■ふぉ〜りんらぶ番外編 【16:To You】

 常世の国が、いやこの世界が禍日神の脅威から解放されてから、まもなく五年。
 それを記念して各国合同で大きな祭でもやろうじゃないか、というプロジェクトが立ち上がり、常世の国の皇であるアシュヴィンの仕事量は一気に膨れ上がっていた。
 そんなある日、朝から執務室に籠もってせっせと仕事をしていると、ふいに刺さるような視線を感じてアシュヴィンは顔を上げた。
「どうかなさいましたか、陛下」
 きょろきょろしているアシュヴィンを不思議に思ったのだろう、リブが声をかける。
「いや……妙な視線を感じてな。お前か?」
「や、とんでもない。私にそんな暇はありませんよ」
 苦笑するリブの目の前には祭に関する案や、各国とのやり取りの竹簡が山になっていた。
 確かにそんな状況でぼんやりと主が仕事をする様を見ているような側近では役に立たない。
 ふむ、と唸って、もう一度部屋の中をぐるりと見回してみて。
 ギクリ。
 部屋の隅の書棚に半分隠れるようにして、娘のラクシュミがじっと見つめていたのである。
「なっ……いつからいたんだ?」
「しばらく前からおられましたよ。声をおかけしようと思ったら口元に指を当てられたので、陛下には内緒なんだと思いまして」
 くすくすと笑いながらリブは立ち上がり、
「お茶をお淹れしましょう。せっかくですから姫もご一緒にいかがですか?」
 するとラクシュミはダッと扉へと駆け寄って、何も言わずに飛び出して行った。
「……なんなんだ、あれは…?」
「陛下の仕事にご興味を持たれたのでは?」
「そう、か?」
 なんとなく嬉しくなってくる親バカなアシュヴィンだった。

 それから幾度となく視線を感じ、その度にどこかしらにラクスの姿があり。
 いつもなら『とぉさまー!』と飛びついてくるのに、最近はそれがない。
 そんな娘の行動が気になり始めたアシュヴィンは、彼女の母である妻・千尋に訊ねてみた。
 返ってきた答えは『さあ?』。
「あの子なりに何か思うところがあるんじゃないかしら」
「そう、なのか?」
 とはいえ、一度気になり始めたものはどうしようもなく。
 アシュヴィンは本人を捕まえて本意を聞いてみることにした。
 が。
 肝心の娘の姿はどこにもない。
「ラクスはどこへ行ったんだ?」
「あー、今日はシャニの部屋にお泊りするんですって」
「は?」
「ふふっ、ここ最近とっても仲良しなの、あの二人」
「っ……」
 もしや父である自分より、叔父であるシャニと一緒にいるほうがいいのだろうか?
 ズドーンと襲ってきた衝撃に打ちのめされたアシュヴィンは、
「…………………………寝る」
 よろよろと寝台へ向かい、ばふっと倒れ込んだ。
 千尋は苦笑しながら彼のマントを外し、ブーツを脱がせ、上掛けをかけてやる。
 せっかく久々に妻と二人きりの夜を過ごせるチャンスを逃してしまったことにも気づかずフテ寝してしまったのである。

 数日後の執務室。
 相変わらずどんよりオーラを放ちっぱなしのアシュヴィンではあったが、仕事を放り出すわけにもいかず。
 弟の部屋へ入り浸っているらしい愛娘の姿はしばらく見ていない。
 先ほどからリブの姿が見えないが、恐らく自分の機嫌の悪さが原因だろうという自覚はあった。
 コンコン、と軽いノックの音。
「アシュヴィン」
 扉が開いて姿を現したのは千尋だった。
 傍らには彼女に手を引かれたラクス。
 後ろにシャニの姿があり、その後ろには茶器の並んだワゴンを押すリブの姿もあった。
 皆一様に笑みを浮かべている。
「な……」
 思わず椅子から腰が浮いた。
「ほら、ラクス」
 千尋が姫の背中を優しく押した。
 とてとて、とアシュヴィンの傍までやってきたラクシュミは後ろに回していた手をぐいっと突き出した。
 そこに握られていたのは丸めた紙を紐で結んだもの。
「とぉさま、おたんじょうびおめでとう!」
 差し出された紙の筒を受け取り紐を解く。丸まっていた紙はふわっと開き──
「あのね、らくす、とぉさまのえをかいたの! しゃににおしえてもらったんだよ!」
「絵を描くには、まずは観察だからね。最近、ラクスはずっと兄様のこと見てたでしょ?」
「練習もいっぱいしたのよね?」
「うん!」
 リブが扱う茶器がカチャカチャと微かな音を立てる中、共謀者たちが楽しげに語り合うのをよそにじっと紙を見つめていたアシュヴィン。
 墨で黒々と書かれた丸や線。
 確かに人の形と言えなくもないが……
 それでも彼女が一生懸命描いてくれた力作である。
 アシュヴィンは机の上にそっと絵を置くと、小さな娘の身体を抱き上げ、ぎゅっと抱き締めた。
 こみ上げてくるものが、溢れ出してしまいそうだったから。
「とぉさま、いたいよぉ〜!」
「ははっ、すまんすまん── ラクスは絵を描くのが好きか?」
「うんっ!」
 しばらくまともに見ていなかった娘の顔を覗き込んで訊ねると、元気な答えが返ってきた。
「ならば絵師に本格的に習わせるか」
「やだアシュヴィン、ラクスには早いんじゃない?」
「そうか? だが、いつまでもシャニに習っていたんじゃ一向に上達しないだろ?」
「兄様、ひどいっ!」
 シャニの絵の腕前を知っている三人が爆笑する。
 最後にはシャニも一緒になって大笑いしていた。
「── ラクス、ありがとう」
「えへへ」
 嬉しそうに笑う娘をもう一度抱き締めてから、下に降ろしてやり。
 それからしばらく、彼の誕生日を祝うささやかなお茶会が賑やかに催された。

 その後、小さな姫はアシュヴィンに元気に纏わりついてくるようになった。
 聞けば、ラクシュミがよそよそしい態度になっていたのは『お父様をびっくりさせるために、絵のことは言っちゃダメよ』という千尋の一言からだったらしい。
 幼いラクシュミには『言っちゃダメ』が絵のことだけではなく、会話全般になってしまったようだ。
 そしてその絵は今、彼らの部屋の一番よく目に付く場所に、立派な額縁に入れられて飾られている。
 さらに、その絵の前で皇の威厳もなくニマニマしているアシュヴィンの姿がよく見られるようになった、とか。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 超遅ればせなアシュ誕生日もの。
 誕生日を祝うのって、たぶん千尋が持ち込んだと思うデスよ。
 だって、身内で命のやり取りするような家ですもの、誕生日なんて祝わないって。
 そして書いてから気づいた……金柑話とかぶりまくり(汗)

【2009/02/12 up/2009/03/01 拍手より移動】