも不安が軽くなればとぎゅっと抱き締めてやる。
「そう心配するな。 すぐに元気になるさ」
「うん……」

 ラクシュミを抱えたまま、物音を立てないようにそっと部屋に滑り込む。
 千尋は長椅子にぐったりと身体を沈め、静かに目を閉じている。 微かに眉間に寄った皺が、彼女の眠りがただのうたた寝ではないことを現わしていた。
 アシュヴィンは娘を床に下ろし、代わりに妻の身体をそっと抱え上げた。
 やけに軽い。 最近食欲も落ちているようだから少し痩せたのだろう── 元々細いというのに。 我知らず溜息が漏れた。
「ん……」
 千尋のまぶたがゆっくりと持ち上げられた。
「休むなら寝台で休め」
「あ……ごめんなさい……」
「言っただろう?  今のお前の仕事は体調を回復させることだ、とな」
 子育てと公務で休む暇のない妻。 今朝も仕事を始めようとした彼女に自室での養生を命じたのだ。 素直に寝ていればいいものを、生真面目な彼女は休むことを良しとしなかったらしい。
「ごめんなさい……あ」
 寝台に下ろしてやると、千尋は夫の足にしがみつき心配そうな視線を送ってくる娘の姿に気が付いた。
「ごめんね、ラクス。 もう寝る時間ね。 お部屋に戻りましょうか」
 小さな姫はぶんぶんと首を横に振ると、父の足から離れて寝台に飛び乗り母に抱きついた。
「やだ、きょうもかぁさまといっしょがいい!」
 半年ほど前から専用の部屋── いわゆる子供部屋を与えられ、そこで寝起きしていたラクシュミだったが、千尋が体調を崩してからは母のそばを片時も離れようとしなかったのだ。
「……そうね、じゃあ一緒に休みましょう」
 寝台に身を横たえた母の隣に潜り込む小さな姫。
 二人がすぐに小さな寝息を立て始めたのを確認したアシュヴィンの口から小さな溜息を漏れた。
「まったく……エイカは何をしているんだ」
 皇族の主治医として彼女を診察し、何かしらの処置をしているだろうに効果を見せることのできない土蜘蛛に向かってひとしきり毒づくと、自分も休むための身支度をするべく静かにその場を離れた。

*  *  *  *  *

 舞踏会当日。
 千尋の体調はほとんど回復を見せることなく、この日を迎えてしまっていた。
「ほぅ……やはり想像通り、美しいな」
「もう、アシュヴィンったら……」
 結婚して随分経つというのに、千尋はアシュヴィンからの手放しの賛辞に頬をほんのりと赤く染めた。
 それでもまだ血色がいいとは言えない青白い顔。 少し痩せたせいか幾分シャープになった顔つきに、アイスブルーのドレスが本当によく似合っていた。 さしずめ『氷の女神』といったところか。 だが水面に張った薄氷のような儚さが垣間見えて、アシュヴィンは危険を前にした緊張のようなものを感じていた。
「── お手をどうぞ、奥方殿」
 気を取り直し、普段通りを装った笑みで慇懃に手を差し伸べる。 そっと乗せられた細い指をぎゅっと強く握り締めた。
「ラクスもー!  とぉさま、ラクスもー!」
 ぴょんぴょんと飛び跳ねて自己主張する娘の愛らしさに、夫婦顔を見合わせ、くすりと笑みを交わし。
「わかったわかった── お手をどうぞ、姫君」
 母の真似をして手のひらに乗せてきた小さな手を握る。
「では、行くか」
 『両手に花』でアシュヴィンは舞踏会会場である大広間へと向かった。

 堅苦しい挨拶が終われば、後はほとんど無礼講のようなものだった。
 楽団の奏でる舞曲の流れる中、身分の上下に関わらず相手を変えつつ踊りに興じている。
 男性の手に支えられてドレスの裾を翻しくるくると楽しげに回る女性の姿があちらこちらで見受けられるが、アシュヴィンはパートナーである千尋にそんなことはさせなかった。 目を回して倒れられては大変だ。 寄り添い、たゆたうように静かに音楽に身を委ねる。
「── 懐かしいな」
「え?」
「俺が舞踏会に初めて出たのは15になった年だった。 あの頃の舞踏会に小さな子供の姿などなかったがな」
 クスッと笑みを漏らすアシュヴィン。 彼の向けた視線の先には大勢の招待客に遊んでもらい、きゃっきゃとはしゃいでいる小さな姫の姿があった。
 その姿を遮るように、若い男女の組が楽しそうに踊りながら前を横切っていく。
「ねえ……アシュヴィンもああして女の人と踊ったの?」
 見上げてくる千尋の目が不安そうに揺れていた。
「やきもちか?  踊ったことはない、とは言えないな」
「そう……」
 ふわり、と千尋の身体が揺れて、ぽてんとアシュヴィンの胸に倒れ込んできた。 独占欲を体現するような行動に、アシュヴィンの口元が知らず緩む。
「なにせお前と出会う前のことだ、そう拗ねるなよ」
 ── 拗ねてなんかないわ!
 そんな答えが返ってくるだろうと思った。 だが千尋は答えることなく胸に寄りかかったまま。 足元を見れば、音楽に合わせて僅かながら動かしていた足もすっかり動きを止めていた。
「千尋?」
 顔を覗き込むと、辛そうに目を閉じた彼女の顔は今朝よりももっと蒼白になっていた。
 会場のどこかで控えているはずの后妃付きの女官の姿を目で探す。 女官が二人、既に千尋の異変に気付いてすぐ傍まで近づいてきていた。 一人には後を任せると兄に伝えるよう指示し、もう一人には千尋がすぐに休めるように先に自室へ向かわせた。 周囲の者に気取られないよう、短い会話は三人とも微笑みを浮かべながら。 后妃が体調を崩していると招待客に知られれば、せっかくの楽しい宴の興が冷めてしまいかねない。
「── 千尋、歩けるか?」
「……ええ」
 舞踏会の主催者であり、それでなくても目立つ二人がこっそりと抜け出すのは難しい。
 アシュヴィンは千尋の腰に腕を回し、耳元で何かを囁くように顔を寄せながらゆっくりと静かに大広間を出た。 力の入らない千尋の身体を支え、少しでも彼女の蒼白な顔を他者の目から遮断するように。 傍目からは『普段多忙を極める皇ご夫妻が、束の間の休息を睦まじく過ごすべく舞踏会を抜け出した』ように見えたことだろう。

 広間を出るとアシュヴィンは千尋の軽い身体を抱え上げ、急いで自室へと戻った。
 部屋の前に佇む人影── エイカが近づくアシュヴィンの姿を認めて扉を開けてくれる。
 中に入ると、土蜘蛛がもう一人いた。 軽装のエイカと違い、『棺』と呼ばれる暗い色の衣ですっぽりと全身を覆っている。
 ── まさか、土蜘蛛二人がかりでないと治せない病なのか……?
 杭を打ち込まれたような鋭い痛みがアシュヴィンの胸を襲う。
「── では、陛下はあちらへ」
 寝台に千尋を下ろしたアシュヴィンに、エイカが告げる。 ぴくん、とアシュヴィンの眉が不服そうに跳ね上がった。
「俺たちは夫婦だ。 ここにいようが、別に不都合はあるまい?」
「いえ、ございます。 どうぞ、あちらでしばしお待ちくださいますよう」
 神秘的な美しさを持つ顔に微笑みを浮かべ、エイカが扉の方向を指し示す。
 アシュヴィンがしぶしぶ廊下へ出ると、何故かエイカも後をついてきた。
「……どうしてお前まで?」
「私の専門外ですので、陛下とご一緒させていただきます」
 アシュヴィンは壁に凭れて苛立たしげに腕を組み、苦虫を噛み潰したような顔で、ふん、と鼻を鳴らした。

 それからしばし。
 ぎ、と軋みを上げて扉が開き、棺を纏った土蜘蛛が姿を現した。 顔をすっぽり覆う衣の下で、小さく頷いたのがわかる。
「お待たせいたしました、陛下。 では中に戻りましょう」
 エイカに促され、部屋の中に入る。
 と、寝台の端にちょこんと座っていた千尋がぱっと立ち上がった。 相変わらず青白い顔ではあったが、頬の辺りだけにほんのりと朱が差している。 急に立ち上がったのがいけなかったのか、少しよろめいた彼女にアシュヴィンは慌てて駆け寄り、身体を支えてやった。
「無理はするな」
「ご、ごめんなさい…………あの……その……」
 深く俯いてしまった千尋の姿に、どうしようもない胸騒ぎを感じる。
「……どうした?」
 声が震えてしまわないように、腹に力を入れて訊ねた。
「えと……ふ……二人目が……できました
「………………は?」
「だから──」
 千尋は腰を支えていたアシュヴィンの手を引っ張ると、彼の手のひらを自分の下腹あたりにそっと押しつける。 すると傍に控えていた土蜘蛛が棺の頭巾を取り去った。
「── この度はおめでとうございます、陛下」
「お前は……」
 見えたにこやかな顔は見知ったもの。 ラクシュミ姫懐妊から出産後まで千尋の世話をしてくれたシズルという名の土蜘蛛だったのである。
 アシュヴィンは深い溜息を吐いた。 もちろん、安堵と喜びのあまり漏れた吐息だ。 どうして気づかなかったのだろう── 当時記憶を失っていたとはいえ、同じようなことがあったというのに。 そう、千尋の不調は決して病などではなかったのだ。
 腹に当てた手はそのままに、千尋の肩を抱き寄せる。
「馬鹿……そういうことは早く言えよ」
「ごめんなさい、まだ確証が持てなくて……それに」
「ん?  それに、何だ?」
……ラクスの子供部屋を作った途端、って言われると思ったら恥ずかしくて……
 胸元に顔を埋める千尋の耳が真っ赤に染まっている。
「妙なことを気にするものだな。 俺は最初からそのつもりでラクスの部屋を作らせたんだが」
「えっ………」
 ぽかんとした顔で見上げてくる千尋。 ぱちぱちと瞬きを繰り返している。 そういえば言ってなかったな、とアシュヴィンは笑った。 再びぼふっと胸に顔を埋めてきて、アシュヴィンの馬鹿っ!と恥ずかしそうに叫んだ千尋を小さな命ごと抱き締める。 こんな驚きの報告なら何度でも大歓迎だ。 あの時記憶を失っていたのが本当に悔やまれる。
 二人の土蜘蛛はいつの間にか姿を消していた。

 そして『后妃ご懐妊』の報せを受けた舞踏会は大いに盛り上がり、一晩中賑やかな宴が続けられることとなったのである。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 久し振りのアシュ千をお届けいたしますっ!
 新年だからおめでたい話を……と思ったら、こんなのができました(汗)
 最初は身内の新年会設定だったのが、ムドガラのおまけ見たら滾っちゃって。
 いやぁ、遙かでコルダBGMを聞く日が来ようとは。

【2011/01/07 up】